第296話:シェクラの花を愛でる意味
ペリシャさんにたんまりともらったおやつを、マイセルが口いっぱいに頬張っている。それを微笑ましく見守る、リトリィとペリシャさん。時間にして十刻――昼の三時ごろ。現場の方は、そろそろ片付けに入る頃だろうか。
昼食を終えたら瀧井さんとナリクァンさんに会って話をしてくる、と話したとき、マレットさんは「じゃあ、あとは適当にやっとくから、もう戻ってこなくても構わんぞ」と言っていた。実際に、彼の見通しの通りになった。
「適当に」という言葉できちんと任せることができるのだから、信頼のおける職人の存在というのは実にありがたい。
ついでに、見通しの通りと言えば、いまこの広場のベンチで座っている俺と、リトリィと、マイセルと、そして――
「花嫁衣裳の仕上がりは、満足していただけて?」
「はい、とてもすてきでした。……ほんとうに、わたしがあれを着ていいのか、不安になってしまうくらいに」
「なにをおっしゃるの。あなたのために仕立てたのですよ? 私たちも、随分とあなたの御父上にはお世話になりましたからね。こんなことくらい」
『そろそろお話も終わるころだと思いまして』
ナリクァンさんの屋敷を出て、しばらく歩いたその通りで、ばったりと会ったと思ったら、タイミングを見抜かれていた。
というよりペリシャさんが、ナリクァンさんの行動を読んでいた、というべきか。
少しお話してもよろしいかしら、と言うペリシャさんに応えて、市場で香り付きの水を買うと、ベンチに腰を下ろしたのが半刻ほど前。
で、マイセルがペリシャさんに一生懸命、リトリィのドレスがいかに素晴らしかったかを、延々と話していたのだ。
で、じつに機嫌をよくしたペリシャさん。たまたま通りがかった揚げ菓子の屋台を呼び止めて、マイセルに袋いっぱいの菓子を渡したわけである。
なんのことはない、リトリィのドレスを監修したのは、ペリシャさんだったのだ。
そういえば、以前、リトリィがペリシャさんから頂いたドレスを見て、ナリクァンさんが、ペリシャさんのセンスが好き、みたいなことを言っていた。それゆえに、今回のウエディングドレスの件も、ナリクァンさんから任されたのだろう。
マイセルが大興奮でペリシャさんに話をしている間、手持ち無沙汰だった俺は、市場をぐるりと眺めていた。
こうしてみると、街のあちこちで、ずいぶんとシェクラの花が開き始めているのが分かる。
日本の桜に似ているけれど、それよりもかなり濃いピンクだ。
日本の桜もピンクというイメージがあるけれど、実際はどう見ても、ほとんど白い花だったよな。なんであれが、ピンクのイメージだったんだろう。
うちの庭にも一本あるし、花も咲き始めているが、やはり一般的な桜よりずっと色が濃いし、花びらの数も五枚ではなく、たくさんついていたように思う。
「……花が気になりまして?」
マイセルを、目を細めて眺めていたペリシャさんが、いつのまにか俺の方を見ていた。
「気になると言いますか……そうですね。華やかな花だと思います。俺の故郷にも似た花があるんですが、それよりも、ずっと」
「うちのひともね、気に入っているんですよ」
ペリシャさんが笑った。
「ニホンにある木によく似ているって。ですから、山で見つけたシェクラを、私の故郷の村に、いっぱい植えたのですよ。花が終われば美味しい実もなりますし。あの人の好物のひとつは、それをたっぷり使ったパイなのよ?」
ペリシャさんによると、二十年ほどで美しい花が村を覆うようになり、それを知ったこの街の有力者が瀧井さんに依頼。それで、瀧井さんが、この門前広場へのメインストリートの並木としてシェクラを植えたのだという。
以前は別の木が植えられていたらしいんだが、何十年か前に害虫だか病気だかでほとんどが枯れてしまい、すべて切り倒してしまったのだとか。
何年かそのまま放置されていたところに、近くの村でシェクラが名物になりつつあることを知ったお偉いさんが、新たな並木としてシェクラを希望し、苗木を育てていた瀧井さんに白羽の矢が立ったのだという。
「もともと、シェクラは一部の花好きの人が、自宅の庭に植えている程度だったらしいのですけれど。うちのひとが、この門前広場に通じる道――ほら、あの『門前大通り』の並木を植えてから、人気が出たのですよ」
実際は手入れもそれなりに大変なので、自宅の庭にまで植えようとする人は多くないらしいが、それでも春には散歩がてら、花を楽しむ人が多いのだそうだ。ひと月ほど咲き続けるのも、人気の理由の一つらしい。
「花を愛でても良し、そのあとの実を楽しむもよし。あともう一つ、あのひとがシェクラを好む理由は――」
そう言って、すこし、遠い目をする。
「――あのひとのご友人が、遠い異国のシェクラの花の下で、待っている気がするから、だそうですわ」
リトリィとマイセルが、ペリシャさんから頂いた揚げ菓子を二人で楽しげに分け合っているのを見ながら、俺につぶやいた。
「お二人を娶る覚悟は、十分なようですね?」
ナリクァンさんにも問われたことだ。素直にうなずく。
「では、あなたに言っておくことがあります」
ペリシャさんは、少し、目を伏せた。
視線の先にあるリトリィを、憐れむように。
「……私たち
もちろんだ。それでリトリィは、これまで何度も泣いてきたのだから。
「あの子は、もうじき二十歳です。でも、それも、実際のところは分かりません。むしろ、本当はもう、二十歳を過ぎているかもしれないのです」
孤児で、親の顔も知らない彼女だ。いつ生まれたかも、正確には分かっていない。たしかに、そうかもしれない。
「この私が言うのも残酷ですが――」
ペリシャさんが、言い淀む。
これから言わんとすることは、十分に分かった。
そして、俺の目を見たペリシャさんは、俺が悟ったことを確信した様子ではあったけれど、それでもなお、続けた。
「この先、あの子は、ずっと仔に恵まれないかもしれません。あなたの仔など、産めないかもしれません」
マイセルがあなたの子を産み、自分に仔がないことに苦しむ日々が、やってくるのは避けられないでしょう、と。
リトリィは、俺の仔をなによりも望んでいる。そのためか一度結ばれてからは、不必要なほどに、彼女から子作りを求められてきた。
あのペースで、二人と夜を重ねていくとすれば。
マイセルは、きっと、ほどなくして俺の子を産むのだろう。
リトリィは、産めないかもしれない。
それをだれが口にしなくとも、彼女自身がずっと、自分の出自を
――自分が、獣人に産まれてさえいなければ、と。
「……それでも幸せにできると、約束できますか? 誓えますか?」
リトリィを幸せにしたい――するのだ。
ナリクァンさんに訴えたことの重みを、まさか今、思い知らされるとは。
「私は幸い、多くの仔に恵まれました。若かったのも、理由の一つでしょうけれど。けれど、リトリィさんは――」
「ペリシャさん」
俺は、それ以上を言わせたくなかった。
リトリィが俺の仔を望むのは、俺の血をつなぐためだと言っていた。
シェクラの花の下での挙式を望むのは、それが永遠の愛の誓いにつながるからだと言っていた。
彼女は、俺とつながりが絶たれる未来を恐れているのかもしれない。
だから俺との「かすがい」となる仔を望み、永遠の愛のシンボルたる「シェクラの花の下での挙式」にこだわるのだろう。
それだけ、俺は、彼女を不安にさせてしまっているのだ。
いまだに、だ。
――ならば。
「仔は、必ずできます。産ませます。俺の大切な女性に、そんな悲しみを、絶対に背負わせません」
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