第344話:疑惑
三つの月が中天に差し掛かる様子を、俺はリトリィと共に見上げていた。
さすがにこの季節、何度も体を重ねていると汗びっしょりになる。外に出て涼んでいると、リトリィが桶に水を汲んできてくれた。
俺は、リトリィが桶に汲んできてくれた水で体を拭きながら、風で涼んでいた。
「……きれいだな」
「そうですね。三つの月が、こうして中天に、たてに並ぶのは、ひと月に一回だけですし」
たまにしか見られないから、よけいにきれいにみえるのかもしれませんね――そう言ってリトリィは微笑んだ。
「ほんとうなら、マイセルちゃんとこうして眺めていられるとよかったのですけど」
そう言いながら、俺の肩に体を預けてくる。本音はそっちか、と苦笑すると、リトリィは目を丸くし、そして悲しそうに目を伏せた。
「どうしてそう思われるんですか? わたしは、あなたには本音しか話しません」
慌てて彼女の肩を抱いて謝る。そうだ、リトリィは俺に対しては絶対に嘘も隠し事もしない、と誓っていたっけ。
「ごめん。リトリィが、マイセルと一緒にって言いながらくっついてきたから、本音は俺を独り占めできて喜んでるのかと思ってしまったんだ。俺が君のことを誤解した、悪かった」
俺の言葉に、リトリィはすこしだけ頬を膨らませてみせたが、しかしすぐに笑顔になった。
「それは、たしかにあなたをひとりじめしたい気持ちはありますけれど」
リトリィはそう前置きしたうえで、あらためて俺の肩に頬をすりつけた。
「あなたを取りあっこするのは、あなたの
「じゃあ、いま、この時間は?」
意地悪だと思いつつ、あえて聞いてみる。
「今日は、マイセルちゃんがゆずってくれた時間ですから。明日は、マイセルちゃんにゆずる日です。本当なら記念日になるはずの今日をゆずってくれた、とっても優しい子なんですからね? 明日は、マイセルちゃんを思いっきりひいきしてあげてくださいね?」
「俺は贔屓なんてしないぞ?」
「ふふ、そんなことを言って、いつもわたしをはじめに、つぎにマイセルちゃん、というのは、わたしたち二人とも、もうわかっていますからね?」
ぐうの音も出ない。
俺としては、扱い自体は平等を心掛けているものの、順番はリトリィに指摘されたとおりだった。
でもそれが、俺にとっての筋の通し方なんだよ!
この世界で、リトリィは俺の価値を最初に認めてくれた、誰がなんと言おうと世界で一番大切な女性なんだ。そこだけは、絶対に譲らない。
たとえ、リトリィに改めろと言われたとしても、だ。
俺の言葉に、リトリィはすこしあきれたような顔をしてみせたが、それが俺なりの感謝、愛の示し方だ。
「……あなた、融通の利かない人って言われたこと、ありませんか?」
「融通が利かないから何件か案件を逃してるよ。顧客の希望よりも俺の信念を優先させたこともあるしな」
俺の言葉に、リトリィはため息をつきながら笑った。
「ほんとうに、あなたって……しかたのないひと」
月の光の中で、銀色に輝いて見えるリトリィのふかふかの毛並み。
すでに換毛を済ませていて、夏毛に変わっている彼女だが、それでもいわゆるアンダーコートが抜けて毛の密度が下がっているだけで、全身ふわふわなことに変わりはない。
正直、とっても暑苦しいんじゃないかと思っているのだが、リトリィはこれといって暑いとは感じていないらしい。
もともと体温が高いリトリィだから、暑さには耐性があるのかもしれない。
「でも、そんながんこなあなただから、わたしをがんこに愛してくださってるんですよね」
そう言って、絡みついてくる。
「ふふ、
「――たった今、君が、元気にしてしまったんだろう?」
「応えてくださるところが、とってもうれしいですよ?」
月明かりに照らされながら、リトリィが俺のひざの上にまたがってくる。
「……ここでか?」
「今夜は、
そう言って微笑む彼女に、口をふさがれる。
――夏の夜は長い。
彼女のおねだりも、もう少し続きそうだ。
「――なんですって?」
約束の十日目、その前日の九日目に、我ながら神がかったスピードで仕上げることができた自分を内心で褒めながら、俺は例の貴族の屋敷に向かった。
ちょうどマレットさんの案も仕上がったということだったので、一緒に向かったのだ。
一顧だにされない、などということはさすがにないだろうが、軽んじられることもあるまいと考えてのことだった。
案は、前回からさらに絞って三案に。特に、補強と装飾を兼ねた第三案の「改修」案は、自信作だった。塔がこれまで背負ってきた歴史を継承しつつ、次の数百年を見据えた補強を考えている。
これは、俺が実際に担当した耐震リフォームだったり技術的な研修で学んだりしたことを生かしたものだ。
わざわざ今ある塔を壊すわけでもないから後期も他に案に比べて短くできる。もちろんそのぶん費用も圧縮できる。
これこそが俺の一番のおすすめの案だった。
――はずだった。
「はて、その案は既に別の方によって提出いただいておりますが?」
「――なんですって?」
「その案は、既に別の者が提出していると申し上げているのです」
そんな馬鹿な!
これは――この手法は、間違いなく、この世界において俺のオリジナリティによるもののはずだ! それともこの世界には、そんなにもリフォームやリノベーションが盛んだっていうのか? マレットさんだって驚いていたというのに!
「……ええ、間違いありませんね。この意匠、この施工手順の内容。ほぼ同一ですな。私がこの目で確認いたしましたので、間違いございません」
「い……いや、仮に似ていたとしても、だからって比較検討もせずに門前払いなんてあんまりだろう!」
「申し訳ございませんが、お受けできぬものはできませぬ」
「じゃあ、その先に提出された図面って奴を見せてくれ! 建築家として、本当に似ているのか、それとも似ているだけで別物なのか! 確かめさせてくれよ、頼む!」
「申し訳ございませんが、できかねますな」
「落とすにしても、せめて精査してから――」
しかし、実に冷淡に、モノクルの奥の瞳が光る。
その色は、拒絶しかなかった。
「ムラタ殿。はっきり申し上げた方がよろしいですかな?
――『盗作』の図面を持ち込まれても、困るのですよ。あなたをギルドに告発し、処罰してもらわねばならない、その手間と、ギルドの名誉を傷つけるあなたの存在を明るみにすることのわずらわしさを考えますとね?」
あまりにも衝撃的な言葉に、言葉を失う。
「盗作――俺が、ひとのアイデアを盗んだっていうのか……!?」
「はっきりと申し上げるならば、そうなりますな」
そんな馬鹿な。
――そんな、馬鹿な!!
その時だった。
扉を破壊するような勢いで部屋に飛び込んできた、巨漢。
「ウチの職人が、そんなことするわけねえだろう!! 一介の執事が、ギルドが認めた職人を疑うってのか!!」
――マレットさんだった。
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