第345話:再起

「……その、外れた蝶番はそちらの責任で修理をお願いいたしますぞ」

「うるせえ! 大工のやることに口出しするな! 今日中に直してやらぁ!」


 マレットさんに引きずられるようにして、館を後にする俺たち。


『――「盗作」の図面を持ち込まれても、困るのですよ』


 俺はその時、呆然として何も考えられなかった。

 頭の中をぐるぐるとなにかが駆け巡るようで、しかし、思うように言葉にできないありさまだった。マレットさんが飛び込んでこなかったら、俺はどうなっていただろう。


「悲鳴を聞いた時のリトリィ嬢ちゃんのを押さえるのは、骨が折れたんだぜ?」


 マレットさんもリトリィもマイセルも、隣の控室のようなところで待機していたのだ。

 どうも、俺の悲鳴を聞いたリトリィが、『だんなさまが、人さまから考えを盗んだなんてあるものですか!』と牙を剥きだして部屋に飛び込もうとしたのだという。

 で、マレットさんがかろうじて追いすがってリトリィを押さえてから、『オレが話をつけるから』と、俺がいた部屋に飛び込んだのだという。


 ……俺、そんなに大きな声を出していたのか。そう思ったら、俺の悲鳴を聞いたのはリトリィだけだったのだそうだ。マイセルもマレットさんも、突然牙を剥いたリトリィにまず驚いたらしい。


 マレットさんが飛び込んだあとがまた、大変だったというのに。リトリィまで飛び込んでいたら、どうなっていただろう。


「どうもこうもあるか!」


 マレットさんは、吐き捨てるように言った。


「オレが認めた大工を疑いやがるなんて真似した執事野郎なんて知るか!」




「――で? 例の改修案が盗作疑惑って、何だったんだ?」

「分かりませんね、俺も何が何だか……」

「その、あんたの図面を盗作と断定した、その元の図面ってヤツは、どんな風だったんだ?」

「それも分かりません。見せてもらえなかったものですから」


 道を歩きながら、マレットさんが石を蹴り飛ばす。


 あのときの、レルバート氏の冷淡な目が思い出される。

 あれは、本当に、心に突き刺さる冷たさだった。


「なんでだ、こっちを盗作呼ばわりするくらいなら、向こうが持ってる図面を突きつけてくるんじゃないのか?」

「コンペ――競作の情報ですから、今はまだ、向こうとしては見せることはできないんじゃないですか?」

「あ? だったらそれこそ、向こうは知らん顔をしてあんたの図面を預かって、その上で知らん顔してあんたを落選させりゃいいだけだろう?」


 マレットさんは、まるで自分が選考から振り落とされたかのように不満そうだった。


「つうか、盗作だと? 精査もしないでか? ふざけてやがる、あの家の仕事はもう、二度と受けてやらねえ」

「いや、貴族なんだからお抱えの大工ぐらいいるだろ……?」

「いいんだよ、どうせそのお抱えの大工とやらが俺たちに仕事を押し付けるんだからよ。今に見てろあのクソ執事。おい、酒だ! 胸糞悪い気分を酒で洗い流すぞ!」


 そのまま、マレットさんに酒場に連れて行かれそうになったが、マイセルがそんなマレットさんの耳をつまんで、マレットさんの家まで引きずっていった。

 ……俺の妻は、どこまで強いんだ。




「……とんだことになりましたね」

「すみません、せっかくマイセルさんを頂いたのに、俺がこんなけちをつけてしまって……」

「なにをおっしゃるんですか。うちの娘の良さを引っ張り出してくださっただけでも御の字ですから」


 マレットさんの奥さん――ネイジェルさんが、シチューを盛りつけた皿をテーブルに並べていきながら笑った。

 マイセルは、リトリィと一緒にキッチンで奮闘中。どうも、俺を励まそうとしてくれているのか、料理がテーブルをどんどん埋め尽くしてゆく。


「悪いこともいいことも、順番ですから! ムラタさん、ご縁がなかったことはもう忘れて、新しいことを考えましょう! そもそもムラタさんは、私たち庶民のためのおうちをつくるために設計をしてきたんでしょ? いいんです、もうあんな人たちなんか!」


 マイセルがぷりぷり怒りながら、大きなパイ皿をリトリィと持ってきた。まだ焼き立てで、ふつふつと音を立てながら湯気を立ち上らせている。うん、いい香りだ。


「今日はいっぱい食べて、いやなことはみんなわすれましょう、だんなさま?」


 リトリィが、俺のコップに麦酒を注ぐ。

 彼女の長いまつ毛が、伏し目がちの目が、普段とは様子が違う。

 彼女は今回のことについてなにも言っていないが、きっと、思うことはたくさんあるんだろう。

 でも、彼女は何も言ってこない。ぷりぷり怒っているマイセルとは対照的だ。


 リトリィは、俺がしゃべるのを待っているのかもしれない。俺が弱音を吐きたいときにリトリィが怒ってしゃべり続けていたりしたら、俺の言いたいことが言えなくなるのではないか――そう思っているのかもしれない。


 ……そうだな。普段はほとんど飲まない酒だけど、今日ばかりは、我を忘れるほど飲んでみたい。酒の力を借りて、言いづらいことも言ってやる……!




「あんたはほんとに酒に弱いんだな」


 マレットさんが、月を見上げながら言った。


「めんぼく……ないです」

「いや、別に謝るところじゃねえんだがよ?」


 おそらく真っ青な顔をしている俺。

 夜風に当たりながら、俺はマレットさんと庭にいた。

 庭とはいっても、うちと違って小さなものだ。それでも、ベンチで涼めるのはありがたい。


「酒を思うように楽しめねえってのは、難儀な体だな。自分だったら生きていけねえかもしれん」


 がっはっはと笑いながら、酒瓶をあおるマレットさん。正直、その半分でも飲める体だったらとは思うが、まあできないものは仕方がない。

 頭がぐらぐらする。頭痛が酷い。不快感は果てしなく俺をさいなみ、まともな思考を維持するのも骨が折れる。ああ、やっぱりあんなにも飲むんじゃなかった。ああ、俺の馬鹿野郎。


「……どう思う、今回の、アンタの図面の話」

「どう……とは?」

「いくらなんでもおかしくないか? ムラタさんよ、あんた、そんなに破廉恥な真似をしたわけじゃないんだろ?」

「……俺が聞きたいですよ」


 ガンガンと響く鈍痛にうなされながら、俺はそう答えることしかできなかった。

 何をどう考えても、俺に非があったとは思えない。だが、レルバート氏は一方的に俺の不正を宣言してきた。訳が分からない。


「……あんた、ひょっとしてなにか機嫌を損ねることをやらかしたとか、そういう記憶は?」

「さっぱりです。……しいて言うなら……」


 以前、塔を壊すにはだいぶ手間がかかること、

 石材を再利用する場合、解体した石材を置く場所を長期間必要とすること、

 横着をして破壊するにとどめようとしたとき、下手をすれば屋敷を巻き込む恐れがあること――


 そう言ったことをレルバート氏に話したことを伝えると、マレットさんは首を傾げた。


「どれも真っ当だな、当たり前のことばかりだ。別にあんたが特別冷遇されるような原因になりそうな言葉とは思えん。ほかには考えられんのか?」

「それ以外と言われると、全く思い当たりませんよ……」

「……やれやれ、そういう事案が一番厄介だ。こっちの身に覚えのねえことではしごを外されてもなあ……」


 二人でため息をついていると、玄関が開いた。リトリィだった。


「マレットさま、だんなさま。お体を冷やしては毒です、そろそろ中にいらしてくださいな」


 リトリィの言葉に、俺たちは二人で苦笑いする。


「体を冷やしちゃダメだってよ?」

「……ああ言ってくれてるんです、行きますか」


 言われて気づいた。月がだいぶ上っている。

 思いのほか、長くいたようだ。


「ムラタさんよ。……人生、上手くいかねえことってのは何度でもやって来る。なに、今回は幸い、大きな損害が出たわけじゃねえ。ただ仕事が一つ、潰れただけだ」


 マレットさんの言葉に、俺は小さく笑ってみせた。


「……ええ、そう、ですね。自分の落ち度でもないところで、自分の落ち度とされるのは腹が立ちますが」

「まあ、そう腐るな。俺の方に来ている案件、いくつか紹介しようか?」

「それはありがたい……というところですが、いいんですか?」

「なに、娘婿の評判が上がれば、ウチの評判も上がるってもんだ」


 ニヤリとしてみせるマレットさんに、俺も笑った。

 終わった話にいくら嘆いても仕方ない。

 玄関で、心配そうにこちらを見ている妻がいる。

 よく見たら、その後ろからのぞいているのはマイセルじゃないか。

 ……なんだ、二人とも、俺が部屋に戻るのを待っていたのか。


「……マレットさん、行きましょうか」

「そうだな、カカァたちをいつまでも待たせておくのはよくねえ」




 さすがに義実家でコトを致すようなことは――

 そう思っていたのだが、マイセルはそう考えなかったようである。


「ちゃんと子作りを進めてるって理解してもらわないといけませんから!」


 ……だそうだ。結婚して三カ月。まだ、子供ができた気配はない。先日の藍月子作りの夜はリトリィには重要な夜だが、ヒトにとっては「ある程度影響する」というだけで、基本的には違うサイクルらしい。


 その夜、マイセルは、妙に積極的だった。リトリィが遠慮がちだったのとは対照的だった。

 だからだろうか、翌朝、クラムさんからもネイジェルさんからも、「これからも、娘をたっぷりと可愛がってあげてほしい」と妙に上機嫌な様子で言われてしまった。

 妻の母親からそんなセクハラをかまされるって、なんなんだ。


 ちなみにマレットさんは石のように沈黙していた。

 心なしか目が落ちくぼんでいるように見えるのは……ああ、マレットさんも頑張った、ということで間違いないだろう。マイセルに当てられた奥さんたちに、ねだられでもしたんだろうか。

 ……ハマーまで目が落ちくぼんでいるのは……ご愁傷さまとだけ言っておこう。


 まあ、なんだっていい。

 くじける機会は、これからも、いくらでもあるだろう。だが、俺には支えてくれるひとたちがいる。


「マレットさん、昨夜の話ですが、俺に回しても構わない案件って、どのようなものがありますか?」


 負けてたまるか、覚えていろ!

 何度だって立ち上がってやる!

 妻たちの愛に応えるためにも!

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