閑話⑮:昔の敵は今日の…

「リトリィ、お腹の子に障る。あまりそんなに動かなくても――」

「ふふ、だいじょうぶですよ。いままで、それでなにかこまったことがありましたか?」

「いや、ないけど……」

「では、わたしのしたいようにさせてくださいませ、あなた」


 そろそろ出産が近いというのに、リトリィは止まらない。

 背後から手を伸ばし、その腹を撫でてみる。


「あ――いま、おなかを蹴ったの、わかりましたか?」

「……わかるよ。分かるからもう、休んだ方が――」

「ふふ……あなたったら、ほんとうに心配ばかりして。お医者さんもおっしゃっていたでしょう? すこしくらいの運動なら、だいじょうぶだって」

「……少しじゃない気がするんだが」


 彼女の揺れる腰と、そしておおきく踊るしっぽが、彼女の気持ちをなによりも雄弁に表している。

 ……彼女は、動きたいのだ。

 俺を喜ばせるために。


「あなた、わたしのことはお気になさらないで。それよりもう、出してくださいませ」

「……出して、いいのか?」

「ふふ、……もう、十分ですよ?」


 リトリィが、鼻をひくつかせる。

 そのときだった。


「おとうさま、おかあさま!」


 二歳になる娘が、こちらにやって来た。

 慌てて、こっちには来ないように言う。

 なんと言ってもこれから出すところなのだ、こう言っちゃなんだが、子供を近づけたくない。


「あなた、あの子たちも楽しみにしているんですよ?」

「……ああ、そうだけど、足元をちょろちょろされたら、出すに出せない」

「だいじょうぶですよ。ちゃんとそのあたりのわきまえはあるでしょうから」


 マイセルが産んだ子よりも一年以上年下なのに、リトリィの子は随分と成長が早い。一年の差などあっという間に追い越してしまい、すっかりお姉さん気取りなのだ。


「……リトリィが言うなら、まあ、いいか」


 俺はオーブンの扉を開ける。

 熱気が噴き出してくるその奥に、チロチロと赤い火をまとう炭と、そして、焼き上がったケーキ。


「……もう、出していいんだな?」

「いいとおもいますよ? 焼き色は、どうですか?」

「悪くない、と、思う……」

「では、どうぞ、お出しくださいませ」


 その香りが、リビングのほうにまで届いたのだろう。

 子供たちの歓声が上がる。


 リトリィとの三番目の娘――今日、二歳になったばかりの娘が、ケーキを運ぶ俺のまわりで、ぴょんぴょん跳ねて喜んでいる。


 そんな子供たちを見るのが、何よりも嬉しい。そして、そうやって子供たちに目を細める俺を見たいと言って、またリトリィが料理の腕を振るうのだ。子供たちを、俺を喜ばせようとして。


 おかげで、四十を前にして今じゃすっかり太鼓腹。料理上手なお嫁さんを二人も持つとこうなる、という見本だな。 




「で、俺のところに自慢しに来たのかよ」


 リファルが、呆れたように俺のコップに酒を注ぐ。


「この前まで、たっぷりのろけを聞いてやっただろ?」

「何言ってんだ。お前だって、子供ができるたびに自慢しに来やがってたくせに。次に生まれるので、何人目だよ」


 リファルに言われて、思わず指を折る。


「ええと、マイセルが三人だろ? リトリィの子が、いま腹の中に四人目で、あと二人ずつ……はは、十一人か。多いな」

「種馬め。お前、実は獣人族ベスティリングだったんだろ」


 そう言うリファルだが、彼もすでに四人の子供の父親だ。長女以外は男の子ばかりで、家はたいへんにぎわしいらしい。毎年腹を膨らませている奥さんも大変だが、まあ、奴を尻に敷いて毎朝仕事に叩き出す剛毅な奥さんだ。リファルの奴にはちょうどいい相手なんだろう。


「男の子か……。うらやましいな」

「お前だって、もう何人かいるだろ? それで十分じゃねえか」

「いや、リトリィが欲しがってるんだよ。俺そっくりの、黒髪黒目の男の子が欲しいってさ。いや、娘も十分すぎるほど可愛いんだけどな。みんなリトリィに似て金色で――それでもさ、やっぱり欲しいらしいんだよ。今、お腹にいる子が男の子だといいんだけどな」


 俺のため息に、リファルが俺の頭を小突く。


「贅沢言ってんじゃねえよ。金色の奥さん、もう三十近いんだろ? 二十歳過ぎたら孕まなくなる獣人族を、なんでお前は孕ませてるんだよ。そっちが信じられねえよ、お前の種、活きが良すぎるだろ」

「コツがあるんだって」


 何がコツだ、と、再び頭を小突かれる。


「そんなことよりも、最近知ったんだけどさ……」

「何をだ」


 続きを促され、俺はため息混じりに答えた。


「最近、妙に獣人族ベスティリングの夫婦から、寝室の改装を依頼されるからなんでだろって思ってたら、嫁さんの多産にあやかって、子宝に恵まれるようにって意味だったらしいんだ」

「いいじゃねえか。それで仕事が来るんだから」

「いや、いいことはいいんだよ、たしかにそれで」


 俺の仕事が、そのひとの幸せにつながるなら、俺は嬉しい。

 嬉しいんだが……。


「でも俺はさ、家造りで人をあっと言わせたかったんだよ。子沢山で有名になりたかったわけじゃないんだ……」


 コップをあおろうとしたところで、背中をぶん殴られ、思いっきりむせる。


「獣人にあれだけ産ませたお前だ、生き神扱いされるのは運命だ、諦めろ」

「げほげほっ! ……何が運命だ、諦めろだ! おま……!」


 むせながらどつき返そうとした俺の手のひらをひらりと避けると、リファルは俺の口真似をしながら笑ってみせた。


「いいじゃねえか。オレはお前の切ってみせた啖呵、忘れねえぜ。『俺はヒノモト・ムラタ! この世界の家造りに革命を起こす男だ!』――子作りの神として、絶賛革命中なんだろ?」

「革命を起こしたかったのは家造りだって! 子作りじゃねえよ!」

「だから諦めろ、現実を見ろって」


 ゲラゲラ笑うリファル。俺は憮然として、コップを空けた。


 もうじき三十というのに妊娠してくれて、しかもそれを大喜びしてくれたリトリィには感謝の念しかないんだ。それは間違いない。ついでにそれが仕事のネタになってるのもありがたいことだ。


 でも、子だくさんにあやかって仕事の依頼をされるってのは、やっぱりちょっと、複雑な気持ちになるんだよ。


「職人として認められたんじゃなくてって話だろ? そいつはまあ、察してやるよ。だがな、それがメシの種になってんだぞ? 嫌なら俺に回せ」

「そう思うなら自分で契約を取り付けてきな」


 今度は奴の腕をかわしてみせる。


「あれからもう、十年も経つのか……。お前と競い合ったとき、あれは楽しかったなあ……」

「アレか? 馬鹿野郎、オレは胃が痛くなる思いだったんだ、大変だったんだぜ?」

「俺は楽しかった。純粋に、腕を競い合うことができて」


 純粋に建築士としての腕をリファルと競った、あの仕事。まだかろうじて二十代だった、あのころ。マイセルが妻になってくれていて、本当によかった。


「……もう、楽しいなんて言ってられる歳かよ、オレたちが。ガキどもを食わせるので精いっぱいだ」

「それは俺もだ。だから楽しかった、だよ」

「お前のそれは自業自得だ。嫁さん三人、子供九人。持ちすぎだ、身の程知らずめ」


 リファルはそう言って、もう一杯注文する。


「……しかし、四人目か……。あの奥さんには、いつも驚かされるな。最初の子供は双子、三人目は驚くほどの難産のすえにやたらでっかい子を産んで……それでなお、四人目を生みたいと言えるなんてな」


 妙に感慨深げに、空のコップを見つめる。


「いまだから言うけどな、正直言って、オレはお前の結婚の話を聞いたとき、マイセルは、子供を産めない金色さんの代わりだって思ったんだ」

「よし分かったそれだけ言えるとはいい度胸だ褒めてやる表に出ろ今すぐぶちのめしてやる」

「一瞬でキレるんじゃねえよ!」


 冗談を真に受けるなよ。

 そう言ったら、「冗談に見えるか!」と怒鳴られた。


「お前の金色さんへの愛情が異常すぎて突然キレて暴れだすってのは、履修済みなんだよ!」


 ひどいな、俺を見境のないバーサーカーみたいに。


「実際見境ないだろう! お前が貴族の家をぶち壊した事件は、今じゃ大工ギルド一級の伝説なんだからな!」

「そんなこともあったなあ……」

「笑い事じゃねえよ! お前のその嫁愛の勢いに敵うヤツなんざ、この街にいるもんかよ!」


 おかわりのコップをあおるリファル。俺も、コップを空ける。


「俺の嫁愛の勢いって言うけどな。毎年子供を産ませてる、お前の嫁愛の勢いには負ける。尊敬するぞ、俺は。お前こそ種馬の中の種馬の称号を贈ってやる」

「うるせえ、俺が産ませてるんじゃねえよ。アイツが欲しがるんだ」

「それに付き合ってるんだから一緒だろう」

「違う。俺は別にいらねえんだ。アイツが欲しがってるだけだ」


 しかし、リファルの家で飯を食ったりすると、奴のとろけ切った顔は見ものだ。子供に「戦いごっこ」を挑まれて、見るも無残にボロボロにされていく様子を何度も見たが、奴の幸せそうなことといったら。


「……でも、こうしてお前と飲む仲になるとは、最初に会ったときは欠片も思っていなかったよ」

「オレこそ、お前のこと、図面だけ引いてあとの仕事を大工に丸投げする、職人の風上にも置けねえ奴だと思ってたよ。一緒に飲むことになるなんて、欠片だって思わなかった」


 それが、こうしてたまに飲む仲になれるとは。

 人生、縁の不思議さをつくづく感じさせられる。


「……ああ、そうだ。まだ渡してなかったな。ほら、祝い金。金色さん、もう三十手前なんだから、いたわってやれよ?」


 小さな麻袋からは、いくばくかの重みが感じられる。

 四人の子供と奥さんを抱え、決して楽ではないだろうに。


「……ありがとう。また、家族みんなを連れてうちに来てくれよ。みんなで一緒に飯を食おう」

「そう、だな。そのときは、またうちのチビどもを頼むぜ?」




 リファルと別れ、ひとり、夜道を急ぐ。

 奴と初めて会ったときは、不倶戴天のクソ野郎と思っていたのに。


 本当に、出会いというのは面白い。


「ただい……ま……」


 ドアを開けると、玄関に、リトリィが立っていた。

 妙に冷たい笑顔で。


「あなた? とっても楽しいお時間を、お過ごしになられたようですね?」


 リトリィの後ろで、半目のマイセル。

 こちらは分かりやすい。うん、怒ってるね。


「私たち、ずーっと待ってたんですよ? 子供たちを寝かしつけたあと」


 ……ハイ。ゴメンナサイ。チョーシニノッテ、ノミスギマシタ。


「喜びましょう? だんなさまが、今夜は久しぶりに、いっぱい、いっぱい、いーっぱい、可愛がってくださるんですって」

「ほんとですか? やったあー?」

「ボクもいいよねー?」


 じつにしらじらしい表情で喜んでみせている三人に、俺は、干からびる夜を覚悟するのだった。



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