第337話:ライバル(2/2)

 リトリィが焼いてくれたビスケットに、ジャムをつけて頬張る。

 ……うん、美味い。

 マイセルが両手を頬に当てて、ふるふると首を振りながら至福の表情を浮かべている。


「お姉さまの麦焼き、いつも思うんですけど、どうしてこんなにサクサクのほろほろなんですか!?」


 俺にとっては食べ慣れた食感だが、マイセルにとってはいまだ探求の途上にあるらしい。


「それを言うならマイセルちゃんのケーキも、どうしてあんなにしっとりふわふわにできるんですか? ぜったいに、おしえてくださったことだけじゃないでしょう?」


 二人とも、意味深に上目遣いで視線を交わす。


「……そんなことないですよ? お姉さまには私、隠し事なんてしてないですもん」

「……目がそれてますよ、マイセルちゃん? それにわたしも、なにもかくしごとなんてしてませんけれど?」

「お姉さまこそ、耳がぱたぱたしてますけど?」


 うふふふふふ……


 何やら不穏な笑顔が交錯する。仲はいい二人だが、やはりお互いに譲れないものがあるようだ。


「あ、そうだ、ムラタさん! 今夜はどうするんですか?」

「今夜?」

「その、いつまでお仕事をするんですか?」


 マイセルの問いに、思わず首をかしげてしまう。

 いつまでと言われても、とりあえず今のアイデアを最低限、まとめるまでといったところか。


「マイセルちゃん、だんなさまのお仕事のしかた、もう分かっているでしょう?」

「分かってますけど、やっぱりその……心配だから」


 心配、か。

 思わず、木村設計事務所で働いていた時のことを思い出す。あれは――ブラック、かどうかは分からないけど、なかなかだったな。そういえば、俺がこの世界にやってくる直前だって、すでに午前二時を回っていたか。

 ……ああ、うん。ブラックだった。間違いない。


 あの頃は、俺を心配してくれる女の子なんて一人もいなかった。それを思えば、今は天国みたいなものだ。なにせ競うように俺の世話を焼いてくれる妻が、二人もいるのだから。


「心配してくれるのは嬉しいんだけど、俺も、気合を入れる理由ができたからね」

「気合……ですか?」

「ああ、さっきも言ったけれど、リファルの奴にだけは負けたくないからな」


 マイセルもリトリィも、そろって目を見開く。


「ムラタさんが、あんな人に負けるはずないじゃないですか!」

「だんなさま、心配のしすぎですよ?」


 ……逆に聞きたい。なんで君たちはそんなに自信たっぷりなんだ?


「え? だってムラタさんだもん」

「わたしたちのだんなさまが、選ばれるにきまっていますから」


 ……だから、なんでそんなに自信たっぷりなんだ。

 二人してにこにことしているのを見ると、一次選考でも通ればいいか、などと気楽に考えていたのが恐ろしくなる。


 マレットさんも言っていたが、俺はネームド大工の娘さんを嫁さんにもらってしまった、その意味を思い知った気分だ。

 こんなゆっくりしてはいられない――俺はカップを空けて二人に礼を言うと、席を立って奥の仕事部屋に向かうことにした。




「……ムラタさん、気持ちいい、ですか?」


 マイセルの手さばきに、俺はたまらず「いい……すごく」と答える。

 リトリィが対抗するように、「だんなさま、こちらはいかがですか?」と聞いてくる。もちろん答えは一緒だ。


「えへへ、お姉さまに教えてもらったんです。こうしてあげると、ムラタさんは喜ぶんですよって」


 ……なるほど、さすがリトリィ。俺の体のことは、誰よりもよく知っているというわけか。


「上手にできるまで、お姉さまが練習に付き合ってくれたんですよ」

「マイセルちゃんがじょうずになったら、だんなさまを、ふたりでよろこばせてあげることができますから」


 リトリィはそう言ってるけど、きっと本音は、そうすることで俺に褒められたかったんだろう。

 事実、それをねぎらってやると、実に嬉しそうにばっさばっさとしっぽを振って、それがじつに可愛らしい。


「ムラタさん、すごく、かたいですね……」


 マイセルの問いに、俺は生返事を返すくらいしかできない。マイセルの指が食い込むが、それが、ああ、すごくいい。


「マイセルちゃん、そのぶん、がんばってご奉仕してあげてくださいね?」

「もちろん、です、よ!」


 仕事など、とうの昔に放り出していた。

 二人がかりで味わわされているこの悦楽を捨てて、仕事なんてやってられるか。


 リトリィの指が、腰に伸びる。


「だんなさま、痛かったら言ってくださいね?」

「あ゛~~~~、大丈夫、気持ちいい」

「ふふ、午後からずっと座りきりでしたからね」


 リトリィの指も食い込んでくるが、その刺激もまた、よしだ。


「ムラタさん、首もすっかり固まってますね。ずーっと同じ姿勢だったんですか?」

「あ゛~~~~、ありがとう、そのあたりがいい」


 リトリィのマッサージが気持ちいいのはもう知っている。

 今は、マイセルの肩もみから始まって、いまは全身マッサージだ。


 結局、仕事を再開しようとした俺をマイセルが引き留め、肩もみが始まり、そのままソファーに寝そべる俺に、二人がのしかかってマッサージ。


 ああ、至福。


 もういいや、コンペの案は、また明日にしよう。

 今夜はもう、店じまいだ。早く寝て、また明日考えよう。

 日本で仕事をしていたころと違って、今じゃ夜明けとともに起きる、超朝方人間に俺は生まれ変わったんだ。

 今夜はもう、この気持ちよさの中に沈むように、さっさと寝てしまおう。


「……だんなさま? わたしもマイセルちゃんも、がんばりましたよ?」

「ムラタさん、ご褒美、期待してます! いっぱい、してくださいね!」


 ……あれ?




「ふふ、あらためて、おはようございます」


 朝のひと運動を終えて、水を口にしている俺の頬を、リトリィがぺろりとなめる。


「あなたは、わたしたちふたりのだんなさまですけれど、愛をちょうだいするのは、競争ですから」


 競争、ね。


 リトリィから手ぬぐいをもらい、顔をぬぐう。

 自分の掛け声によるラジオ体操と筋トレを終えた俺は、顔を出し切った太陽のほうを見る。

 銀色に輝く光と、すっかり青さを身に付けた空。


「でも、マイセルちゃんも早起きをするようになったら、どちらからお水を受け取るんですか?」

「どちらって……両方さ」


 俺の返答に、リトリィが頬を膨らませた。


「……そこは、いまだけでも『リトリィ』って言ってほしかったです」


 そう言って、シェクラの木の下のベンチに座る俺の隣に、そっと腰掛ける。

 この木は、昼間は実に塩梅のいい影を提供してくれるが、ほぼ真横から光が差してくる今は、全くの無力だ。

 無力だが、周りの植木の影響もあって、実に都合のいい目隠しにはなる。


 俺の耳の下あたりをすんすんと嗅ぐようにして、そして、ぺろりと舐めてみせるリトリィ。

 それに応えるように、俺も彼女の頬をとらえて、その薄い唇に、自分の唇を重ねる。


 身を寄せ、その手をそっと俺の腰に回してきた彼女を抱きしめ、そのままベンチの上にその身を横たえさせる。


 誰にも見られない。見られる心配がない。

 持ち家だからこその特権だ。




「なあ、リトリィ」

「……はい?」


 乱れた髪を、乱れた呼吸のままに整えているリトリィに、俺は聞いてみた。


「マイセルと俺を取り合うことに、不安はないのか?」

「ありますよ? ありますけど、わたしは、どこまでもあなたについてくって決めましたから」


 彼女は、あっけらかんとして言った。


「マイセルちゃんとは、もしかしたら、けんかをしちゃう日もあるかもしれません。

 けれど、わたしは負けません。ずるをする気はありませんけれど、ゆずる気もありません。死がわたしたちを分かつまで、わたしはずっと、あなたのリトリィです」


 神様にも、そう誓いましたから――そう言って微笑む。


「……怖いな、君からは逃げられないってことか?」

「そうですよ? 知らなかったんですか?」


 リトリィは、俺の冗談に笑ってみせた。


「わたしからは、にげられませんよ? 獣人族ベスティリングの愛の誓いは、重いんですから」

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