第291話:守るために生きる
昼食を済ませたあと、俺はマレットさんに現場をお願いして、瀧井さんの家に向かった。例のものを返すためだ。本当は朝、瀧井さんの家に寄って返してから現場に行くつもりだったんだが、……うん、結局、明け方まで張り切り過ぎた結果です申し訳ありませんなどとは、口が裂けても言えない。
加えて、もともとお二人と親交のあるマレットさんの娘ということで、マイセルにも祝福の言葉を掛けてくれた。以前、俺がマイセルと親しくなったと聞いたとき、ペリシャさんは烈火のごとく怒ったものだから、俺自身は叱責されることを覚悟していたのだが。
「マイセル。あなたは本当に、ムラタさんのお嫁さんになることに納得しているのですね?」
「はい! 私のことを大工の一員として認めてくださったムラタさんに、恩返しをしたいんです!」
一瞬の迷いもなく言い切ったマイセルに、ペリシャさんはわずかに苦笑いを浮かべたけれど、その手を握ると、力強く言った。
「きっと苦労すると思いますけれど、リトリィさんと二人で、末永く、仲良くね?」
「はい! お姉さまと一緒に、頑張ります!」
リトリィやマイセルが、ペリシャさんとのお茶で話がはずんでいる間に、俺は、本来の用事を果たすために、瀧井さんにそれを渡す。
九九式小銃――旧日本軍が主力として使っていたという、鉄砲。
それを俺から渡された瀧井さんは、大変驚いていた。
「また、わしの手元に戻ってくるとは思わなかったな……」
「すみません、ほんとうなら朝、こちらに寄ってお返ししてから、現場に向かうつもりだったのですが」
「なに、気にしなくていい。わしはもう隠居の身、働く君の用事の方が優先されてしかるべきだ」
少し、出ようか――瀧井さんに促され、俺は彼の後に続いた。リトリィたちも俺たちの様子を見て、慌ててお茶を切り上げてついてくる。戻ってくるからお茶をしていていいよ、と言ったのだが、二人とも結局、ついて来てしまった。
瀧井さんについてしばらく歩くと、川に出た。川岸はレンガで固められ、水がゆったりと流れている。
瀧井さんは、川べりに設置されていたベンチに腰かけた。その隣に、俺も座る。リトリィたちにも座るよう促したが、彼女たちはベンチの後ろに控えるようにして、座ろうとしなかった。
瀧井さんは、袋から取り出したその銃を、懐かしそうに撫でまわした。
「村田さんや、分かるかい? この
瀧井さんは、鉄砲の下の部分に垂れ下がる、革ベルトを撫でながら言った。
鉄砲を背負うために付けられているのだろう、鉄砲の尖端と、肩に当てる木の部分あたりを繋ぐ革のベルト。それは、多少硬そうに見えるが、こげ茶色で、まあシックな感じの、普通のベルトといった感じだ。そう言うと、瀧井さんは大きくうなずいた。
「そうとも。
「……ええと、それはつまり、メイドインジャパンはすごいってことですか?」
俺の言葉に、瀧井さんは少しがっかりした様子だった。
「……革は、お手入れをしないと乾燥して、ボロボロになってしまうんです。それなのに、ちゃんとしなやかさを保っているんですよ?」
リトリィが、そっと耳打ちをする。ただ、翻訳首輪の効果で、その声の意味は、近くのひとには伝わってしまうのだ。案の定、瀧井さんが、苦笑いしながらうなずいた。
「お嬢さんの言うとおりだ。これはな、この銃を、こまめに、丁寧に、手入れをしてくれていた人がいた、ということなのだよ。銃のことは知らずとも、錆びぬように油を差し、磨き、革に油をすり込んでな……。
適当に処分しておいてくれと言ったのに、ジルアンの奴は、ずっと手入れをしてくれていたのだろう」
いずれ返す時のためにだろうな――瀧井さんはそう言って、鉄砲の木の部分を右の肩に当てた。
鉄砲から横に突き出している、丸い球のようなものが付いたレバーのようなものを右手で掴むと、上に起こす。そのまま、レバーを掴んだ右手を手前に引き寄せる。
ガチン――カシャガシャン。
次に、また右手を前進させ、レバーを右に倒す。
ガシャ――ガチャ。
最後に、右手を持ちかえてトリガーを引く。
パチン。
一連の動作を数回させて、瀧井さんは感慨深げにつぶやいた。
「なにもかも、あのときのままだ。ジルアンには、感謝しかないな」
そして、小箱を開けて、また、感慨深げにため息をついた。
親父殿から渡されたときに見たが、中には鈍い真鍮色の弾が、尾部を細長いレールにはめ込まれるように五個、並んでいる。それがいくつか、積み重ねられていた。
「五十年――五十年越しの実包は、果たして使えるのだろうかね?」
瀧井さんは、その弾の塊をひとつ取り出すと、鉄砲のレバーを操作してふたを開けた。その穴に、縦に押し付けるようにはめ込むと、五つの弾の一番上から、親指でぐっと押し込んでいく。五十年越しとはいえ、手慣れた様子だ。
最後に残ったレールを取り外し、ガシャ、ガチャッとレバーを押し戻す。
「もう二度と手にすることのないものだと思っていたが……九九式のこの手触りは、いい意味でも悪い意味でも、小銃を抱えて戦友たちと支那大陸を駆け回っていた、あの頃のことを思い出させてくれる……」
俺は鉄砲のことなど分からないが、瀧井さんがベンチに座ったまま、背筋を伸ばして真っ直ぐに鉄砲を構える姿には、ある種の荘厳さを感じた。
彼は、その銃とともに、中国大陸で戦ってきたのだ。
初めて瀧井さんと会ったとき、俺は、彼を人殺しと非難した。今考えると、本当に自分の視野の狭さ、愚かさを感じる。
いったい誰が、人殺しをしたくて、戦場に身を置くというのだ。
リトリィを奪還するためについて行ったあの戦いの場で、俺は、もう少しで死ぬという目に何度も遭った。俺が死ななかったのは、たまたまそばにいてくれた冒険者たちのおかげだ。
だが、彼らだって、別に人殺しをしたくてあの戦いに出向いたわけではないだろう。義憤のため、得られる報酬のため、生き残って名を挙げるため……。決して、血に酔った殺人鬼だったわけではないはずだ。
そして瀧井さんは、日本を守るために戦っていた。
そしてこの世界でも、その鉄砲を使って野盗の集団から村を――ペリシャさんを守るために戦ったのだ。
俺なんかよりも、はるかに強い意志で。
「……あの、ムラタさん。あちらでお水が売っているようですから、買ってきますね?」
リトリィが、そっと話しかけてくる。マイセルもうなずきながら。
なるほど、マイセルが飲みたがっているのか。苦笑した俺は、人数分を買ってきてくれるよう頼む。
リトリィは、マイセルと連れ立って、屋台のほうに駆け足で向かって行った。マイセルの方はスキップするように若干飛び跳ねている感じが、なんとも妹っぽくて可愛らしい。
「……村田さんや。覚悟はできたんだな、二人の人生を背負うことを」
「ええ。こんな俺みたいな奴を好きだと言ってくれた二人です。意地でも背負ってみせますよ」
「なんだ、相変わらず自信があるのかないのか、分からないことを」
俺は、鉄砲を親父殿に託されてからずっと聞いてみたかったことを、口にした。
「……もし、ですよ?」
俺はリトリィ奪還作戦に参加しても、結局のところ、まともに戦うことなんてできなかった。震えてばかりで、何もできなかった。ガルフと対峙した時だって、ずっと膝が笑っていた。
「もし、また何か戦わなければならないようなことがあったら――瀧井さんはその鉄砲で、戦いますか?」
瀧井さんは、驚いたような顔をして振り向き、そして、しばらく俺を見つめていた。
「なぜそんなことを聞く?」
「……この前の戦いで、俺は結局走り回っていただけで、何の力にもなれませんでした。なのに凱旋式じゃ、あんなところに立たされて……。何もしていないのに」
俺の言葉に、瀧井さんはしばらく黙っていたが、鉄砲のレバーに手をかけると、それを手前に引いた。
ガシャッ――弾が一つ、転がり出てくる。
「戦うというのは、己の身を、己の仲間を、家族を、守るということだ。わしはそうせねばならぬときがきたら、もちろん戦う。アレを守るためなら、当然のことだ」
アレとは当然、ペリシャさんのことだろう。
「五十年も前の弾だ、不発ばかりかもしれん。だが、どれかの一発がアレを守ることにつながるなら、わしはためらわん。お前さんも、お嬢さん二人を背負う覚悟を決めたのだろう? わしと同じ土俵に立つ気構えを持ったということだ」
「い、いやそんな、俺はそこまで――」
「家族を守る覚悟ができたなら、同じだ。やがてはお嬢さんたちも、お前さんの子供を産むだろう。守るものが増えたら、四の五の言ってはおれんのだ」
そう言って肩を叩く。
「なに、戦場に行って、生きて帰って来た。それだけで十分だ。これからは胸を張って、家族を守るために生きろ。嫁と子供のことを考えれば、死んでなぞおれん」
そう言って、瀧井さんは小さく笑うと、無言で、鉄砲のレバーをゆっくりとガシャガシャやりはじめた。
彼がレバーを動かすたびに、弾が一つずつ、排出されてくる。
一つ……二つ。三つ目までを取り出したときだった。
「おまたせしました、お水を――」
リトリィが、マイセルと戻って来た。
そして、そのときだった。
「おい、城内街でケダモノのニオイをまき散らすんじゃねぇよ、くッせぇな」
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