第329話:創るために壊す

 鐘塔の損傷が目立ってきたから建て替える。


 口で言うのはたやすいが、実はそう簡単なことじゃない。

 中空で中は空っぽ、上の鐘のところまで上る階段くらいしかないらしいとはいえ、なにせ高さ百尺――約三十メートルの石積みの塔なのだ。


「あの塔は百尺あるというお話ですが、百尺あれば、百尺分の石材が、解体の際に廃材として出てくるわけです。捨てるにしろ再利用するにしろ、その置き場が必要になりますが、その場所は確保できるのですか?」

「む……。ですがその程度、この屋敷の裏庭辺りで十分ではありませんかな?」


 三十メートルの塔の石材が、裏庭に全部積み上がるのか?

 どれだけ広いんだ、羨ましい。

 だが、その石材が今後何年もの間、裏庭を占領し続けるんだが?

 俺はひきつりそうになる顔面を無理矢理押さえつけるように、強靭な精神力で平静を保つ。


「その際には大量の石材カスやほこりなども出るでしょう、毎日のように。近隣住宅――このお屋敷も含めて、それには黙って耐えていただけるんでしょうか。

 解体だけでも数カ月、その間、お召し物もお食事も、ほこりにまみれる生活となりますが、よろしいですか?」

「そ、それは……」


 貴族としては、ほこりにまみれる生活など、死んでもごめんに違いない。だが、解体を選択するなら避けようのない問題だ。


「根元を壊して、一気に壊してしまえばよいのではないですかな? その日はほこりもひどいでしょうが、すぐに終わらせることができるように思いますが」


 あー、発破はっぱ! 俺もテレビなどで見たことはあるよ! アメリカではよくあるらしいじゃないか。あれは爆薬を使った芸術だね!

 だけど、残念ながらソイツは専門家が厳密に火薬の量や場所を計算してるからできるんだ。素人が思いつきでやったら、単なる派手な爆破ショーになるだけだ。


「解体は、何日もかけて、上から順に進めないといけません。もし下から壊したら、倒壊してしまいますから。

 倒壊という手段を取ってもよいのであれば、確かにその一瞬で塔の解体は終わるでしょう。ですが、どう倒れるかは未知数です。想定外の場所に倒れてしまった場合、『想定外だった』では済まされない被害が発生します」


 レルバートさんが息を呑む。俺は畳みかけるように続けた。


「最悪の場合、このお屋敷に向けて倒れることもあるでしょう。すると、この歴史と伝統あるお屋敷は、一瞬で塔と共に瓦礫の山になります。それでもよろしいですか?」


 レルバートさんの目が険しくなる。

 まあそりゃそうか。あなたの提案を呑むとあなたの職場がぶっ壊れますよ、いいんですか。そんなぞんざいな言い方をされて、いい気分はしないだろう。


「ご依頼主様は、おそらく『古いものが壊れかかっているなら新しいものを作ればよい』、そうお考えになられて、今回の公募を発案されたのだと思います」


 俺は、あえて微笑んでみせた。あなたのせいじゃないですよ、と。


「古く、危険なものを取り除き、新しく、未来への展望あるものに作り変える。街も新しくなる、とても魅力的な提案です。ですが、その実現のためには、まず乗り越えるべき現実があります」

「乗り越えるべき現実、ですか」


 既に完成され、老朽化した部分をちょっと修復するくらいしか建築需要のないだろう、この城内街。火災でも発生すれば別だが、そうでなければわざわざ建物を壊すなどということは、なかなかないだろう。素人ゆえに、安易に考えてしまったとしてもしかたがない。


「いまある老朽化した建物をどのように取り扱うか、新しいものへの挑戦をどうするか。私も、今回の提案には大きな魅力を感じているところではありますが、その前にまず、いくつかの提案をさせていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか」




「塔の改築の依頼をしたというのに、塔の破壊の話を持ち出されるとは思いませんでしたな」

「なにごとも順番ですからね。この街で何かを新しく建てようと思ったら、まず壊さないと話が進みませんから」


 スクラップ・アンド・ビルド。空き地などないこの街では、そうするしかないのだ。

 限られた空間をいかに活用するか。折り合いをつけ、新しいものに挑戦するか。


 イタリアのピサの斜塔、イギリスのビッグ・ベン、ドイツのウルム大聖堂、スペインのサグラダ・ファミリア――元の世界にあった、世界各地のいろいろな塔が頭に浮かんでくる。


 俺自身が持っている資格は二級建築士。頭をよぎる建築物など、俺の資格が有する範囲内では建てることなどできない。

 けれど、ここは日本ではない。俺が蓄えてきた知識を応用して、挑戦することはできるはず。なかなか刺激的な経験ができるはずなのだ。


 ただ、今日ここに来て、そしてレルバートさんと話していて、もう一つ、思うことがあった。


『ほ、本当ですか! ヤースゴンゲン公のお屋敷――最初の『眠れる猫』の、本物なんですか!? 三百年も前の人が作ったものの、その、最初の本物ですか!?』


 先ほどの、マイセルの興奮した声がよみがえってくる。

 ――古いものは、本当に、取り除かれなければならないのだろうか。




「ムラタさん、どうして、あんなことを言ったんですか?」


 マイセルが、珍しく眠りにつかない。

 リトリィが、マイセルの向こうでちょっと残念そうな顔をしているのが、笑っちゃいけないけど、おもわず笑ってしまいそうになる。


「あんなことって、なんだ?」

「レルバートさんに言った、最後の言葉ですよ。ええと――」


『古いものは、本当に、取り除かれなければならないのですか』

 

「ああ、あれか」


 不思議そうな顔をしているマイセルに、俺は笑いかける。


「そんなに不思議なことか?」

「だって、あの塔を壊さないと、新しい塔が建てられないでしょ? そしたら、ムラタさん、一つお仕事がなくなっちゃうんですよ?」


 まあ、確かにそうかもしれない。せっかく新しい仕事になりそうなのに、その可能性を事前に潰そうというような意見と考えれば、マイセルの疑問も分かる。


「いや、マイセルの話を聞いて、思ったんだよ」

「私ですか? 私、あのときおとなしくしてましたよね?」

「いや、失言とかじゃなくて」


 思わず笑ってしまったあと、頬を膨らませたマイセルの頭を撫でてやりながら答えた。


「マイセルはさ、あの部屋で、ジンガラウって人の彫った猫をみて、すごく興奮してたよな」


 マイセルは一瞬、目を丸くし、そしてうろたえた。


「あ……あ、あのときですか!? やだ、私、レルバートさんに挨拶もしないでいろいろ質問しちゃった、あのときですよね……!?」

「ああ。君の好きなものが建築だけじゃないって分かって、楽しかったよ」


 俺の言葉に、マイセルは両手で顔を覆って身もだえる。


「ムラタさんの意地悪……! そんな言い方しなくたって……!」

「いや、それで俺は考えたんだけどさ」


 マイセルの頭を撫でながら、俺はリトリィにも向けて、言った。


「新しいものにしか、価値はないのかな。以前からあるもの――ずっと、黙々と支えてきてくれたものを、古くなったから、少し傷んだから、捨ててしまう……それで、いいんだろうか」


 リトリィが、少し、目を見開く。

 マイセルと、俺とを、見比べて。


「俺は、この街に来てまだ数カ月しか暮らしていないけど、この街にだって歴史はあるってことが分かるし、今日も分かった。

 ――あの無骨な四角い塔だって、誰かが必要だと思ったから建てて、誰かが有用だと思ったから鐘を据えて、誰かが街の為に鐘を鳴らし続けてきたんだよ」


 マイセルが、顔を上げる。


「ええと、でも……壊れかけてて、危ないってお話ですよ?」

「古いものをそのまま使うか、新しいものに乗り換えるか。その二択しか、方法はないのか?」


 マイセルに手を伸ばし、抱き寄せる。


「壊すっていっても、それはモノだけに限った話じゃないんだ。習慣、考え方、思い込み。俺は、それを何度もリトリィに教えられた。

 ――リトリィ、おいで?」


 手招きすると、ためらいながらも、リトリィもそばに寄って来た。

 その体を、ぎゅっと抱き寄せる。


 普段はふわふわな毛で覆われているから気づきにくいけれど、抱きしめると分かる、その細い肢体。

 その細腕で、何度も俺を助けてくれたんだ。

 俺がこの世界に来てから、ずっと。


「俺は、ずっとこの街を支えてきたものをないがしろにはしたくない。マイセルが、古い美術細工が残されていたことに、感動していたのを見て、そう思ったんだよ。

 ――新しいものだけに価値があるんじゃない。

 価値は、両立できるんだ」


 そう言って、リトリィをじっと見る。

 彼女の目が、すこし、潤んできたのが分かる。


 ――彼女なら、俺の意図を分かってくれると思ったよ。

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