第299話:役所は踊る

 役所で書類を手に入れたのはいいけれど、要望を通すことができるのかどうかが、また一つの課題だった。とりあえず早急に書類を書き上げなければならないのだが、俺はまだまともには書けないから、情けない話だけど、リトリィかマイセルに書いてもらうしかない。


 だが、日本でなら書類の書き方なんてネットに腐るほど参考例があるけれど、この世界にはそんなものはない。もし間違えたりしたら、また書類をもらうために時間がかかる。

 どうしようか――そう思っていたら、その悩みに気づいたらしいマイセルが、天秤とペンを組み合わせた看板を下げた店を指差した。


「そういう時のためにも、代筆屋ですよ?」

「代筆屋って、依頼人が言うことを書くための店だろう?」

「違いますよ。依頼人が必要だって思っている文書を作るためのお店ですよ? 役所に提出する書類から、恋文まで。いろいろあるんですから」


 マイセルによると、代筆屋はただ依頼者の代わりに書くだけじゃなくて、きちんと議会から認可を受けた業者だと、様々な認可申請書類の代行などもやっているそうだ。天秤とペンを組み合わせた看板は、それを表しているのだとか。


 つまり代筆屋ってのは、日本における行政書士のような仕事でもあるらしい。

 たとえば婚姻届に書く「証人」――婚姻関係を結ぶ両者それぞれの、結婚を認めるひとの直筆のサインが必要らしい――としても、認められているのだとか。


 婚姻届を行政書士にやらせるなんて話、俺自身は聞いたことがないけれど、少なくともこの世界に落っこちてきた俺には、そんな「結婚を認めてくれるひと」なんていないからな。そういうことをしてくれる代行業者は、心強い。


 そう思って、マイセルと一緒にその線で話を進めてみたら、リトリィが泣きそうな顔をした。


「……あの、わたし、自分で書きたいです。だってそれは、わたしたちの門出のしるしなんでしょう? ひとまかせで、ほんとうにいいんですか……?」


 目を潤ませたリトリィにそんなことを言われると、俺もマイセルも、何とも答えづらくなる。いや、自分のサインのところだけ、自分で書くとかしちゃ、だめなのか?


 そんなことを考えていて、そして気が付いた。リトリィの書類をつくるためには、親父殿のサインがいるってことだろう? てことは、また山に登らなきゃならないじゃないか。うわぁ、面倒くさい!


 頭を抱えた俺に、マイセルが首をかしげる。


「……べつに、肉親でなくていいんですよ?」


 ――思い出した! そういえば瀧井さんが、同じことで苦労してたとか言ってたっけ! たしかペリシャさんは流行病で家族が全滅したから、婚姻届けを出す際に彼女の側の証人に関する手続きが面倒だったと。

 つまり、代理人を探す手間がかかったということか!


 それなら、大丈夫だ! リトリィの代理人なら、これ以上ないふさわしい方がいるじゃないか!




「よろしいですけれど、本当に良いのですか?」

「お願いします。この街におけるリトリィの後見人として、これ以上ふさわしい方は見当たりません」


 ナリクァンさんから書類の書き方について、三人で一つ一つ、丁寧に教えてもらいながら仕上げたあと、リトリィたちは、何やらナリクァンさんから贈り物があるということで、メイドさんたちと一緒に部屋を出て行った。

 この部屋にいるのは、またしても俺とナリクァンさん、そして黒服男二人の四人。


 ……そう、またしてもナリクァンさん。連日押しかけて申し訳ありません。俺、安易に頼らないって言った舌の根も乾かないうちにコレだよ。


「そうですわね。本当に。ですがこれほど恥を知らぬひとを、私は知りません」

「……できれば、恥知らずなどではなく、恥を恐れぬ男と評していただければ」

「その言動が恥知らずだと申し上げているのですよ?」


 誠に申し訳ありません。今日ここへ来てから何度目になるか、深々と頭を下げる。


「まあ、いいでしょう。リトリィさんのためですからね。それはそうと、あなたの証人はどうするのですか」


 そっちももう、考えてある。瀧井さんだ。同じ日本人、頼りっぱなしだけれど、こればっかりは仕方が無い。

 そう話すと、ナリクァンさんはこめかみに指を当てて、長いため息をついた。


「あの御仁なら、協力は当然してくださるでしょうけれどね……それにしてもあなたというひとは、縁故だけは恐ろしく運がいいですわね」


 なんだかそれを言われると、俺が運だけで世渡りしているクズに聞こえます。


「あら、それ以外の何に聞こえて?」


 くすくすと笑うナリクァンさん。勘弁してください、リトリィたちがいないと、本当に容赦がないですね。




 戻ってきたリトリィたちは、何やらもじもじしながら部屋に入って来たが、俺と目が合うとさらに顔を赤くしてうつむいてしまった。

 そんな二人を見て、ナリクァンさんはまたくすくすと笑う。


 ナリクァンさんのプレゼントをもらったはずの彼女たちの、この反応。何だろう、何があったんだ。気になって、屋敷を出たあとさっそく聞いてみたのだが、二人とももじもじしたまま、教えてくれなかった。

 本当に、なんなんだ? 気になって仕方が無い。




 無事、瀧井さんにも署名をいただいて書類がおおよそ完成。「なんだ、まだ出していなかったのか!」と呆れられてしまったが、ナリクァンさんのような笑顔で毒を吐くような方ではなくストレートに呆れられるのは、まだマシだ。


 役所にとんぼ返りして提出しに行くと、これがまたひと悶着あった。

 正確には、俺たちはただ眺めていただけで、大わらわだったのは、受付をはじめとした役所の人間たち。


 いつも通り横柄な態度で半刻ほど待たされ、閉庁ギリギリになってから呼ばれ、他の書類はもう、受理してもらえないなと半ばあきらめながら婚姻届と、付随する様々な書類を提出する。


 付随する書類の中で、実は困ったのが「婚姻要件具備証明書」とかいうやつ。ナリクァンさんに言わせると、要するに独身であることの証明書みたいなものらしい。


 どこに住んでいて、出身地はどこで、両親は誰で、間違いなく独身で……などを保証する書類を、出身地方の役所で発行してもらうわけなんだが、それを発行してもらえるところっつったって、俺、帰れねえよ。どうするんだ。


 そう思ってたら、何のことはない、ナリクァンさんが、身元保証人になるという一筆をくれた。ナリクァンさんを頼って、本当に助かった。


 で、なんとか通りますようにと祈りながら提出したら、

 最初、「こんなものは必要ありません」と突き返され、

 「閉庁間際に、規格外書類は受理しません」と言われ、

 「婚姻要件具備証明書の代わりです」と食い下がって、

 顔をしかめる彼女に何度も頭を下げ受け取ってもらい、

 胡散臭げにナリクァンさんの一筆の封蝋をはがされて、

 ため息をつかれ舌打ちをされおまけに突き返されかけ、

 そして末文の署名を二度見されて、悲鳴を上げられた。


 そこからは職員たちの、悲鳴と怒号と嘆息とがごちゃ混ぜになった、上を下への大騒ぎを、ただ三人で、唖然としながら見守っていた。

 閉庁時間がとうに過ぎても、必死の形相で走り回りながら書類を整えてゆく職員たちに、小屋を崩壊させたとき、ナリクァンさんの一言で一瞬で申請が終わったことを思い出す。コネって、本当に大事なんだなあ。


「ご、ご結婚おめでとうございます。ひ、日取りはいつを、予定していますか?」

「次の藍月の日を予定してるんですけど、やっぱり、予約はいっぱいですかね?」


 俺の左右に座るリトリィとマイセルたちを、ちらちら見ながら言う受付のおねーさんに、ダメもとで聞いてみると、ひっ、と、小さな悲鳴を上げられた。


 すっ転びそうな勢いで上司と思しき人のところに走っていくと、何やらぼそぼそと相談。上司の方はこちらを伺うようにしながらなにやら耳打ちする。

 おねーさんは妙にしおれながらこちらにやってくると、ひどくひきつった笑顔で、OKを出してくれた。


 ……多分、予約がいっぱいだったところに、無理にねじ込んだんだろう。実に全くもーしわけありません。


 いくつかの書類を返され、さらに神殿の神官の署名が必要だという書類を渡され、当日までに作成して持ってくるように言われる。本当に面倒くさいが、この街ではそれが常識なのであれば、従うしかない。礼を言って受け取った。




 なぜか外に出るとき、たくさんの職員に見送られて役所を出た俺たちは、そのまま神殿のほうに足を向けた。もう、精神的に疲れ切ってはいたが、こういうのはできるうちにさっさと片づけた方がいい。向こうも、予定を立てねばならないだろうから。


 芸術と職人の女神、キーファウンタの神殿についた時には、日もだいぶ傾き、窓から差し込む赤い日の光が、神殿の雰囲気をさらに荘厳なものにしている――そんな感じがした。


 で、こちらは大騒ぎというより、上客が来た、といった感じで、やたらともてなされた。多分、ナリクァンさんつながりで寄付金の額を期待していたんだろう。最低限のお布施で済ませたら、ものすごくがっかりした顔をされた。


 ひでえなおい、せめて取り繕うくらいしろよ! たしかに出されたお茶のカップはすこし欠けてるし、よく見たらあちこちの装飾の金箔がはがれてるし、椅子のニスは剥げまくってるし、というか壊れかけてる椅子も多いから、お金がないのは分かるんだけどさ!


 で、急に投げやりにされて、しかもその日はすでに三組のカップルが式を挙げるということで無理と言われ、がっかりしつつも想定内だったので、自宅に来てもらえないかと言ったら、これまた無理と言われた。


「神の恩寵を最も得られるのは神殿です。そして、その恩寵を授けることができるのも、残念ですが限りがあるのです」


 で、とりあえず銀貨を五枚積んだら沈黙し、もう二枚追加して頭を下げたら、たちまち頬をバラ色に染めて前言撤回、希望する日時と場所を聞いてきやがったよこの女神官。

 いや、この銀貨を積むって方法、ナリクァンさんに聞いたんだけどさ。ふざけんな生臭坊主め。

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