第336話:ライバル(1/2)

「……で? なんでてめえがこんなところにいるんだよ」

「お前には関係ないだろう。それよりなんでいちいち喧嘩を吹っ掛けてくるんだ、お前は」


 実に全く不機嫌そうなつらをぶら下げているのは、同じ大工ギルドの人間、リファルだった。ちら、とリトリィの方を、見下すような目で見る。


「それはこっちのセリフだニセ大工。昼間っから犬女をはべらせてよ。うらやましくも何ともねえが、いい身分だな?」

「はべらすも何も、リトリィは俺の妻だ。デートくらいするさ」


 まったく。せっかくリトリィとのデートを楽しめていたというのに。

 久しぶりに会ったと思ったらこれだ。リファルの奴め、今度から顔を合わせた時点でとりあえず蹴りつけてやることにしようか?

 

お誘いでぇと? 訳の分からねえこと言ってんじゃねえよ。ンなことより、昼間っからイチャイチャとまあ、随分と余裕だなてめえ。妖しいカネづるでも見つけたっていうのか?」

「……お前こそ、人が楽しんでいるところにいちいち顔を突っ込んできて文句を垂れる暇があるなんて、よほど暇人なんだな」

「うるせぇ、癇に障る野郎だな、てめえは」


 腰を浮かせかけたリトリィの手を、そっと握りしめる。

 ――動かなくていい。振り向いたリトリィに、そっとキスをして。


「癇に障るというなら、俺の顔を見るなりまっすぐこちらにやってきて文句を言い始める、お前の方こそ目障りだ。ほっといてくれ」

「てめえ……いい度胸して――」

「それともなんだ? お前の言う一人前の大工のあるべき姿ってのは、半人前の大工夫婦の幸せにケチをつけることなのか?」

「……なんだと?」


 それまで、俺を侮るようにしていたリファルの表情が、険悪なものになった。


「ああ、そんなはずがないか。仮にもギルドに認められた大工が、そんなカスなわけがないからな。すると、今お前がしてることは、お前の出身部族のしきたりって奴か? 既婚者を見かけて悔しかったら難癖をつけよ、とか」


 見る見るうちに顔が真っ赤になる。自分から挑発してきたってのに挑発に弱いなんて、お笑い草だ。


「……ケッ、せっかくいい情報があったんだが、もうてめえには教えてやらねえ。後悔してもおせぇからな!」

「いい情報?」

「ヘッ、でっかい話だよ! てめえのようなニセ大工には一生、縁がなさそうな話だ! 諦めな!」


 あばよ、と、手をひらひらさせ背を向けたリファルに、俺は念のために聞いてみた。


鐘塔しょうとうの公募の話か?」


 途端に、奴の足が止まる。

 そして、すさまじい勢いで振り返って来た。


「……おい、てめえ! なんで知ってる!」

「知ってるも何も、大工ならみんな知ってる話じゃないのか?」

「そんなわけがあるか! ギルド長から直々に話をもらった奴と、そいつが組むために教える奴しか知らねえ話だぞ!」

「何言ってるんだ。うちにもちゃんとお使いの人が来たぞ。ええと、レルバートさんとかいう、多分執事みたいな人」


 リファルが、ものすごい顔をして固まる。


「ほら、アレだ。城内街の古い鐘塔しょうとうが壊れかけてるから、建て替えの案を提案するって話だよな? ええと、誰のお屋敷だったか……ほら、噴水のある大きな庭つきの屋敷の貴族が依頼主だったか」


 俺を指差して、酸素の足らない金魚のように口をぱくぱくしているリファルがおかしくて、俺は苦笑しながら聞いた。


「なんだ、お前のところには来なかったのか?」

「嘘だッ!! そんなバカなことが――」

「嘘なんかついてないぞ。昨日もレルバートさんに鍵を借りて、塔に上って来た」

「…………!?」

「お前はレルバートさんに会っていないのか?」


 悔しそうに――本当に悔しそうにぎりぎりと歯を鳴らすリファルに、俺は少しだけ溜飲が下がったのと同時に、ほんの少しだけ、リファルを気の毒に思った。

 立場が逆だったら、とてもそんなことは思えなかっただろうけれど。




「あ、おかえりなさいお姉さま、ムラタさん!」

「遅くなってごめんなさいね? すぐお食事の準備を始めましょう」


 やたらと機嫌のいいリトリィに、マイセルも笑顔で買い物袋を受け取る。

 しっぽを振り回す勢いでキッチンに向かったリトリィを、マイセルは不思議そうに見送りながらつぶやいた。


「……ムラタさん、まだお昼前ですよ? その……もう帰ってきちゃって、よかったんですか?」

「いや、俺ももう少し、買い物とかしよう、って言ったんだけどな……?」


 リトリィは、「もう十分ですから」と、にこにこしながら帰ると言い出したので、それ以上は無理強いしても、と思い、彼女に従って帰って来たのだ。


 ……古い区画は、薄暗く、静かなところがあって、そこで、うん、なんだ、その……路地の影でなんて、とても言えない。

 だってだよ? 壁に手をついて必死に声を殺しながら首を振り、それでも大胆なリトリィだ。俺もつい……。


「……まさか、ムラタさん。また、お姉さまを怒らせたんですか?」

「またってなんだよ、俺がいつも怒らせてるみたいじゃないか」


 俺の抗議に、マイセルは腰に手を当て、半目になって口を尖らせた。


「だって、ムラタさんって、ときどきとんでもなく女の子の気持ちを逆なでするようなこと、言ったりしたりするんだもん」


 ぐうぅっ!?

 い、いや、さすがにもう、そんなことはないだろ?

 結婚してからは大きな喧嘩だってしてないし、リトリィもいつもにこにこしてくれていて――

 特に今日は間違いなく怒らせてない! それは断言できる!


「それはムラタさんが気づいてないだけじゃないんですか? だってたとえば――」


 指折り数え始めたマイセルに、俺は即、白旗を上げた。ごめんなさいあいかわらず女性への配慮が足らぬ俺でございますそれ以上列挙するのはやめてください。


「マイセルちゃん、準備ができましたから。こちらにいらしてくださいな?」


 フリルとレースがたっぷりの可愛らしいふりふりエプロンを身に付けたリトリィが、ダイニングに顔を出す。


「はあい、お姉さま、今行きます!」


 さっきまでのジト目で俺の至らぬところを数えていたマイセルが、途端にぱっと笑顔になってキッチンに飛んでいく。


 それにしても、リトリィもマイセルも、俺を巡ってはある意味ライバルのはずなのに、なんでこんなに仲がいいんだろう。いや、仲がいいのはとてもありがたいことなんだけれど。




「ムラタさん、あまり根を詰めていると、体によくないですよ?」


 マイセルが、ノックと共に入ってくる。ティーセットを乗せたトレイを手にして。


「……ああ、ありがとう」


 俺は広げていた図面を少し片づけると、マイセルがそこにカップを置いた。

 琥珀色の液体が注ぎ込まれ、紅茶のいい香りが広がる。


「まだ、お休みにならないんですか?」

「とりあえず、今日はもう少しやってから寝るよ」


 さっそくカップを傾けながら、俺は続けた。


「今日は、ちょっとばかり刺激をもらったからな」

「刺激?」

「そう。なぜか俺を目の敵にする、変な奴に遭ったからな」

「……ひょっとして、リファルさんですか?」


 そういえば、マイセルはリファルのことを知っていたっけ。


「うん、そう。そいつだ。ほかのだれに負けてもいいけど、あいつにだけは負けたくない」


 そう答えると、マイセルは目をキラキラさせ、ふんすと鼻息荒く、両手を握り胸元に引き寄せた。


「大丈夫です! ムラタさんが、あんな人に負けるはずありません!」

「はは、そう言ってもらえると嬉しいけど、俺はあいつが引いた図面を知らないからな。そう楽観視してもいられないよ」


 しかしマイセルは、「大丈夫です!」と、妙に自信ありげに胸を張る。いや、このコンペで戦うのは俺なんだけど。腹は立つが、ああいうのがいると、俄然やる気になってくるから不思議だ。


 ライバル、というほど格好いいものでもない、というか顔を見るだけで腹立たしいあいつだが、モチベーションの向上には、間違いなくつながっている。


「あ、そういえばムラタさん。お姉さまがいま、お夜食をこしらえてます。ここで食べますか? お食事部屋で食べますか?」

「夜食か……。マイセル、君らと一緒に食事部屋で食べるってのは、アリかい?」


 俺の言葉に、マイセルは目を丸くした。


「……いいんですか? お姉さまが、ムラタさんの為にって作ってるのに?」

「せっかくリトリィが作ってくれてるんだろ? どうせならみんなでいただこうじゃないか」

「ほんとに? やったぁ! すぐお姉さまに言ってきますね!」


 マイセルが、実に嬉しそうに飛び跳ねながら部屋を出ていく。ドアも開けっ放しで。リトリィがここにいたら、間違いなくたしなめられていただろう。


 だが、そのおかげで、練った麦の焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。

 うん、これは期待していい。間違いなく。とっても。

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