第四部 異世界建築士と幸せの鐘塔

第325話:コンペティションへの誘い(1/2)

 リトリィと、マイセルと、そして俺。三人で結婚式を挙げてから、早いものでもう三カ月が経とうとしていた。


 俺たちが愛を誓ったシェクラの花は、青々と茂る葉の影に、丸々とした赤い実を実らせている。

 かなり酸っぱくて渋みもあるらしいが、一応食べられるそうだ。もう少し熟したら収穫し、マイセルがパイを焼くと言っている。焼けば酸味がとんで甘みが出るらしいので、今から楽しみだ。


「わたしたちが愛の誓いを立てた木ですから、そのぶん、あまい実をつけてくれるとうれしいんですけどね」


 リトリィが珍しく冗談を言う――そう思ったら、ほっぺたをふくらませた。


「わたし、冗談なんか言ってません。ムラタさんは、わたしたちの愛の誓いが、すっぱいものだって言いたいんですか?」


 まさかそんなことで機嫌を損ねるだなんて思わなかったし、マイセルまで「お姉さまの願いを冗談だなんて!」と怒り出すものだから、ふたりに平謝りだった。


 リトリィなりに、真剣に願っていたんだろう。俺たちの愛を反映して、この木が、すこしでも甘い実をつけてくれることを。

 そしてマイセルはそれを理解し、一緒に願ってくれているのかもしれない。


 そんなリトリィとマイセルだが、いつも一緒にいてものすごく仲がいい。ともすれば、俺をそっちのけでなにかやっていることもある。


 今だって、ふたりしてこそこそと何かやっている。見ようとするとひどく狼狽するリトリィと、怒って部屋に立ち入らせまいとするマイセル。


 マレットさんに、かつて、こんなことを言われたっけ。


『……なあ、ムラタさんよ。俺は、マイセルを、あんたの嫁に出すんだよな?』

『……リトリィさんの嫁にするわけじゃ、ないんだよな?』


「マイセルは、順調に、リトリィの嫁になりつつあるような気がしますよ、マレットさん……」


 ――今、そんな気分に浸っている。こうして一人でお茶をすすっていると、特に。

 なあ、二人とも。今、二人が占領しているそこ、俺の書斎というか、仕事部屋のはずじゃなかったっけ。




「……狭い事務所ですな」

「ははは、なにせ本来はただの集会所程度の用途を想定していましたもので」


 失礼な奴だな! という本音はおくびにも出さず、さわやか営業スマイルを崩すことなく応対できている自分の顔面をねぎらう。


「……本来なら、かような街大工などに寄こされる話ではないのですが、我が主が広く手を集めよと」


 ロマンスグレーのオールバック、糊のきいたパリッとした上着とシャツ。口ひげはあくまでも上品で、単眼鏡モノクルの奥の眼光はあくまでも鋭い。


 男性は、レルバートと名乗った。

 うん、どこからどう見ても上級使用人、ぱっと見、執事クラスの偉いひと。

 なんでこんなひとが俺の事務所に来るのやら。


「マレットさんにも話は通っているのですか? 私は主に設計を担当し、それをもとにマレットさんのところが動くというが、私どもの動きとなるのですが」

「マレット……? 伺っておりませぬが」


 ――ん?

 マレットさんに、話が行っていない?

 俺が眉をひそめると、レルバートさんは眉一つ動かさずに言った。


「私が知らぬということは、他の者が使いに行っているのでしょう」


 ……まあ、そういうものかもしれない。この家を建てる時にも、マレットさんはほかの親方からヒヨッコたちを借り出してきた。

 つまり、マレットさんのほかにも棟梁はいるし、当然、幾人かの大工もそれらの棟梁の元にいるわけだ。


 そういった人たち全員に、ひとりが当たるのも不合理だ。手分けして連絡に行っているのだろう。


「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」


 リトリィがやってきて、深々と頭を下げた。ナリクァンさん直伝の優美な所作で、カップに茶を注いでいく。


 レルバートさんは一瞬だけリトリィに視線を向けたが、あとは眉一つ動かさず、俺の方をじっと見つめていた。


「それで、受けてくださるのでしょうな」


 俺が受諾するのは至極当然とばかりに。なるほど、仕事内容自体に絶対の自信があるらしい。


 今回、レルバートさんが持ち込んだ仕事というのが、「鐘塔しょうとう」の改築だった。多くの大工に、そのデザインの提出を呼び掛けているという。


 複数の業者からデザインを募集し、最も優れた案を採用する――いわゆる公共建築物のデザインの公募コンペティションというやつだ。なるほど、この世界にもそういった考え方はあるらしい。

 日本でも、盛んにおこなわれている手法だ。東京五輪のスタジアムなども、そうやって選ばれている。


 ただ、二級建築士――権限の許される範囲が個人の一戸建て程度の俺が、そんな大規模なコンペに参加する資格などあるはずもなかった。だからこそ少々、胸が躍る。


 さて、その改築対象となる鐘塔しょうとうだが、城内街の貴族が多く住んでいるという区画に、古い古い石造りの塔があるのは知っている。遠目にも鐘が釣り下がっていそうな構造だと分かるから、きっと定刻になると打ち鳴らされるものだったのだろう。


 「だったのだろう」というのは、俺はあの鐘の音を聞いたことがないからだ。なんでも、数年前に大きな被害を出した大風で損傷し、修理しようとしたら大重量の鐘の保持に失敗。


 結果、鳴らないどころか、さらに危険な状態になってしまったのだという。

 それどころか、その際に尖塔の一部が崩れ落下。塔の壁面に衝突し、その一部を破壊。できた大穴は、風の強い日にはなにか恨み節でも奏でるかのような不気味な風切り音が鳴るようになったのだという。


「どうして今までに修理をされなかったのですか?」

「およそ百尺(約三十メートル)の高さの鐘塔ですからな。何度か修繕の提案があったそうなのですが、予算と、工事の難しさが問題になったようです」


 ……レルバートさんはそれ以上言わなかったが、すぐに分かった。

 要するに公共物なんだから直した方がいいに決まっているが、カネと責任を誰が受け持つかでもめた、ということのようだな。


 ああ、よくある話だ。俺の設計事務所には縁のない話だが、そういう話は業界に身を置いていると自然に流れてくる。


 なるほど、つまり公募コンペティションというていで、詰め腹を切らせる人間を探しているということか。街大工ならいくら潰しても替えが利くとでも言いたいらしい。


「失礼いたします」


 リトリィが再び頭を下げると、俺は彼女をねぎらい、そしてカップに手を伸ばした。レルバートさんにも勧める。


「どうぞ、ご遠慮なさらず。彼女の淹れる茶は、なかなかのものでして」


 この世界では、謙遜は大した美徳にならない。それよりも自慢の腕を振るった、と言った方が、もてなしになる。

 俺の言葉に、彼は刹那、ためらったようだったが、カップを一瞥し、そしてようやく手を伸ばした。

 口元に持っていったあと、軽く目を見張り、そしてひと口、カップを傾ける。


「……これは……」


 ひと口、ふた口――


 さっきまでの仮面のように無機質な表情だったレルバートさんの頬が緩んでいるのが、俺でもわかるくらいの変貌ぶりだ。


「……ああ、いや、これは失礼。獣人族ベスティリングをお雇いになられるなど、なんと慈悲深いと思いましたが、このような技能の持ち主であれば、雇うのもやぶさかではありますまい。

 使を手に入れられましたな」


 ――ああ、やっぱりか。

 俺は笑みを貼り付けたまま、男を見る。


 最初の応対をマイセルに、そして茶の接待をリトリィにさせるのは、これが目的だ。

 彼女たちにも、納得してもらっている。


「いえ、お褒め頂き恐縮です。お客様にことのほか喜んでいただけたと、あとで申し伝えておきますよ」


 そして、少し唇の端をゆがめる。


「――愛する妻・・・・に」


 レルバートさんが、軽く目を見張る。

 俺は軽く顔を伏せ、上目遣いにレルバートさんを見やる。

 少しいびつな笑みを浮かべてみせたまま。


「いえ、妻も喜んでいる・・・・・・・のですよ。彼女の腕前には」


 続けた俺の言葉に、彼はほっとしたように目を閉じると、単眼鏡モノクルをはずし、磨き始めた。


「いやはや……お人が悪い。てっきり奥方を使用人と呼ばわってしまったかと……」

「いえいえ。私の妻ですから、ふたりとも・・・・・


 今度こそ大きく目を見張るレルバートさん。

 まあ、そりゃそうだな。


 女性使用人を雇うのは奥さんで、男性使用人を雇うのは旦那さん、というのも聞いたことがある。


 つまり、リトリィは、俺の妻に雇われた使用人だ、という解釈ができる返答をした後で、実は二人とも俺の妻だ、という回答だったのだ。

 我ながら意地の悪い返答だ。


 だが、これで腹は決まった。

 

「今回の件でございますが、どうにも私はこの街に来てまだ日が浅い。大工ギルドへの加盟も済ませたばかりでございます。そのような者にも門戸を開いてくださったこと、誠に感謝の念に堪えません」


 俺は慇懃に頭を下げてみせる。


「ほう、では……」

「だからこそ、他の街大工の方々と共に公募に参加させていただけるなど、身に余る光栄に浴してよいものなのかどうか、判断がつきかねるのです。一日、返答を待っていただけますでしょうか。明日、こちらから伺いますので」


 どうも、先方は返答を留保されるとは思っていなかったようだ。ぴくりと眉を動かす。


「……それは、断ることもあり得る、ということですかな?」

「私一人では判断がつきかねる、と申し上げております。愛する妻たち、そしてマレット氏の動向などを合わせて、私の判断とさせていただきたいと」


 レルバートさんの険しい視線が、一瞬奥のキッチンに向かう。

 だがもう遅い。リトリィに対するあの言動を、俺はきっちりと記憶した。


「……さようでございますか」

「いえ、すぐに返答できぬこと、申し訳ありません。明日、必ず伺いますので」



――――――――――

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