第351話:誰のためを思って成す仕事
ひと仕事、いや
「お姉さま、ムラタさん、終わりましたか?」
「うわあああああっ!?」
突然ムクリと起き上がったマイセルが声をかけられて、俺もリトリィも大いに慌てた。
「お姉さまもムラタさんも、どうしたんですか? そんなに驚いて」
「そりゃ驚くだろう!」
「どうして驚くんですか?」
どうやらマイセルは、俺やリトリィが驚いた理由がよく呑み込めないらしい。小首をかしげるようにして、俺の方をくりくりとした目でまっすぐと見上げる。
「子作りでしょう? 私もムラタさんの赤ちゃんをいただくためにしてますし、私が起きたからって、そんなに驚くようなことですか?」
「い、いや、……その……」
「ムラタさんはお姉さまのためを思って、お姉さまを抱いてあげたんでしょう? それとも、なにかやましい思いでもあったりしたんですか?」
本当に不思議そうに、まっすぐ俺の目を見つめてくる彼女に、妙な罪悪感を覚えてしまう。
それにしても、今に始まった訳じゃないが、マイセルが突然割り込んでくるのは本当に心臓に悪い。こちらはマイセルがとっくに寝入っていたと思っていたし、彼女は一度寝るとたいてい朝まで起きないので、安心しきっていたのだ。
「め……珍しいな、マイセルが夜に起き出すなんて」
「はい! だってとってもお腹が空きましたから」
マイセルに言われて思い出す。そういえば、晩御飯をまだ食べていなかった。
「たぶん夢の中だったと思うんですけどね? なんだかお腹がすいたなぁって思ってたら、ムラタさんの声で目が覚めちゃったんです」
「俺の声?」
マイセルが起きるきっかけになった俺の声って何だろう。聞いてみると、マイセルは、悪戯っぽく笑ってみせた。
「リトリィ、孕め、孕めって」
……聞くんじゃなかった。
遅い、軽めの夕食をとりながら、今日、家を再建する区画の街並みをマイセルと見てきたことについて、感想を交換していた時だった。
「ムラタさんのいた街の様子って、どんな感じだったんですか?」
マイセルが、俺のふるさと日本のことについて聞いてきた。リトリィも、きらきらした目で俺を見つめてくる。
そういえば、話したこと、なかったっけ。
「そうだな……」
自動車道の両脇を歩道が囲み、さらに生垣や塀で遮った上でわずかながら庭を隔てて、そのうえで家が建っている――そんな日本の街並みを思い出す。
下町だと歩道がなく路側帯だったりするが、それでも生垣なり塀なり庭なりで、家と道路は隔てられているケースが大半だ。
ただ、それをそのまま話しても理解は難しいだろう――そう判断して、ちょいちょいとかいつまんで話すことにする。今日見てきた、あの、薄暗い路地から見上げたあの街並みを、思い浮かべながら。
「……道は基本的に車――馬車がすれ違う程度の広さはあったし、高い建物が近くになければ、どの家も基本的には一日の多くが、日の光の中で暮らせていたな。まあ、いまの俺たちの家みたいな家を、それぞれの持ち主が思い描いた意匠で建てた、統一感のない家が立ち並ぶ感じだ」
「……みんな、持ち家で暮らしていたんですか?」
マイセルが目を見張った。
「みんなじゃないが、多くの人は、自分で家を建てることを目標にして暮らしていた気がするな」
「……お金持ちのかたが多かったんですね」
リトリィも、目を丸くしている。持ち家で暮らすというのは、そんなにすごいことだろうか。
「金持ちが多い……うーん、そういうわけでもないんだけどな。そうだな、大抵の人は、二十年から三十年くらいかけて払う借金をして、建てていたな」
「さっ……三十年!?」
マイセルが目をむいた。リトリィもぽかんと口を開けている。リトリィのこんな表情が見られるのは珍しい。
「ま、待ってムラタさん! 三十年も返し続けなきゃいけないほどの借金っていくらなんですか!? 銀行は三十年も取り立て続けるようなとんでもないお金を、普通の人に貸してくれるんですか!?」
「そうだな」
「お、お仕事なんて、いつ変わるかなくなっちゃうか、分からないでしょう!? 食べていくだけで精一杯になっちゃうときだってあるでしょう!? それなのに貸してくれるんですか!?」
「……まあ、そうだな」
マイセルが、再び絶句した。
うん、俺も自分でマイセルに話していて、日本の安定っぷりに呆れる思いだ。
なんだかんだいっても日本人は、「今」がずっと続く、というのんきな幻想の元に生きている。ある日突然、その「今」が崩れ去るおそれがあるという前提に立った暮らし方をしているひとは、少ないだろう。
災害列島と揶揄されるほどの環境で生きているはずなのに、いつ災害で財産が失われるか分からないのに、それでも「のんき」に家を建て、そこを
……まあ、俺も建築士として、その幻想の一翼を担ってきたんだけどさ。でもやっぱり、自分の砦たる「持ち家」で暮らしたいとは思うわけよ。俺自身。
「まあ、それだけ安定した社会だったってことさ。そんなにもマイセルが驚くってことは、この街の多くの人は、借家で暮らしてるってことか?」
「そう……ですね。お家を建てるには、やっぱりお金がいりますし。あと、城内街はあたらしく家を建てる余裕はありませんから、基本的には借家か、あるいは中古の家を買うことになりますね」
やっぱりそういうことか。
そういえば以前、マイセルの兄――ハマーが皮肉っぽく聞いてきたっけ。
年に数件しかない仕事で、それも設計だけで食っていけるなんて、貴族のお抱えなのかと。
「そこは石の文化の利点だな。外装の耐久性が高いから、家が長持ちする。いいことだと思うよ?」
「今は少しずつ街が外に広がってますから、家を建てたいって考える人が増えてきた感じはあります。でも十分なお金がないと建てられないですから、家は借りるのが基本ですね」
「そうか……じゃあ、一時的とはいえ、自分で建てた家に住むっていうのは、珍しいんだな?」
「もちろんですよ! ナリクァン夫人のご協力をもらえたっていうだけで、怖いくらいの幸運なんですからね!」
……そうか、そうだった。ナリクァン夫人のチカラがあってこその、俺の今の状況だった。
「そうですね。わたしたち三人だけで暮らすには大きいおうちですし。わたし、こんなおうちで暮らせるなんて、思ってもいませんでした」
「リトリィのおかげだよ」
謙遜でもなんでもなく、俺はリトリィのおかげだと思っている。この家に住めるのは、夫人にリトリィのことを気に入ってもらえた、その一点に尽きるからだ。
ところが、ぐるりと家の中を見回し、リトリィは感慨深げに続けた。
「ぜんぶぜんぶ、ムラタさんのおかげです。ナリクァンさまのお力も大きいですけれど、ムラタさんがナリクァンさまとうまく関係を作られたからですよ?」
「いや、それはリトリィが――」
「いいえ。ムラタさんのおかげです」
リトリィは微笑みつつも、全く譲る様子を見せずに言い切った。
「このおうちを造ったのは、ムラタさんです。ムラタさんのおかげです。わたし、ムラタさんが、この家を使うひとが、つかいやすいようにって何度も考えてくださったのを知っています。ムラタさんのおかげで、いま、こんなに住みよい暮らしができてるんですよ?」
リトリィは目を閉じて鼻をくんくんさせると、嬉しそうに続けた。
「木の香りが素敵なおうちです。南向きで、窓も大きくって。こんなに明るくてすてきなおうちで、新婚生活がはじめられるなんて。わたし、いつも朝起きるたびに、夢じゃないかって思ってしまうくらいですよ?」
――明るい家。
やはり日光は健康的な暮らしのために欠かせない。体だけじゃない、心の健康にも、日の光は大切だ。そのためにも、日本ではできるだけ明かりを取り入れられる設計を心がけてきた。
施主の要望は、以前の通り、だと言っていたか。
けれど仮にそのまま建て直しても、結局、暮らしにくい家ができるだけだ。どうせなら喜ばれる家を建てたいじゃないか!
そうだ。家の持ち主は施主のものであっても、実際に暮らすのは、部屋を借りた人たちだ。建築士の仕事は誰のためを思って成す仕事かっていったら、そりゃ、決まってる。
俺は、少しでも光を取り入れた明るい暮らしができる家を夢想した。すこしでも気持ちよく暮らせる、そんな家を。
……そうだな。明かりが取り入れられる空間、明かりと共に風に当たれる空間。
洗濯ものが干しておける、明るく風通しのいい空間。
……アレだな。俺は日本の家にあんなものいらない、とすら思っていたけど、初めて積極的につけたくなったぞ。
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