第338話:写生会
さらさらと、線を書き連ねてゆく。
この世界の「紙」は高価だし、鉛筆も高価だ。けれど、やはり紙と鉛筆の組み合わせは最強だと思う。
日本のコピー用紙やケント紙などとは比べることもできない低品質な紙だが、それでも紙は紙だ。
その紙を贅沢に使って、俺達は今、芸術家を気取っている。
城内街のところどころにある、小さな広場。
その広場の地面に腰掛けて、俺達は今、三人だけの写生会を開催中である。
俺は、塔のデザインの参考になりそうな建物のデッサンのために。
リトリィとマイセルは、そんな俺に付き合って。
時々、道行く人々がこちらをのぞき込んでは、感嘆してみせたり、笑ったりしている。子供達など素直なものだから、その言葉も実にまったく鋭利に突き刺さる。
「おっちゃん、すげーっ!」
「犬のねーちゃん、これ何描いてんだーっ?」
いや、おっちゃんて。せめておにーさんと呼んでくれたまい。
「む、むずかしいですね……だんなさまみたいには、とても描けません」
俺の左隣では、白いワンピース姿が珍しいリトリィが、紙の上で必死の格闘をしている。
彼女が描いているのは、すぐ近くの、なんの変哲もないただの家。石造りの、なんの装飾もない家だ。
……うん、彼女がテレビに出てこれを描いたら、間違いなく「画伯」扱いだな。ただし、奇妙奇天烈な絵を描く、という意味の。
右隣のマイセルは、俺と同じ屋敷の絵を描いている。大工を目指すだけあって、それなりに形は取れている。家の特徴をとらえて、それを描こうという気持ちはとてもよく伝わってくる。
「……む~~~~っ! ムラタさん、どうしてそんなに上手なんですか? ずるいですよう!」
マイセルが、俺の絵と自分の絵を比べて、ついに弱音を吐いた。口をへの字に曲げて、俺の絵を取り上げると二枚並べ、うんうんうなっている。
どうしてと言われても、そりゃ建築士だから、としか言いようがない。
真正面、真横、真上から、という「三面図」は図面の基本だ。
しかし、お客さんに対してそれなりに説得力をもって家を感じてもらうなら、
学生時代、(無駄に)がんばって練習したぞ!
とは言っても、そんな技術的なことをいきなり教えても難しいだろう。俺は立ち上がると、マイセルの背後にまわった。
そしてそのまま、彼女の背中に密着するようにして後ろに座る。
「えあっ!? むむむムラタさん!?」
「ちょっと手を借りるよ?」
そう言って手を取ると、たちまち顔を真っ赤にするマイセル。
――いや、毎晩愛し合ってる仲だろう、なんでそんなに慌てるんだ?
「ひ、人が見てますよう……!」
蚊の鳴くような声で訴える彼女だが、徒然草で有名な兼好法師も、「芸は、人に見られて笑われてもくじけず努力する奴のほうが、早く上達する」と言っている。
今はまだまだかもしれないが、人目を恐れず努力すれば、早く上手に――
「違いますよう……! その……ひ、人が見てる前ですよ? なのに、こんなにくっついてるなんて……!」
マイセルがかすれる声で、ひどく恥ずかし気に訴えてくる。
……そっちか。
いや、それこそ俺達は夫婦なんだから、くっついてて当たり前だろ?
あっちのほうで日傘を差して通っていくばーちゃんたち、こちらを見てくすくすと笑ってるけど、あれは微笑ましいものを見る目だ、少なくとも悪意は感じられない。
そう言って彼女の手をとったまま、鉛筆を立ててみせる。
「この鉛筆の先を、片目を閉じて見てごらん?」
「でででできませんんんん!!」
肩越しに彼女の方を見ると、両目をぎゅっと閉じている。ウインクくらいできるはずなのに、何やってるんだこの子は。
「ひ、人前ですよ? ムラタさんこそ、どうしてこんな、えっと、あの、“えっち”なこと、人前で、平気でできるんですか……!」
……えっち。
えっちときたか。
じつに日本的な表現。
いや、この三カ月、日本語をあれこれ教えたけど、こうやって外で使われると、暗号……いや、なにかの隠語みたいに感じるから面白いな。
でも、こうしてくっついているだけで、彼女は「えっち」と感じているわけだ。俺の腕にはぶら下がりたがるのに。
この感覚の違いが面白い……けど、このままじゃ絵の描き方を教えるどころじゃないな。
仕方なく立ち上がると、もう一度隣に座り直す。
やり方を実演して見せようとすると、リトリィが俺の服の裾をつまんで、小さく引っ張った。
「……あの、わたしにも、おしえてもらえますか?」
もちろんだ。あらためて鉛筆を握り、手を前に突き出してみせる。
「この、鉛筆の先を――」
言いかけたら、リトリィが、妙に恨めし気に俺を見つめてきた。
マイセルには手を取って教えてあげようとしたのに、自分にはしてくれないのか、と言いたげに。
……ああ、「マイセルを認める代わりにかならず平等に扱ってほしい」が、彼女の望みだったっけ。
苦笑しながら立ち上がると、リトリィの背後に座り込む。
マイセルが、息を呑んでこちらを見ているのが分かる。なんだか面白い。
リトリィに鉛筆を持たせて手をとると、彼女もマイセルのように頬を染め、けれど嬉しそうに、俺の言う通り片眼を閉じた。
「そう。鉛筆の先を、常に同じ場所に来るようにして、真っ直ぐ見るようにして……」
何度かやっているうちにコツをつかんだようだ。楽しげに、俺の顔を何度も確認しながら、線を修正していく。
まるで、「上手にできているならほめてください」と言わんばかりに。
その仕草が可愛らしくて、つい頭をなでてやると、くすぐったそうに、だが嬉しそうに目を細める。
しばらくそうやって、彼女のやや癖のあるふわふわでもふもふな髪の感触を楽しんでいると、マイセルの動きが止まっていることに気がついた。
目が合うと慌ててうつむいてみせたけど、さっきのリトリィと同じ目をしていたのは丸わかりだったからな?
……ほっぺも赤いし。
「む、ムラタさん!? わわ、私は別にその……あ、いえ、ええと……嫌というわけじゃ……」
俺の腕の中に収まったマイセルは、おとなしく俺の指示に従って作業を進めた。
けれど、リラックスしていたリトリィと違って、妙に体に力が入っている。緊張しているのだろう。こちらをちらちら見上げては、目が合いそうになると、とたんに紙に目を落とす。警戒心の強い小動物みたいだ。
「な、何ですか? どうしてそんな、笑うんですか?」
マイセルが、真っ赤な顔して上ずった声で早口に言ったもんだから、つい「可愛いからだよ」と冗談めかして言ったら。
「ひゃい!?」
驚いた顔のまま数秒固まっていたあと、真っ赤に染まった顔を隠すように帽子を引き下ろして、そのまましばらく、こちらの世界に帰ってこなかった。
いや、すでに
食堂で昼食を取っていると、マイセルが「さっきのあれは、反則です!」と、小声で抗議してきた。
「人前で、あんなにくっついて……。私もう、このあたり歩けないですよ……!」
「首を見れば俺たちが夫婦なのは一目瞭然なんだから、別にいいじゃないか」
「ムラタさんは! そういうところが無頓着なのが私、許せないんです!」
ぷりぷり怒ってみせるマイセルだが、そんな表情もまた可愛い。
「かわい……って、もう! そうやって誤魔化そうとしたって無駄ですからね!」
「誤魔化してなんかいないぞ、マイセル。なあ、リトリィ?」
「……ムラタさんがこういうひとだっていうのは、もう、じゅうぶん分かったうえでお嫁さんになることをえらんだのでしょう? あきらめが大事ですよ?」
リトリィが、目も合わせずパンを切り分けている。なんだその、天災に遭ったことを諦めるかのような物言いは。
『ちがわないですよね?』と言いたげな冷めた目で一瞬俺を見たあと、またパンを切り分ける作業に戻るリトリィ。……おい、俺ってそんなに無頓着か?
「ご自覚がないところがまた、だんなさまのこまったところなんですよ?」
リトリィはため息をつきながら、切り分けたパンの上にマッシュポテトのようなものを盛りつけて、俺とマイセルに分けた。リトリィにそう言われるのは、正直、ものすごく旗色が悪い。
仕方が無い、午前中に描けた絵をもっともらしく見比べる真似をして、議論から撤収だ。
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