第346話:新しい仕事、男の使命
この世界にはテレビもネットもないから、知ろうとしないと本当に情報が伝わってこない。このところ家に閉じこもって設計の仕上げをしていたせいで、リトリィもマイセルも気を使ってくれていたんだろう。そう遠くないところ、川向こうの区画で火事があったことを知らなかったのだ。
「だって、ムラタさんは図面描きで大変だったでしょ? お姉さまと相談して、ムラタさんには今のお仕事に集中してもらおうって」
お仕事、なくなっちゃいましたけどね、と寂しそうに言われて、あれでよかったんだと胸を張ってみせる。虚勢でしかなくても、マイセル達が俺のためにと考えてくれたことを、否定させてたまるものか。
……そんなわけで、俺に回された仕事というのが、家事で焼けた家の再建。あらためて思い知ったよ、レンガの威力。
「……わざわざ現場を見たいなんてもの好きだな、あんたは」
「じつは、
「……あんた、今までなにで家を建ててきたんだ……って、木か」
この辺りは比較的古い区画で、まだ木骨を前面に押し出した家ではない。だから、レンガのみで構成された外壁の耐火性能をじかに見ることができたのは、ある意味幸運だった。
「……中はかなり激しく燃えたようですけど、外までは伝わってないですね……」
「当たり前だ、火で焼かれてできたレンガが、火に負けるわけがない。どうだい、これでも木造の方がいいって言うか?」
「……はは、なんともこれは、手厳しい」
マレットさんの言葉を、とりあえずさらりとかわす。
俺に限らず、レンガを構造材に採用する建築家は、ほとんどいないだろう。
なにせ、地震の多い日本では、レンガは壁を覆う装飾品としての意味はあっても、レンガそのもので壁を作るなどあり得なかったからだ。
想像してみれば答えは簡単なのだが、レンガとは要はブロック積みなのだ。地震の揺れに強いかどうかなんて、考えるまでもない。
「まあ、俺の故郷は、火山が多い地域でしてね。地震――地面が揺れる災害が多かったんですよ。そんな土地では、レンガはかえって危なくてですね。誰もレンガで家を建てようとしませんでしたし、法的にも建てるのが難しかったんです」
「……そんなに揺れるのか?」
いぶかしげに尋ねるマレットさんだが、日本人が地震に慣れ過ぎている、と言った方がいいだろう。
昔、職場で聞いたことがあるんだが、イギリスかどこかで震度二だか三だかの地震があったとき、爆弾テロでもあったのかとか、ついに最後の審判が来たとかでパニックになったという話があったとか。
震度三なんて、隠れるか否かの判断に迷う程度の揺れだと思うのだが、体験のない人にとっては、地面が揺れるというのは文字通り「驚天動地」の大災害らしい。
「毎年、どこかの土地では地震が起こっていましたね。ひどいと山や城が崩れたりしていました」
「……そのうえ雨が多くて嵐もよくきて、洪水も多くてモルタルも傷みやすいんだったか? まったく、なんて国だ。毎年毎年、嵐に洪水に地震? あんたの故郷はこの世の地獄か何かか? なぜそんなところに住む、逃げようと思わなかったのか」
他人から言われると確かにひどい土地だ、災害列島日本とはよくいったものだ。
日本にレンガ造りが導入されたのは、文明開化後の明治から、関東大震災までのおよそ五~六〇年間ほど。
文明開化の象徴として、レンガ造りの建物は確かに、文字通り一時代を築いた。
しかし、濃尾大震災、そして関東大震災を経て、
「……災害が多い以外は、比較的温暖で水も豊富ですから作物もよく育ちますし、いい国だと思いますよ?」
「災害が命を縮めてちゃ、メシに困らなくても住みたいとは思わねえが」
「見解の相違という奴ですね。まあ、そんなわけで本格レンガ造りの建物の、その焼け跡っていうのは初めて見るんですよ。勉強させていただきます」
現在の日本で見られるのは、明治から生き残っている建物以外は、レンガ風のタイルを貼ったり、レンガ風の模様が印刷された
だから、純粋にレンガで出来た壁の耐火性能をこの目で見られるなんてことは、まずないといっていい。他人の不幸がなければ得られないこの学びを、しっかりと目に焼き付けることにする。
「レンガの建物といっても、基本的には壁だけなんですね」
「当たり前だ、レンガで床なんて作れるわけないだろ」
レンガは、レンガブロックをモルタルという
サイコロをノリでくっつけたようなものと言えばいいだろうか。立てるだけならいくらでも高く積めるが、横からつつけばすぐに折れるだろう。それを横倒しにして橋にして物を乗せればどうなるかも、想像がつくはずだ。
「つまり、床も天井も木だからな。火事になったら、中は丸焼けだ。――ただし」
「家の外に燃え広がりにくく、また隣が火事になっても燃え移りにくい、というわけですね」
つまり、
「まあ、燃えることは燃える。内装は木なんだからどうしようもない。だが、厚いレンガの壁が、隣に燃え移るまでの時間を稼いでくれるというわけだ」
……うちは建てるスピードを重視しすぎて完全に白木の家、外装の
「まあ、それでも窓からは火が噴き出るし、屋根まで焼け落ちるようなことになっちまえば盛大に火を噴くし火の粉が舞い上がる。絶対に安心、というわけじゃねえ」
「火災のときには、火を消す方法はないんですか?」
日本なら、通報さえあれば五分ほどで消防車が駆け付ける仕組みだ。この世界はどうなんだろう。
「王都あたりだと、水の法術を扱う術師サマとか、火の法術を扱う術師サマとかが、水をぶちまけたり火を弱めたりするらしいぜ?」
水の術、火の術!
それを聞いて興奮しないゲーム世代がいるだろうか。
「魔法――火を消す術があるんですか!」
「そういう法術もあるらしいけどよ、ま、
「
「ああ。こんな辺境にこんな町があるのは、昔、この辺りが
バーシット山といえば、俺が拾われてリトリィと出会った、あの山の名だ。形が変わるくらいというくらいだから、露天掘りでもしていたのだろうか。
それにしても、「レディアント銀」とはどんなものなんだろう。
ミスリルみたいなものだろうか、これまた胸躍る言葉が出てきたぞ?
「なんだ、知らねえのか。銀っつっても、銀とは全然違うらしい。大抵は金属としてじゃなくて、青白く輝く、半透明の宝石みたいな形で掘り出されるそうだ。そいつをどうにかすると、青白く輝く銀色の金属になるんだとよ」
「青白く輝く、ですか?」
それは神秘的な金属だ、ぜひ見てみたいが、掘り尽くしたってことだから、今はもう、ほとんど出ないということなんだろう。残念だ。
「だから、この街じゃ、火を消すような大規模な術なんてのは難しい。一応ポンプはあるんだけどな、まあ、川から近けりゃ使えるよ。川から遠けりゃ諦めるしかねえ、みんなで井戸から桶を回して水をぶっかけるだけだ」
ポンプが届かなければバケツリレーか! それは大変……心もとないな。
ごつごつ、と、マレットさんがすすけたレンガの壁を叩いてみせる。
火災を経験しているというのに、壁はびくともしなかった。なるほど、地震のない国では、レンガというのは確かに魅力的なのだろう。
レンガの壁は、内側こそ真っ黒にすすけていても、外側はそんな惨事があったことなどほとんど感じさせない。窓から上には煤が残っているが、あれも洗えばある程度綺麗になるだろう。
「この家の火事の原因は、かまどの火の不始末ってことらしい。そう言えばあんたの家は木造なのに、キッチン周りだけは石造りで凝った構造になってるな。防火を踏まえてのことか?」
「そうですね。火を使うところは最低限耐火構造にする、それは設計者――いえ、キッチンを女性に任せる、男の使命でしょう」
「……言ってくれるぜ。じゃあ、この家の再設計、任せるぞ?」
「おつかれさまでした、ムラタさん!」
キッチンからダッシュで飛びついてきたマイセルの頭を撫でると、嬉しそうに顔を上げて目を閉じてみせる。その唇にそっと唇を重ねてやると、また飛びついてきた。
「あなた、おつかれさまでした。お
リトリィも、エプロンで手を拭きながらキッチンから出てくる。同じようにキスをすると、振り回さんばかりの勢いでしっぽを振りながらキッチンに戻っていった。
「今日は二尺(約六十センチメートル)を超える大きな鯉が手に入ったんですよ、鯉づくしです! クノーブもたっぷり使いました! 楽しみにしていてくださいね!」
マイセルも、俺の頬にキスをしてからキッチンに戻っていく。
鯉か。
この地に来るまで鯉と言えば錦鯉、観賞用の生き物としか思い浮かばなかったけど、この街ではよく食べられている魚だ。
大きいものはごちそう扱いだから、二人とも、久しぶりの新規の仕事を受注する俺への、お祝いのつもりなのかもしれない。
嬉しい心遣いだ、頑張らなきゃな。
……で、
というか、今さら気づいたよ。
マイセル、エプロンの下には下着しか着けてない。
リトリィ、ふりふりエプロンしか身に着けてない。
あーはいはいそーいうことね。
つまりお祝いするぶん、今夜、
リトリィは分かる、もともとパンツとひらひらの貫頭衣だけだったし。
だがマイセル、君がそんな恰好をするようになるとは想像もしてなかったよ。
ていうか、客が来たらどうするつもりだったんだ二人とも。
……まあいいや。二人が頑張ってくれた成果を、二人を娶った男の使命として、大いなる覚悟と共に堪能しよう。
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