第290話:すごいひと
「えらく早かったな。でもまあ、今度こそ三夜の――おい、そこでなんで目をそらす」
マレットさんの笑顔に、たちまち青筋が走る。
い、いや! べつに彼女をいじめてそうなったとかそういうことではなくてですね!?
「……なに? マイセルの奴が、
俺の主張に、マレットさんの丸太のような腕によるヘッドロック。
「そういう時は、叩き起こしてでも仕込んでやりゃあいいんだろうが……よ!」
ちょ……ぐるじ……
「む、ムラタさんが……!」
「じゃれているだけですよ。どうせ男親のやきもちですからね。放っておいておあげなさい」
ご、ゴーティアスさん、せっかくの
リフォーム工事の方はもう、おおかた終わっていた。二階の壁を撤去した部分には新しい板が張られていた。指を這わせても、境目の凹凸がほぼ感じられない。いい仕事をしている。
新しくこしらえられた壁のほうも、既存の壁とさして変わらない意匠で、統一感が保たれている。こういったところは、街並みを作ってきたという
二階のずらされた壁の真下にあるダイニングルームには、上の階の壁を支えるために、新しく壁を設け、物入れとした。部屋は少々狭くなったが、将来的には、ゴーティアスさんの介護用品などがここにしまわれることを見越してある。もちろん、食器などをしまってもいい。
階段はこれから作るということで、まだまだ二階に上るにははしごが必要だ。だが、撤去した壁の処理や増設した壁については、もうあらかた仕事が終わっていた。階段と、仕上げの下処理が終わったら、後は内装大工や、壁を塗る左官屋に仕事が移るのだろう。
「いやあ、壁を移植させたいなんて相談されたときには、成果を急ぎすぎて頭がおかしくなったかと思ったが」
一階に移設した壁の点検をしていた俺に、マレットさんが笑いかけた。
「滑車の仕組みは知っていたが、まさかあんなふうに組み立てて、小さくしたり、あれほど軽い力で動かせるようにしたりできるとはな」
マレットさんによると、城壁の補修のためにクレーンを組み立てることはあるし、その際に動滑車を用いる技術もあるにはあるのだそうだ。
「だが、いくら吹き抜けだからって、こんな天井の低い場所で使えるように、小さくまとめちまうってなあ、驚いた。これはひょっとしたら、すごいことなんじゃねえか? ギルドに論文を出したらどうだ」
論文!
大学を出て以来、書いたことがない。いや、作文自体得意じゃないんだけど、この世界の言葉で書くなんて、想像もしたくない。
なんたって、短いラブレターですらマイセルに散々笑われた俺だぞ? まともな文章も書けないのに、論文なんて無理無茶無謀!
「そうか? あんた、ギルドで技能が低いとかでひと悶着やらかしたって聞いてるぞ? あんたは頭で家を建てる、それを示してみせるいい機会だと思うが?」
マレットさんは笑ってみせたが、そういう方面で期待されても困ってしまう。いつも奇抜で大逆転的な発想を要求されるようになったら、たまったものではない。
俺はあくまでも建築士であって、発明家ではない。今回はたまたまあり合わせの知識が生きただけだ。
それよりも、なかなか理解してもらえない俺の立ち位置を理解し、柔軟に動いてくれたマレットさんこそ、すごいひとだと俺は思う。
「そうか? まあ、お互い様、ということにしておくが、謙遜も過ぎると嫌味だぞ。
目的を果たすために、あんなに小さくて力のある昇降機を組み立てた。それだけでもオレは認める、あんたはすごいヤツだと。だからもう少し、自分を誇ったほうがいい」
そう言うと、マレットさんは増設した物入れの壁の仕上げをしている新人を怒鳴りつけに部屋を出て行った。
金槌の音、カンナがけの音、やすりがけの音……小刻みに続く音も、もうすぐ終わる。それは、この家のリフォームが終わるときだ。
そうしたら、この家はまた、新しい思い出を刻んでゆく場になるのだ。ただし、大切にしてきた思い出も、いっしょに抱えながら。
住む人の幸せに関われる。
ひと時の幸せではなく、人生そのものに。
建築とは、なんと素晴らしい仕事なのだろう!
「なんでてめえがここにいるんだよ」
「……お前かよ。俺がここにいたらおかしい、みたいな言い方だな?」
「うるせえ。現場が作業中だってのに他人に任せて女の実家に顔を出しに行く、無責任野郎がいる現場だったなんて知らなかっただけだ」
俺の方は見向きもせずにカンナをかけているのは、以前、大工ギルドで俺に噛みついてきた男――リファルだった。彼によると、マレットさんから応援要員として指名されたため、仕方なく現場に来たら、ここだったというわけらしい。
マレットさん、俺がトラブルを起こした奴がこいつだったって、知っていたのかそうでないのか。なんで自分の担当する現場に、こう、トラブルの種がやってくるのだろう。
「まあ、いいさ。俺はお前が、約束を忘れてなければそれでいい。あの子は働き者だろう?」
「うるせえ。話しかけるな」
「お茶もお茶菓子も、美味かっただろ?」
「だからうるせえ。俺は知らねえ」
「あの茶菓子、リトリィの手作りなんだ」
「うるせえっつってんだろ。俺は食ってねえ」
「お前がリトリィの手から直接受け取って、美味そうに山ほど頬張ってたって、マイセルが教えてくれたぞ?」
「だからうるせえっつってんだろ!」
ついに頭に巻いていた手ぬぐいを床にたたきつけて叫ぶリファル。
だが、声を聞きつけて様子を見に来たのか、マイセルが顔を出すと、リファルは急にうろたえだした。
「……またリファルさんですか。誰が騒いでるかと思ったら」
「い、いや、マイセル……オレは!」
「そうやってケンカしにきただけなら、帰ってもらいますからね? お父さ――師匠に使ってもらえるよう、頼み込んだんでしょ? それを無駄にしたいんですか?」
「そ、そんなマイセル! ――こ、こっち見るんじゃねえよニセ大工!」
……さっきの話だと、マレットさんが、応援要員として、リファルを指名したんじゃなかったっけ?
「そんなわけないじゃないですか。お父さんだって、基本的には自分の弟子を使いますよ。今回も来てもらってる新人さんたちだって、お父さんのお友達さんのお子さんかお弟子さんですから、やっぱりお父さんの知り合いです」
「え? ということは……?」
マイセルが、呆れたように腰に手を当てる。
「リファルさんは確かに私の知り合いかもしれませんけど、お父さんの弟子でも関係者でもありませんから、指名するはずがないじゃないですか。おおかた、手軽にお小遣いを稼げる現場だと思って来たんでしょうけど」
情け容赦のないマイセルの言葉で、リファルの立場を理解する。つまり、彼は短期アルバイト的な扱いでこの現場に入ったのか。もちろん、マレットさんからの指名でもなんでもない、というわけだ。
「……いいよマイセル。職人は仕事に誠実であれば」
マレットさんが受け入れたというのであれば、それなりに技術を持っているということだろう。だったら働いてもらえばいい。
人の好き嫌いで仕事をするのではなく、きちんとわきまえてもらうことができるなら、それで十分だ。
「でも、態度の悪い人に働いてもらっても、みんなの足並みが乱れます。うちのお父さんがそういうことに厳しいのも、ムラタさん、知ってるでしょう?」
「お、おい、マイセル……!」
情けない声を上げるリファル。しかし、マイセルは追撃の手を緩めない。
「考えてもみてください。監督に無礼なことを言って平然と逆らう、そんなひとがいて、現場に秩序が生まれると思いますか?」
「いや、だから……そいつは、まともな大工じゃなくて――」
「私、この現場でムラタさんが造った昇降機の仕組みを、今まで見たことがありませんでした。お父さんも驚いていました。リファルさんがどんなにすごい技術を修めてるのかは知らないですけど、ムラタさんは、そういうすごいひとなんです。そんなすごい監督を――私の夫を侮辱するひとを、私は許しませんから」
このノリは……山でアイネを蹴り飛ばした、あのときのリトリィのノリと瓜二つだ! さ、さすがリトリィをお姉さまと仰ぐマイセル。そっくり真似している!
リファルの方はというと、がっくりと膝をつき、口から魂でも抜け出ているかのような有様だ。いや、同情はしないけどな。
それにしても、俺の妻になってくれる二人は、実にすごいひとたちだ。二人に秘書をやってもらったら、俺、もう何もしなくても交渉事が進んでいきそうな勢いだ。
……それはそれで、俺の出番がなくなりそうで、俺の存在意義を再定義しなきゃならない気がしてくるけど。
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