第298話:結婚に必要な手続きを
打ち合わせを済ませたらマイセルのところに行こう、そう思っていたのだが、結局色々と話をしているうちに昼も過ぎてしまい、マイセル達が戻ってきてしまった。
「すごく可愛らしかったです!」
俺を見つけたマイセルが駆けてきて、開口一番がそれだった。
「マイセルちゃん、ごあいさつを」
リトリィに促され、慌ててスカートの裾をつまんで礼をしてみせるマイセルに、俺は笑って話の続きを求める。
「えっと! お姉さまと似ている
フリルやドレープ、装飾の様子を、身振り手振りで一生懸命説明してくれる。
だが、現物を見ていないせいで、いまいちイメージがわかない。先日の凱旋パレードの時にリトリィが身に付けた衣装に、花の装飾をくっつけたものと、無理矢理解釈する。
ナリクァンさんがリトリィのために用意した衣装は、その金の毛並みを引き立てる純白の布地の、楚々とした繊細さ、上品さが感じられるデザインらしい。
ゴーティアスさんがマイセルのために用意した衣装は、淡いピンク色に花の装飾ということで、可愛らしさをアピールしたものになるようだ。
……まあ、二人のイメージ通りなのかもしれない。
ただ、ゴーティアスさんがリトリィの衣装について色々と質問をしたうえで、フリルなどの装飾の追加を依頼したのだという。二人とも、昨日、ナリクァンさんの屋敷でリトリィのドレスを目にしているためだろう。
リトリィもマイセルも遠慮したらしいのだが、ゴーティアスさんが追加費用など気にしないでと、押し通したらしい。なるほど、そのあたりはさすが騎士階級、貴族の誇りという奴だろうか。
まあ、完成を楽しみにしておくことにしよう。
高校時代の友人が結婚式を挙げたとき、俺も友人の一人としてその式までの道のりに関わったことがある。
アレはほんとに面倒だった。友人代表の挨拶は
押し付けられた恨みもあって、新郎の趣味の「お面ライダー」の恰好を六人でやって熱唱、一部替え歌にして、ちょいと性癖をばらしてやったっけ。
『内に秘める、自信が大事』――馬鹿な歌詞に置き換えてたな。とてつもなく下品な歌詞に。みんなでカラオケに行って、替え歌をノリノリで練習したっけ。
ところが、俺にもリトリィにもこの世界に友人なんかいないから、そういうことはマイセルに頼むしかない。
そう思っていたら、マイセルが首をかしげた。
「友人代表の挨拶、ですか? どうして、そんなことを依頼するんですか?」
「え? いや、親族代表のあいさつとか、上司のあいさつとか、いろいろあるだろ?」
「したい人は勝手にしますけれど、こちらからお願いすることなんてしませんよ?」
「……そうなのか?」
目が点になる。
勝手にするって、そんなフリーダムでいいのか?
結婚式は教会で、披露宴はどこかのホテル。
俺も打ち合わせに走り回ることもあったけど、とかく前準備が面倒という印象だった。
でもリトリィがなんにも言わないし、ナリクァンさんと進めているのかなと、勝手に思い込んでいた。
「というか、ムラタさん。『戸籍局』に、ちゃんと日取りを伝えていますよね?」
「……は?」
「……え?」
俺もリトリィも、実は結婚についてなんにも分かっちゃいなかった。
まあ、考えてみれば当たり前だ。
俺はこの世界に落ちてきた人間だ。この世界の流儀など知るわけがない。
リトリィは山暮らし。結婚式など参加どころか見たこともない。
そんな二人の常識が、街で通じるはずもない。
そんなわけで、俺はマイセルに叱られながら、大慌てで準備を始めたのだった。
「藍月の日に式を挙げたい気持ちは分かりますけど、みんな考えることは同じなんですから! ちゃんと事前に予約しておかないと、戸籍局の人たちだって時間は有限なんですよ!」
マイセルに叱られながら急いだのは、役所の戸籍局。結婚は、ここで登録されなければならない。
地球と比べて古い時代だから、結婚なんて両家が知ってればいいんだろう、なんて思っていたのは甘かった。
そりゃそうだ、税金を取り立てるための手立てだからな。きちんとしているのは当然だろう。そういえば、マレットさんの奥さん二人も、たしか第一夫人、第二夫人と届け出を出したとか言ってたっけ。
ただ、日本は婚姻届とかいうやつを提出すればよかったはずだが、この世界の手続きは、全然違った。
なんと、役人の前で、結婚意思の確認の宣誓、書類への記名、
「面倒くさいんだな、わざわざ役人の立会いの下で、書類をやり取りしたりしなきゃならないのか。結婚しますの書類の提出だけじゃ、だめなのか?」
「ムラタさん、結婚ですよ? 大切な儀式ですよ? 正式な立ち合いによる証明と確認なしの式なんて、私にはそっちの方が怖いです」
マイセルにぴしゃりと言われてしまった。
それまでずっと当たり前だと思っていたものを省略しろといわれたら、たしかに不安になるかもしれない。しかし、面倒くさいと感じてしまうのは、仕方ないだろう?
「ただ、この宣誓式は、午前中しかしていませんから。だから予約が大事なんですからね?」
「は? 午前中だけ? どうしてだ?」
「何を言ってるんですか。結婚式と披露宴が、午後にあるからに決まってるじゃないですか」
「え? 結婚式って、役所でやるんだろ?」
「役所でするのは宣誓式です! 結婚式は神殿、披露宴はおうち! もう、ムラタさん、大丈夫ですか!?」
マイセルに叱られっぱなしだ。
で、となりで縮こまっているのがリトリィ。
彼女も、まるで知らなかった様子だ。俺と二人で、腰に手を当ててお説教モードのマイセルの話を、神妙な面持ちで聞いている。
人気の日には当然、カップルの予約が殺到するわけだが、その手続きを行ってくれるのは、午前中のみ!
いくら手続き自体は十五分もかからないらしいっつったって、いくらなんでも短すぎる!
そんなわけだから、人気の日には、朝から宣誓室はフル稼働ということになるそうだ。役人も大変だろうが、だったらいちいち役所で式を挙げるって方式を変えて、日本みたいに書類の受理だけでいいようにしてくれと言いたい。
「だから! 一生に関わる大事な儀式ですよ! 紙切れ一枚を窓口に出して済ませるだなんて、考える方がおかしいんです! ムラタさんって、そんなにいいかげんな人だったんですか!?」
はい! ごめんなさいっ!
「……一応、お金を払えば、こちらが希望する日時や場所に来てくれるっていうのもあるんですけど、でもわざわざ来てもらうんですから、当然、高いですからね?」
なるほど。貴族や金持ちはそちらを利用し、庶民は役所で手続きをする、ということか。
――だけど、シェクラの花の下で誓いを挙げたいというリトリィのためなんだ。今年を逃して、一年後なんてできるものか。もしも予約が詰まっていたら他に方法はない、出費は覚悟の上で、こちらの都合のいい場所に呼ぶほうが確実だろう。
そう思いながら窓口に立ったのが、すでにもう一刻前。こういうお役所っていうのは時間がかかるものだとは思っていたけどな、書類をもらうだけでなんでこんなに時間がかかるんだ!
一つの窓口で、全部の書類を一度にもらえるようにしてくれよ!
そして、知った。
「なるほどな。それでこんなところにあるわけか」
窓から見える、役所の前に並んでいる店。
以前は気にも留めなかったが、これ、ほとんどが代筆屋だったんだ。
「どこより早い――美しい字で――安さと早さ――いろんな宣伝をしているけれど、あれ、みんな代筆屋なのか」
「そうですよ? やっぱり、読めても書けない、というひとは多いですから。日常生活では書けなくてもあまり問題になりませんけど、役所に何かを出そうとしたら、書けないと困りますからね。だから、代筆屋がいっぱいあるんです」
なるほど。字が書ける、それだけで仕事が生まれるってことか。
「それより私は、お姉さまが字を、しかもあんなに綺麗に可愛らしく書けるってことのほうがびっくりしました。お姉さま、本当にすごいです」
字を書けることを驚かれる……それはやはり、字を書けることが一般的ではないということだ。でも、メッセージカードを贈り合う風習があっただろう?
「そういうときのためにも、代筆屋って存在するんですよ」
マイセルの言葉に、あることを思い出して納得する。
「徒然草」を書いた兼好法師。彼が、ラブレターを代筆したことがあるっていうことを、学生時代に聞いたことがあるのだ。
それくらい自分で書けよ――聞いた当時はそう思ったけれど、今の俺には、想いを正確に伝えることができるだけの語彙も、字を書くスキルもない。
必要な人がいるからこそ、仕事が生まれるってことか。
やっと手に入れた書類。俺の見慣れたA4の上質紙とは似ても似つかぬ、ざらりとした感触の、質の悪い
だが、これとて驚きだ。俺が今まで接してきた紙とは、草の繊維を交差させるようにして作られた、草皮紙。
これは、俺は日本で本物こそ見たことがないけれど、いわゆる「わら半紙」と呼ばれるような低品質な紙、そのものだ。
リトリィが持ちます、と言ってくれたから渡すと、彼女はそれを肩掛け鞄に入れ、ぎゅっと、鞄を抱きしめた。
――そうか、これは彼女にとって、ずっと思い描いてきた夢を実現させるための、大切な書類なんだ。
俺たちが、幸せをつかむための、大切な、大切な。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます