第349話:交渉

 初めて焼け跡の視察をしてから約一週間。敷地内に積み上がっていた瓦礫はあらかた片づけられ、壁だけになった家を、俺はマイセルと一緒に見上げていた。


「今どきのおうちと違って、かなり壁が厚いですね。やっぱり、いくさ前提の作りですね」

「壁が厚いのがいくさ前提っていうのは、どういうことだ?」

「いざとなったら、立てこもって戦えるようにですよ」


 なるほど。家ひとつひとつが砦にできるということか? そう思って聞いてみると、マイセルは大きくうなずいた。


「はい。だからほら、窓が狭いでしょう? お家の中は、かなり暗かったんじゃないですか?」

「なるほどな。窓を狭くすることで、侵入されにくくするってことか」

「そうですね。ほら、特に一階は狭いでしょう? 壁が厚いうえに窓が小さいから、きっと昼間でも明かりが欲しい家だったんじゃないでしょうか」


 マイセルの言葉に感心しながら、改めて壁を見直す。

 今は二階部分の床も、もちろん屋根も綺麗に焼け落ちてしまっているから日が差し込んでくるが、確かに壁は厚く窓も狭いこの構造は、かなり生活するうえで不便だったんじゃなかろうか。


「マイセル、この家、なるべく外壁を元のまま使って欲しいという施主からの要望なんだが、これは、そういう法律でもあるのか?」

「いえ? とくには……。再利用すれば、安くできると思っているんじゃないですか?」

「……俺には、手間がかかる分、かえって高くつくような気がするんだが、マイセルはどう思う?」

「えっと……傷んでいるところを直しながらだから工期も長くなると思うし、ムラタさんの言う通りだと思います」


 やはりか。


「それにだ、こんなに窓が狭いと、かなり暗くなるだろう。そんな家だと、どうしても住む人にとってもあまり健康的とは言えないからな。俺は思い切って取り壊してしまった方がいい気がするんだが」


 俺の提案に、マイセルは苦笑いをした。


「壊したレンガをレンガ工房に払い下げればレンガも安く買えるでしょうし、いいとは思うんですけど……施主さん、納得してくれるでしょうか?」

「交渉できないかな、施主と」

「できるとは思いますけど……」

「よし、そうと決まれば交渉だ」




 結論。

 渋面の上、あっさり断られた。


「余計なカネをかけようと思わなくていい。前の通りにやってくれ。……まったく、マレットの奴はなんて無礼な大工を寄こすんだ、たかが大工のくせに。あとで抗議してやる。なんなら、無礼代として値切ってやろうか」




「いやあ、あれほど頑固だとは思わなかった」

「だからだめだって言ったのにぃっ!」


 マイセルがぷりぷり怒ってみせる。


「ああいう賃貸住宅を経営してる人たちって、矜持の高い人が多いんですから! いきなり壁を全部壊させてくれって、そんなこと言ったら考えを否定されたっていって怒るに決まってるじゃないですか!」

「いや、でも利点はあるんだよ? 聞いてくれなかったけど」

「聞いてもらえるように、ちゃんと根回ししましょうよっ!」


 家に帰ると、マイセルがやっぱり収まらなかったのか、リトリィに俺の失態を包み隠さず報告した。

 リトリィのほうは、これまた苦笑いだった。


「それがムラタさんでしょう? きっといいお考えがあるんですよ。わたしたちは、だんなさまがお仕事にしっかり向き合えるように、おうちをきれいにして美味しいものをつくって、がんばってご奉仕しましょうね」




「……まあ、そういうわけだったんですね」


 リトリィが、寝入ったマイセルを見ながら苦笑する。


「一見、物わかりよさそうな爺さんだったんだがなあ」

「ムラタさんはもう少し、相手をゆっくり見定めてから交渉に入られるようにしたほうがいいですよ?」

「マイセルにも同じことを言われたよ」

「ふふ、それがムラタさんのいいところでもあるのですけれど」


 そう言って、リトリィは俺の耳を口に含んでみせる。


「あなたは、おひとがいいですから。あまり人を疑わない、お優しいかた。わたしはそんなあなただから、おそばでお仕えしているんですけどね?」


 でも、と、やや耳を伏せながら、リトリィは続けた。


「あなたはきっと、これまでお金持ち相手のお話し合いを、あまりされてこなかったんだと思いますけど、お金持ちのかたは、わたしたち職人を、あまりよい目で見ない人がいるものですから」

「……ひょっとして、山の――ジルンディール親方親父殿のところに注文に来る連中に、そういう奴らがいたっていうことか?」

「直接ご本人がいらっしゃったことはありませんけれど、お遣いのかたが」


 聞くところによると、ジルンディール親方は農具だけでなく武具も色々作っているそうだが、特に彼の鍛える剣というのはそれなりに有名らしい。

 位が上がった、騎士叙勲を受ける息子への贈答品、あるいはブランドとして手元に置いておきたいなど、ときどき貴族からの注文がくるそうだ。


 親方は、基本的にはカネの多寡で仕事を受ける受けないを決める人ではない。農民からの農具の注文だって、貴族からの剣の注文だって、平等に受ける。


「けれど、ときどき、その……『作らせてやるから、ありがたく思え』っていうような感じでやってくるかたもいらっしゃって……」


 リトリィは、そんなときの親父殿の対応を思い出したのか、困ったように小さく笑いながら、続けた。


「もう、鉄鉱石とか木炭とか、手元にあるものを手当たり次第に投げつけて追い払っちゃったこともあるくらいです。父も、鍛冶師としての矜持がありますから」

「まあ、あの親父殿、リトリィが前に、無礼な奴はカネを投げつけてでも追い払うって言ってたもんな」

「ええ。ほんとうですよ?」


 いたずらっぽく笑うリトリィに、俺もつられて笑う。


「ただ、骨の髄まで職人ですから。一方的に、ああしろこうしろってお客さんから言われると反発するんですけど、でも、面白いんですよ?」


 あるとき、火炎剣なるものを注文してきた騎士がいた。なんでも、領主の命令だという。

 要するに波型の刃をもつ剣を作れ、という話だったようだ。


 ただ、その騎士は若く、また、敬愛する領主がナメられないようにするためか、必要以上に背伸びをしてきたらしい。無駄に高圧的な物言いをしたところを、金槌でヘルメットが凹むくらいにぶん殴られ、ほうほうのていで逃げ出したそうだ。


「でも、やっぱり帰るに帰れなかったんでしょうね。近くの森でうろうろしていたところで、お話を伺ったんです」


 最初はリトリィの顔を見てひどく警戒していたらしいが、リトリィの方にしてみれば見慣れた反応だったので、焼き菓子を差し出しながら話を聞いたらしい。

 若い騎士は感動した様子で非礼を詫び、そしてどうしたら作ってもらえるのか、このままでは帰れないと、ひどくしょげていたそうだ。


「だから、ちゃんと親方様にも非礼をわびて、そして、こう聞いたらどうですかってお話したんですよ」




『火炎を模した火炎剣を、我が主はどうしても次の収穫祭までにとの仰せである。ついては、王都でも名高い刀匠であらせられるジルンディール殿のお力をどうしても借りたく、参った次第である』


 そして、その続きがまた、奮っていた。


『ただ、わたしは鍛冶というものに疎いのでよく分からないのだが、火炎剣というものは鍛えるのが実に難しいと伺っている。たとえ王都にその名とどろくジルンディール殿であっても、出来ぬというのであれば、無理を通すつもりはない。どうだろう、ジルンディール殿であってもやはり難しいものだろうか』


 で、その若い騎士は、言い終わらないうちに銑鉄せんてつの塊を投げつけられたそうだ。


『誰ができないだと!? 若造、誰に向かって口を利いている!』




「それで、父は結局、作っちゃったんですよ。火炎剣」

「……ああ、目に浮かぶよ」


 その若い騎士は、まるで見習いのように様々なことでこき使われたそうだが、完成の暁には大喜びで、何度もリトリィに感謝を述べながら山を下りて行ったそうだ。


「作れ、でも、難しいだろうか、でも、同じことなんですけど、父にとっては、たとえ鍛えるのが難しくても、それを『できない』ととらえられることが、がまんできなかったのでしょうね」


 そう言って、リトリィはくすくすと笑う。


「……リトリィ、親父殿が動くように入れ知恵したんだな」

「だって、かわいそうでしたから」


 リトリィは、いたずらっぽく笑みを浮かべると、そっと手を伸ばしてきた。


「あなた? お話している間に、お休みできましたか?」

「……おいおい、まだ足りないのか?」

「だって、お約束してくださったでしょう? かならず、お仔をくださるって」

「それはそうだけど……」

「それとも、やっぱり獣人族わたし相手では、仔はできないとお思いだったのですか?」

「そんなわけ――」


 言いかけて、あっ、と気づく。


「……リトリィ、つまり、そうやって親父殿を動かしたな?」

「ふふ、お気づきになられましたか?」

「今の話、そのままだったじゃないか」


 そう、つまり、相手がその気になるように、仕掛ければいいんだ。

 あの施主に対しても。

 うかつだった。真正面から話をするんじゃなくて、相手を交渉のテーブルに引きずり込む。


 そんなこと、商談では当たり前のことだったはずなのに。

 なぜそんな基本中の基本を、忘れていたのだろう。


「ありがとう、リトリィ。もう一度交渉してみる」

「お役に立ててうれしいですけど、少し、日を置いてからにしたほうが……」

「分かってるって。あらためて図面を起こしてみてからだ」


 俺の言葉に、リトリィは微笑む。

 ――が。


「……でも、あなた? 仔が欲しいのは、本心ですよ?」


 彼女は俺の口内を舌で占領したうえで、腰の上にまたがって来たのだった。

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