第328話:マイセルと『眠れる猫』

「なるほど、依頼を承諾すると」

「やはりこれも、一つの機会だと思いましたので」

「機会、ですか」


 騎士風の男は、実際に騎士だった。十騎長のデーンさんというらしい。要するに、十人の騎士のリーダーというわけだ。課長さんあたりの権限の人なのかな、と、なんとなく日本の会社を思い浮かべる。


「どうぞ、こちらです」


 話をしているうちに庭園を抜け、館の入り口にたどり着くと、俺はあらためてデーンさんに礼を言った。門の前で門衛の野郎と揉めているところにデーンさんが通りがかっていなければ、俺は間違いなく追い払われていたに違いないからだ。


 やたらとでかい壮麗な玄関ではなく、見慣れたサイズのドアまで案内されたが、客とはいっても俺はただの庶民。出入り口が分けられていても不思議ではない。


 ちょっとした小部屋に案内されて、しばし待つ。


 部屋に来るまで、庭でもドアの前でも廊下でも「ふおぉぉぉおおおおおっ!!」と、興奮しながらあちこちきょろきょろしていたマイセル。

 今度は部屋中の、大したことのなさそうな造形にへばりつくようにして、目を皿のように開きながらなめるように見入っている。


「……マイセルちゃん。お客さまのおうちですよ? 失礼のないようにしないと……」


 ややあってリトリィがたしなめるが、マイセルの奇行は収まるどころか、さらに加速する。


「ごめんなさいお姉さま! でもムラタさん! 見てくださいここ! ほら、見えますか!?」


 ごめんリトリィ。

 この子のモノづくりへの愛、なめていました。そういえば出会って可愛らしいなあと思った時も、街の建築様式の歴史や変化を熱く語っていたときだったっけ。


「ほら、この透かし彫り! 『眠れる猫』ですよ! ジンガラウ・ヒンダリィが好んだ造形ですよ! これ絶対、弟子とかじゃなくて本人の作ですよ!! 見てください、この目元と口元!」


 きゃーきゃー言いながら大はしゃぎだ。


「ほら! オライブの木の、木目の美しさを最大限に生かしてて! まるで本物の斑猫ぶちねこみたいですね、素敵!!」


 壁の装飾にへばりつくようにして語り続けるマイセル。リトリィはとがめるのを諦めたらしい。首をかしげながら、微妙な笑顔で生暖かく見守っている。

 なるほど。かつての同僚だった島津が、居酒屋で猫耳キャラへの愛を熱く語っていた姿を前にしていた時の、俺みたいだ。


 でも、マイセルが生き生きしているのを見るのは楽しい。席を立って見に行くと、実に嬉しそうに、その精緻な透かし彫りの説明を続けてくれた。リトリィも少し迷ったようだが、こちらに来て、その彫刻をそっとなでてみたりしながらマイセルの話を聞き始める。


「ジンガラウはもともと細工師なんですけど、この『眠れる猫』は、ヤースゴンゲン公のお屋敷で初めてつくって以来、ジンガラウの代表作品として、東国風オシュトールを取り入れるお貴族様のお屋敷や神殿に、紛れ込ませるように彫り込むようになったんですよ!」


 なるほど、ジンガラウという人物が好んで用いるモチーフということか。そんな有名なものが、こういった一般人向けの小部屋に使われているとは。


「……でも、本物とは限らないぞ? コピー……ええと、誰かが、本物を真似て作ったものかもしれないし」

「そんなことありません! この、ふっくらした丸みとか、木目を猫のブチに見立ててるところとか、とってもこだわりを持ってつくられていますから!」


「……さよう、本物でございます。ジンガラウの作品とお気づきになられるとは、なかなかお目が肥えておられる」


 いつのまに入って来たのか、レルバートさんが後ろに立っていた。マイセルが、目をキラッキラと輝かせてレルバートさんに詰め寄る。


「ですよね! お屋敷が建てられた時代と少し合わない気がするんですけど、ひょっとしてどこか別のお屋敷のために作られたものを、こちらに持ってきたって感じですか!?」


 レルバートさんは、その勢いに少々たじろぎながらも、微笑みを浮かべた。


「おっしゃる通りです。これはヤースゴンゲン公のお屋敷が改修される際に、高名な細工師たちの手による数々の装飾が失われるのを惜しんだ先々代が、引き取ってこられたもののひとつでございまして……」


 レルバートさんの言葉にマイセルは一瞬絶句し、

 そして何度も彫刻とレルバートさんの顔を見比べ、

 そして飛びついた。


「ほ、本当ですか! やっぱりヤースゴンゲン公のお屋敷――最初の『眠れる猫』の、本物なんですか!? 三百年も前の人が作ったものの、最初の本物ですか!?」

「もちろんでございます」


 なんていい人なんだレルバートさん。歓声を上げてさらに繰り出されるマイセルの矢継ぎ早の質問に、わずかながら微笑みすら浮かべて答えてくださっている。貴族仕えの執事さんなのに。


 ……しまった!


「失礼しました、昨日お話をいただきました、ムラタです」


 俺は慌てて背筋を伸ばすと、右手を挙げてみせる。リトリィは俺に合わせてドレスの裾をつまんで礼をしてみせ、マイセルは一瞬ぽかんとして、そしてリトリィを見てあわてて同じように礼をしてみせた。


 レルバートさんも右手を挙げながら、慇懃に礼をする。


「いえいえ。美に対する意識の高い、実に愛らしい奥様ですな。お仕事の片腕として、よく支えてくださっているのでは。羨ましい限りでございます」


 褒められてよほど嬉しかったのか。

 両手を頬に当て、至福の表情でくねくねと、実に挙動不審なマイセル。


「え? だって、ムラタさんのお役に立ててるって、褒められたんですよ? 嬉しいに決まってます!」


 うん、実に可愛らしい。可愛らしいが、もう少しお世辞に対する抵抗力をつけないと、そのうちおだてられた挙げ句に変な失敗をしないか、少々不安になる。


「お待たせして申し訳ございませんでした。ムラタ様、例の件について――色よい返事をお持ちになってくださったのでございましょうか」


 彼の言葉に、俺はうなずいた。

 ビジネスの話になったせいだろうか。

 先程の、無表情ながらも和らいだ表情だったそれが、昨日、うちに来た時と同じ、やや厳しい視線の無表情に戻る。


 だが、あらためてコンペに参加する旨を伝えると、ほんの少し、ほっとしたように少し頬が緩んで見えたのは、気のせいだろうか。


「それで、昨日もお話を伺いましたが、改めてお聞かせ願いたいのです。今後、どのような工事を求めていらっしゃるのか、という話です」

「どのような……ですか? 鐘塔を改築したい、では、いけませんかな?」


 俺の意図が、いまいちよく理解されていないようだ。

 まあ、建造物を壊して建て直す、なんて経験は、普通の人にはそうあることじゃないからな、しかたがない。


 今回のコンペの前提は「改築」ということだから、今ある塔を解体して、新しいものを建てる、という話になる。


 この、「元あったものを壊して新しいものを建てる」というのが、簡単なようで実は意外な難しさをもつ。


 例えば、現代の日本では、戦後から高度経済成長期あたりまでに建てられた建物が寿命を迎えるなどして、建て替えが進んでいる。


 しかし、当時の耐震基準と現在の耐震基準は大きく違っている。また、省エネの為に高気密・高断熱住宅が求められているから、壁の厚みや柱の数などの条件が厳しくなっている。


 さらに、防火・防災の観点から、所有する土地の中で建物に使える広さに制限がかけられている。これを「建蔽けんぺいりつ」というんだが、以前よりも厳しくなっていることがある。


 例えば「建蔽率五〇パーセント」の地域では、土地の面積の半分までが家に使ってもいい、ということになる。

 家を建てる時は、こうした制限の範囲内に収める必要があるんだが、こうした制限、特に建蔽率の問題によって、「建て替え」をすると、以前よりも狭い家しか建てられないというケースが発生しうるのだ。


 リフォームの場合は、建蔽率の制限を受けることなく、古い家の「基礎」の広さをそのまま利用できるのだが、基礎に脆弱性がある場合、その脆弱性を抱えたまま、その家に住み続けることを覚悟しなければならない。

 もしくは基礎の耐震性を上げるために、いっそ建て替えた方がすっきりするかもしれないくらいの出費を強いられる場合もある。


 だから日本、特に古くからの住宅密集地では、建て替えを巡るいろいろな悩み事があったりするのである。


 そんな問題、異世界には関係ないだろうと思われるかもしれない。だが、こっちはこっちで色々と面倒くさい問題があったりするのである。建物の高さ、使用する建材、そして建築様式。なんと、施主の思い通りにできないのだ。

 またいずれ紹介できたらとは思うが。


 ――話がそれた。


 この屋敷に入る前に見た、この屋敷の背後に立っていたあの四角い塔。あの塔を建て直すにしても、あんな細長い塔をそのまま建て直すというのは、ちょっと勇気がいる。鉄筋コンクリートならともかく、使える素材は石かレンガなのだから。ちょっと大きな地震が来たら、崩れ落ちてしまいそうだ。


 せめてもう少し根元の辺りは太くしたい。けれど、来るときに見えた程度の情報だと、屋敷に隠れて、どれだけの土地が使えるのかが分からない。周りには家も密集しているだろうし、どこまでできるんだろう。


「改築ということは、今ある塔を壊して、新しい塔を建てるのですよね?」

「さようでございますな」

「すると、まず壊す工事が必要になりますが、よろしいですか?」

「必要でしょうな」


 レルバートさんが軽くうなずく。

 ――あかん、コレは絶対に分かっていない顔だ。

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