第332話:破壊の爪痕
リトリィが先頭を行き、リトリィのしっぽを掴むようにして俺が続く。その後ろをマイセル。
なんとも格好の悪いことだが、こうしないとリトリィが上らせてくれなかったのだ。
「足元の傷み具合がわからないとおっしゃるなら、わたしが先を歩いて確かめます。それができないなら、戻りましょう」
さすがリトリィ。俺のためだと判断したら、絶対に譲らない。俺はおとなしくその提案に従うことにし、だからリトリィのしっぽを掴んで歩く。しっぽを掴まなければならない理由は、ちゃんとついて来てくれているか、不安になるためだそうだ。
「だって、わたしだってうしろに目がついているわけではありませんから」
後ろを振り返りながら歩くわけにも、まして手をふさぐわけにもいかない以上、手っ取り早く俺の存在を感じていられるのがこの方法、というわけだ。
「わたしが足を乗せた場所を、歩いてくださいね?」
何度も念を押されてから歩き始めたのだが、それにしても感嘆するほかはない。山を歩くときにも思ったが、彼女の気配りの力は本当にすごいのだ。俺のペースを見ないでも理解しているかのように、ぴったりと前を歩く。
小さい子が手を繋がれて歩くようなもので、少々恥ずかしい。だが、彼女が俺の安全の為にと考えてくれているのだ。本当にリトリィには世話になってばかりだ。
階段を上り切った先の踊り場に、ようやくたどり着く。
錆びついた重い扉を、リトリィが開ける。
差し込んできた光の筋と、ふわりとリトリィの髪を舞い上がらせる風。
それまでの薄暗い石壁の世界から、唐突に真っ青な空の世界に放り出されたような気分だった。
「わあ……すごい! 街って、こんなになってたんだ……!」
俺の後ろで、マイセルが歓声を上げる。
そこは、ちいさなバルコニーのようになっていた。
澄んだ青い空、所々に浮かぶ白い雲。
手すりに手をかけて身を乗り出すと、街のすべてを一望できるかのような、素晴らしい眺めを堪能できる。
「すごい……わたしたちの山、あんなに青々としていたんですね」
リトリィが、北の方にそびえ立つ山々を見てつぶやいた。
そういえば、街に来てからもう、山を見上げることもほとんどなくなっていた。
俺とリトリィが出会った山はいつの間にか青々として、すっかり夏の装いである。
「お父さまもお兄さまも、ちゃんと三度のお食事、とっているでしょうか……」
ああ、そういえば結婚の報告の為に一度山に帰ったとき、まともに飯を食っていないような様子だったな。
……あ、でも、そういえば。
「多分、大丈夫だろう。ほら、ええと――ウサギ耳のあの女性、なんといったっけ?」
「メイレンさん……ですか?」
そう、それ。
フラフィーの
「……なんだか、もうしわけない気がします。あの父たちのお世話をおしつけてしまったような気がして……」
……あー、なるほど。
まあ、きっと大丈夫だよ。山暮らしにだって、すぐ慣れるさ。なにせ、街育ちの俺が、それなりに慣れたんだから。
リトリィが、少し困ったような笑顔を浮かべる。まあ、ここであれこれ心配していても仕方が無いことだ。山のみんなの暮らしは、彼らが自分で何とかするよりほかあるまい。
視線を下げると、青々とした山から、今度はくすんだ赤褐色の、波状の屋根瓦を乗せた家々が視界を覆い尽くす。
網の目のような街路に沿うようにして立ち並ぶ、石造りの家々。細い街路を、豆粒のような人々が行き交っている。
街を歩いている時には気づかなかった、ロの字型の家々。どの区画も、中庭を囲むようにして造られている家がほとんどだ。
なるほど、こういうことか。
城内街には庭のない、じかに街路に面する家が多いと思っていたが、こうなっていたんだな。
「ムラタさん、見てください! あっちです、見えますか? 私たち職人の守護神、キーファウンタ様の神殿ですよ!」
マイセルが、手すりから身を乗り出すようにして、実に嬉しそうに見回したあと、俺を呼びながら、ある一点を指した。
……ああ、あれか。芸術と職人の神サマであるキーファウンタの神殿。質素――もとい! ごてごてとした装飾のないシックな雰囲気が、他の神殿とはずいぶんと雰囲気が違う。
「今度のお仕事もたいへんそうですし、神さまのご加護がいただけるように、あとで、みんなでお祈りに行きましょうね」
リトリィが、風にあおられる
「結婚式でもお世話になりましたし」
結婚式で世話になった、確かにそうだ。家まで、祭壇をもってきて結婚の誓いを上げさせてくれたのだから。――たとえ積み上げたカネの力によるものだったとしてもだ。
マイセルが神殿を見つけて教えてくれたからだろうか。ところどころに立っている、家とは趣の異なる大きめの建物が、おそらくは神殿なのだと気づく。
基本的に、どの神殿もそこらの屋敷よりは高い。神はいと高きところにおわす、というのは、この世界でも同じらしい。
それから、ここからだとやや遠くに見える見慣れた城壁のほかに、街の中を隔てる、すこし低い城壁が見える。万が一、外側の城壁が突破されたときに、時間を稼ぐための構造物だろう。
ただ、形が直線的で、どこか幾何学模様のようにも見えるのがちょっと不思議だ。重要施設を守るために配置された、という感じには見えない。どういう意図で作られているのだろう。
ひとしきり大パノラマを堪能したあと、改めて鐘の様子を確かめることにする。
「うわ……」
「……ひどい!」
バルコニーから一段上に向かうはしごを使って、鐘が据えられていたはずの部屋まで上った俺たちは、その惨状を見て絶句した。
鐘は、一つだけではなかった。
巨大な鐘が中央に一つ、そしてやや小ぶりな鐘がそれをはさんで二つ。
それが直線的に並び、一つの巨大な鉄製の
だろう、というのは、その梁ごと、いまは落ちているからだ。
鐘そのものは、変な角度に転がっていたりせず、そのまま床に伏せるように落ちたような状態だった。南西の隅に固まるようにして落ちている以外、一見したところ、大した傷がついているようには見えない。
「ムラタさん、これ、直せるんでしょうか?」
「……まず、持ち上げるための工作機械が必要だな」
「……持ち上がるんですか?」
マイセルが鐘の上に覆いかぶさっている、いびつに変形した梁に手をかけた。当然ながら、びくともしない。
「マイセルちゃん、あぶないですから、触らないで?」
「でも……」
「だんなさまが、そのうちきっといいお知恵をくださいますから、それまでは」
ごめんリトリィ。今は全く思いつかない。
それこそクレーンが欲しい。せめてチェーンブロック。
チェーンブロックも、俺がゴーティアスさんの屋敷で作った即席のものじゃなくて、ちゃんとした鋼鉄製、鋼鉄の鎖のもの。
いったい、なにがどうなってこんな有様になったのか分からないが、鐘を支えていたであろう梁の方が、梁を支えていたであろう、木っ端みじんに砕けた石の柱ごと、鐘の上に覆いかぶさっている。
しかもこの梁、ただ落下しただけじゃない。おそらく、鐘が落ちる際に、天秤の片方に重量物が集まった時の挙動そのままに、梁が崩落する際に周りのものをなぎ倒したのだろう。
大小さまざまな瓦礫が、手つかずのまま残されていた。
「……ここだけ、屋根も、尖塔も、なくなっちゃってますね……」
マイセルが、北東の角の崩壊した柱のあとから、上を見上げながら言った。
彼女が言う通り、この塔の頂上の屋根は、東から北東にかけて、えぐるように失われている。北東の柱は完全に破壊されて瓦礫と化し、その上の構造物も失われていた。
大質量の鐘がずれ落ちることによって、梁の反対側が跳ね上がるように動いたとき、東から北東の隅にかけて、内側からえぐるように構造物をぶち破った――そんなところか。
マイセルが、破壊された柱の残骸の一つを拾い上げ、そしてまた、見上げる。
「……そう、ですね。きっとそのときに、ここの上にあった尖塔が壊れて……」
「落下する際に塔の壁を壊した、といったところだな」
「それで、ムラタさんが落ちかけたってわけですね」
マイセルが笑う。俺は苦笑いだ。いや、ほんとに怖かったんだぞ、あれは。
それにしても、本当に何をどうしたらこんなことになるんだか。塔を破壊したクソ貴族とやら、余計なことをしやがって。
いや、そのおかげでメシの種ができるかもしれないのだから、……うーん、感謝すべきなのか?
いずれにせよ、想像以上の破壊が、ここでまき散らされたということだ。むしろ、よく床が耐えたものだ。鐘三つの落下の衝撃に。
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