第333話:思い入れ

「 いかがでしたかな、塔や鐘の様子は」


 鐘塔しょうとうから戻ってきた俺達に、レルバートさんが鍵を受け取りながら尋ねてきた。


 いかがですかと問われても。

 俺のヘマで転落しかけたこと以外は、塔自体は意外な頑丈さを保っているし、あの大きな鐘が落下したとは思えないほど、あの部屋の床も、これといった大きな損傷は見られない。


 莫大な費用をかけてまで、あの塔を建て直す必要があるんだろうか?

 俺の言葉に、レルバートさんは首を振った。


「もちろんです。最近は、壊れた壁や屋根から石のかけらや石材が落ちてくることが何度もありまして。この近辺に住む者達はみな、早くなんとかしてほしいと願っております」


 なるほど。

 現実問題として崩落の危険を間近に感じている人々がいて、その人たちにしてみれば早くなんとかして欲しいわけだ。


 でも、上ってみて、それほど急を要するようにも思えなくなってしまったのもまた、事実だ。


 そりゃ、実際問題として構造物にどのくらいダメージがあるのか、X線や超音波による検査をしたわけじゃない。自分が上った階段の、その周囲の平面を、なんとなく目視で確認しただけだ。

 破損箇所は確かに傷んでいるし、雨が降り込む場所の階段の木材は腐食もしていた。しかし、それだけだ。


 きっと、外壁よりも、鐘を吊っていた部屋――鐘楼しょうろうの方が問題なんだろう。

 鐘を吊っていたはりは、壊れる際に周りに破壊をまき散らした。破片は散らばったままだったし、応急処置のようなことも何もしていなかった。

 破片が落ちてくるというのは、塔の外壁というよりも、鐘楼の屋根か、そのあたりから落ちる奴なんだろうな。


 いずれにしても、近隣住民にしてみれば、危険を感じる以上、なるべく早く何とかしてほしい、ということなんだろう。この屋敷の住人も含めて。


 改めてレルバートさんからコンペティションの応募条件などを確かめると、俺は屋敷を後にした。




「鐘塔のことを知ってるかって? ああ、あのボロい塔でしょ? いつになったら壊すのかしらね。古臭いしボロいし、さっさと壊しちゃえばいいのに」


「鐘塔って、あの壊れたアレかい? 昔は一刻ごとに鐘を鳴らしてたらしいけど、ぼくは聞いたことがないから、よくわからないな。え? もしかしたらあれを壊すかもしれない? それはいいね、なるべく早く実現するといいなあ」


「鐘塔? ああ、あの『お化け塔』のことね? さあ、私、今日は遊びに来ただけで、別にこの区画に住んでるわけじゃないから」

「え、どうして『お化け塔』なのかって? あの塔、風が強い日に気味の悪い音を立てるんだって。だから『お化け塔』。ほんとかどうか? 知らない、そんなこと」


「鐘塔ですか? 私の若いころには、あの鐘で一日が回っていたものですが、いつのころからでしたか、鳴らなくなって久しいですね。つい先日、修理に失敗して、壁に穴が開いてしまって……早くどなたか、直してくれませんかねえ」


 マイセルと二人で街を回って話を聞いてみると、それなりに色々な話を聞くことができた。どちらかというと若い人にはあまり関心がもたれておらず、逆に年配の方は、思い入れのある人が多かったように感じた。


 歴史あるものに対する思い入れというのものは、こんなものなのかもしれない。日本でも、その辺りの事情は、きっと同じだろう。




「可愛らしいお嫁さんだね、新婚さんかい?」


 マイセルのことを一目で見抜いた露天商のおばちゃんが、揚げ物をすくいながら続けた。おそらく、揃いの首輪を見てのことだろう。

 マイセルも、満面の笑みを浮かべて揚げ菓子を受け取る。


「あの塔かい? そうだねえ……鐘が聞かれなくなってずいぶん経つけど、アタシらが小さいころから見上げてきたものだし、思い出も多いからねえ……」


 露天商のおばちゃんは、感慨深げに見上げながら言う。


「でも、何年か前に壊れちまってからは、危ないってんで近づくこともできやしないんだよ。うわさじゃ、壊しちまうって話さ。もったいないことにね」

「何言ってやがる。前にも言ったろ、落ちてきた石の欠片で大怪我をしたヤツだっているんだ。直らねえモノなら、壊しちまった方がいいんだよ」


 おばちゃんの隣で生地を麺棒で伸ばしていたおっちゃんは、誰を見るともなくつぶやいた。


「老いさらばえて役に立たなくなった姿を、だらだらといつまでもさらしておく方が、可哀想ってなもんだ」

「アンタはまたそう言って! アタシらが結婚したのはどこか、忘れちまったのかい!」

「忘れるもんかよ!」


 麺棒で伸ばした生地をくりくりとひねりながら、おっちゃんは声を荒げた。


「アイツぁ、オレたちの出発点だろうが!」

「だったら壊しちまった方がいいなんて、縁起でもないこと、お言いでないよ!」

「だからこそだろうが!」


 おっちゃんは、塔のてっぺんを麺棒で指しながらおばちゃんに怒鳴り返す。


「オレたちの門出を、その頭のてっぺんで祝ってくれたアイツだよ? 華やかさはねえが、いっぱしのいぶし銀なツラしてシャンと立ってたアイツがだよ? 風の強い日にゃあ、すすり泣くような音を立てて身を震わせるありさまになっちまいやがって。いっそ、さっさと壊してやった方が、昔の思い出のまま残り続けるってもんだ!」

「何も壊しちまうことないじゃないか!」

「うるせえ! 誰でもいつかはおしめぇになるんだ、あの塔アイツにもその順番が巡って来たってこった!」


 ぎゃあぎゃあと夫婦げんかが始まってしまったので、あわてて礼を言って立ち去ろうとすると、おばちゃんの方が「待ちな!」と引き留めてきた。


「アンタ、どこでそのお嫁さんと結婚したか知らないけどね! ウチのへそ曲がりみたいに、その場所を壊しちまえなんてこと、言うような男になるんじゃないよ!」

「おい兄ちゃん! 人間、引き際が肝心なんだ! オレぁ、あの塔が可哀想でいけねえ! 引き際を見誤ったヤツが、よろよろとなにかにしがみついてるかのようなザマを見せてるみたいでな……諦めも、時には大事なことってこった!」

「なにが引き際だい、これだから男ってヤツは! だったら店潰したときにさっさと首くくってりゃよかったんだ、この甲斐性無し! いいかい兄ちゃん、生きてりゃそれでいいんだよ! 誰だって何だって、生きてりゃ勝ちなんだからね!」


 そう言って、「おまけだよ! そんな可愛い嫁さん、ウチのへそ曲がりみたいに変な矜持を振り回して泣かすんじゃないよ!」と、揚げたての菓子を放り投げてくる。


 俺はかろうじて受け取ると、あまりの熱さに、慌ててマイセルの持つ紙袋にそれを放り込んだ。たちまち麺棒を取り上げられて制圧されたおっちゃんに、ちょっとだけ同情しつつ、礼を言ってそそくさと露店を後にする。




「えへへ……私、城内街でもちゃんとムラタさんのお嫁さんに見えるんだ……」


 実に嬉しそうに腕を組むマイセル。

 今日は珍しく、俺の左腕・・にぶら下がるようにしている。俺の左腕はいつもリトリィの指定席だったから、なんだか新鮮な気分だ。


「いや、どう見ても夫婦だろ?」

「だってムラタさんは大人の男の人って感じがするのに、私はまだ、見た目が子供っぽいですから」


 せめて、お姉さまみたいに胸とかお尻とかが大きかったら、もう少し大人っぽく見えたのに――マイセルは、ほっぺたを膨らませる。


「いや、マイセルは今のままで十分可愛いから」

「……それ、子供っぽい女の子が好きって意味ですか?」


 探るような目つきの彼女に、俺は慌てて首を振る。いや、俺はマイセルらしさという意味で今の彼女のままでいいっていう意味で、決して俺がロリコンとかそーいう意味ではなくてだな……!


 しどろもどろになる俺に、マイセルはさらに頬を膨らませてみせる。

 だが、彼女はふと視線を上げ、そして、俺を見て、目をそらしながら、蚊の鳴くような声で続けた。


「……じゃあムラタさんは、私のことが、として、お好きなんですか?」

「そ、そりゃあもちろん!」


 胸を張って答えると、マイセルは目をそらしたまま、歩みを止めた。つられて俺も、足を止める。


「じゃあ――」


 マイセルは、その右手に、ぎゅっと力を入れた。

 いつもならリトリィの指定席である、俺の左腕を、抱え込むようにして。

 リトリィへの土産も兼ねた、揚げ菓子を入れた袋を抱えたまま、左手で、やや先の方にある建物を、指差す。


「……あちらで、、していきませんか……?」

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