第335話:デート

「……それで、連れ込み宿で?」


 ――ぱふっ!

 枕を叩く、しっぽの音。


 連れ込み宿……要するに、昼間に「ご休憩」した宿は、いわゆるラブホテルだったというわけだ。こっちの世界でも、そういう場所があったことに驚きだけど。


「マイセルちゃんから誘ったっていうのもおどろきましたけど、ムラタさんもそれに乗るなんて。わたしのときはどれだけお誘いしても、いちども乗ってくださらなかったのに」


 さっきまで、な年上の女性として、マイセルのことを、息も絶え絶えになるくらいにリトリィが、子供のように頬を膨らませ、俺に背を向けてつんけんしてみせている。


 ぱふっ!


 しっぽで枕を叩き、ちらちらとこちらを見つつ拗ねてみせている彼女が可愛らしい。けれど、彼女は今、真剣に怒っている、と思う。可愛らしいなどと茶化したら、さらにどれほど怒るだろうか。


 ぱふっ!


「わたしがお誘いしても、ぜんぜん、こたえてくださらなかったのに!」

「……ごめん」

「お誘いしても、ぜんぜん、こたえてくださらなかったのに!」


 ぱふっ!


 ……何度ループしているんだ、この話題。

 抱こうとすると、俺の手からするりと抜け出して、そしてまた同じことを言い始めるのだ。


「マイセルちゃんからの、連れ込み宿へのお誘いにはおこたえするんですね、わたしの誘いには、ぜんぜんこたえてくださらなかったのに!」

「……だから、ごめん」

「昨日はふたりっきりで逢引して、そして連れ込み宿でふたりっきりで……! 結婚してからふたりっきりになるときなんて、わたしには作ってくれなかったのに!」


 ぱふっ!

 音が大きくなった。

 勢いが強くなってきている。

 お怒りの度合いが上がったということか。


「……いや、マイセルはいつもさっさと寝てしまっているから、そのあとは毎晩、二人でたっぷり愛し合ってるだろ? 何を今さら……」


 たまらずそう言ったら、またしっぽが持ち上がり――そのまま、力なく、下ろされる。

 そして、唐突に、無言で、ぽろぽろと涙をこぼし始めたリトリィを見て、俺はやっと、自分の馬鹿さ加減に気づいた。


 マイセルと同じように、二人きりの時間が欲しかったのだ、彼女も。

 その約束さえしてやれば、彼女はそれでよかったのだろう。


 それを、俺がグダグダといつまでも謝ってみせたり言い訳をしてみせたりしていたことが、彼女は不満で、そして辛かったんだな。


 咳払いをしてから手を伸ばすと、彼女は一度、身をよじって俺の手から逃れようとした。けれど意図を察してくれたのだろう、もう一度手を伸ばすと、今度はすっぽりと俺の腕の中におさまってくれた。


 ふわふわの彼女の体は、柔らかくて抱き心地がいい。しゃくりあげている彼女をぎゅっと抱きしめると、その髪を撫でながら、俺はあらためて、唇を寄せた。


 ――避けようとしなかった。


「……じゃあ、明日ふたりっきりで、デートしよう」


 たっぷりと、唇の、舌の感触を堪能したあとで言った俺の言葉に、リトリィは小さくうなずいた。


「やく、そく……ですよ……?」


 そして彼女は、大きくうなずいてみせた俺を押し倒したのだった。




 昨日、リトリィを先に帰してマイセルと二人で街の住人に話を聞いたのは、そこが城内街だったからだ。


 なにせ獣人族への差別が公然とまかり通る城内街。彼女を連れていると、先日のようにろくでもない輩に絡まれる恐れがある。


 俺がリトリィを守れるような腕力があればいいのだが、残念だが俺にはそれだけの力がない。本当はリトリィに対する差別などはねのけることができるほどの力があればいいのだがそれもない。


 そのため俺は、あえてリトリィを家に帰したあとで、マイセルと二人で話を聞いて回ったのだ。

 そのほうが合理的だったし、間違ってもいなかったはずだ。リトリィも納得してくれていた。


 けれど、間違いではないから正しい、というわけでもない。リトリィを寂しがらせてしまったという面もあるからだ。


 だから、今日はリトリィと一緒に巡っても特に問題がないと思われる、門外街で情報収集をすることにした。もちろん、デート込みの話である。

 その辺りはマイセルも察してくれたようで、「行ってらっしゃい!」と元気に俺たち二人を送り出してくれた。


「こちら側の街だと、あまり鐘塔しょうとうに関心のある人がいないみたいですね」


 リトリィの言葉に、俺もうなずく。


 例の鐘塔について話を聞くために、俺たちは市場で目に付いた、暇――時間のありそうな人々に、片っ端から声をかけてみた。しかし、鐘塔のことについて知っている人はあまりいなかったのだ。


 やはり、城壁の向こうの話だからだろうか。鐘塔に対して関心のない人がいるどころか、壊れかけた塔が存在する、ということを知らない人もいた。自分の生活圏内に関わりがないことならば、積極的に知ろうと思うこともないのだろう。


 それにしても、俺たちがやっていることと言えば、とにかく老若男女を問わずに、鐘塔について知っているかどうか、もし知っていたら、取り壊すことについてどう思うかを聞いて回っているだけだ。


 なのに、どうしてリトリィはこんなにも嬉しそうなんだろう。

 俺の左腕に自分の腕をからめて、つばの広い、花飾りをつけた白い帽子の下から、俺を見上げては微笑んでみせる。


 別に、彼女と何か面白い話をしているわけではないし、彼女の喜ぶようなものを一緒に見て回っているわけでもない。

 ただ見知らぬ人々から、話を聞いて回っているだけなのに。


 ときどき彼女のしっぽが俺の足に絡みつくようにしているのは、きっとわざとだ。

 ときどき胸を押し付けるようにして、俺の腕を抱きしめようとしてくるのも、きっとわざとだ。

 「夫の話におつきあいいただき、ありがとうございました」とわざわざ「夫の」を強調しながら満面の笑顔で礼を述べるのも、間違いなくわざとだ。


 彼女にしてみれば、こうやって二人きりで歩く、それだけで十分に楽しい、ということなんだろうか。

 別に二人で甘ったるく愛を語らうようなこともせず、ただ他人の話を聞いて回る、ただこの程度のことが。


 ――こんな程度のことで、こんなにも喜ぶなんて。

 そう思ってしまってから、気づく。


 この程度のことが喜べる・・・・・・・・・・・ほど、俺はこの三カ月、彼女を喜ばせてやることができていなかったのだろう。

 夜はやたらせがまれていたけれど、それはつまり、昼間に寂しい思いをさせていたからなのかもしれない。




 「蜂蜜入り」を売りにしたパンケーキの屋台を見つけて、思わずそれに惹きつけられてしまった俺達は、ベンチに腰掛けてパンケーキを頬張りながら、街の人たちが行き来するのを眺めていた。


「……ふふ」


 となりでもふもふとパンケーキをほおばっていたリトリィが、小さく笑う。


「なんだか、結婚前、この街に来たばかりのことを思い出しますね」

「結婚前、か?」


 なんだか嬉しそうに俺を見上げた彼女は、そっと、俺の肩に身を寄せる。


「もう夫婦めおとなんですから、こんなこと、ほんとうはあたりまえなのかもしれませんけれど――」


 首に巻いた赤いベルトに、彼女がそっと指を這わせる。

 俺と揃いの首鐶くびわ。結婚指輪ならぬ、結婚首鐶くびわ


「こうして、なにも考える必要もなく二人っきりでいられたころが――あなたと、二人で生きることを夢見ていられたころが、なつかしいです」


 ――ぐっ。

 いや、その……マイセルのせいでそれができなくなった、そう言いたいわけだな?

 睦言むつごとっているようで、じつは呪詛のうめきだったわけか。リトリィ、それはきついです。


「それが、マイセルちゃんと二人でご奉仕する暮らしになるなんて。――あのころは想像もしていませんでした。ふふ、三人で愛し合うのも、楽しいですね」


 ――楽しいのかよ! リトリィ、ひょっとして俺のこと、嬲ってる?

 思わず聞いてしまったが、リトリィはくすくすと笑ってみせた。


「さあ……どうでしょうか?」


 そう言って、俺の口元をぺろりと舐めてみせる。


「ふふ、はちみつ味のあまい口づけ……あなた、だいすきですよ?」

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