第292話:身内を守るために戦うこと

「おい、城内街でケダモノのニオイをまき散らすんじゃねぇよ、くッせぇな」


 背中から聞こえてきた声に、リトリィの足が止まったのが分かった。

 振り返ると、そこにいたのは、年のころ十七、八といった少年たちだった。


 ……またか。

 そういえば、この街に来てすぐのころにも、同じようなクソガキどもに出会ったっけ。リファルもそうだが、城内街ってのは、本当になんだな。



「……コイツら知ってるぞ。このまえの凱旋行列で、馬車の上に乗って手を振ってたヤツらだぜ!」

「本当か!」


 赤髪の少年が言うと、周りの少年たちがゲラゲラ笑った。


「なんだよ、ケダモノ狂いのうえに寝取られたオッサンってコイツかよ、バカじゃねえの!」

「自分の女を助けてもらっただけの間抜けのくせに、馬車の上でこのオッサン、笑いながら手、振ってたんだぜ! 寝取られ野郎のくせに、ホント笑えたぜ!」


 ギャハハハ、と、三人で下品な笑い声を響かせる。

 リトリィがうつむいた。マイセルはおびえているようだが、リトリィを気遣ってか、なにか一言二言、言っている。


 ……いいよな、リトリィ。

 俺は、自分の大切な女性を守ることができなかった、馬鹿で間抜けな寝取られ男なんだとさ。

 ああ、確かにそうだよ。そうなんだが、だからといって、婚約者を侮辱されて、へらへら笑ってはいられないよな? 


 動きかけた俺を、瀧井さんは制止した。


「ムラタさんや、放っておきなさい。ああいう輩は、どこにでも涌くものだ。構う必要はない」

「お? なんだジジイ、戦う前から降参か? 棍棒なんか持っててそれかよ、やっぱジジイだな、死ぬまで座ってな!」


 見るからにサイズが二回りほど大きい服をぞろぞろとひきずるようにしているクソガキが蹴った石が、瀧井さんの足に当たる。

 瀧井さんは気にする様子もないが、それを見た連中は、指をさして腰抜けだと、また笑う。


「おいオッサン! てめぇだよてめぇ! そこのくせぇケダモノ女の腹ん中にいるのが、てめぇの子供だとでも思ってんのか? おめでてぇアタマしてんなぁ!」


 三人の中では、いちばん身なりのよさそうな褐色の髪の少年が、俺を、そしてリトリィを指差すと、鼻をつまみながら言った。

 結局は取り巻きだったらしい赤髪とゾロゾロ服が、わざとらしいくらいに甲高い声で笑ってみせる。


「ケダモノのうえに、さらった野郎どもの●●で汚された女の腹だぜ? てめぇのガキなわけねぶぇあっ!?」


 すみません。俺はやっぱりガキです。俺にとってたった二人の身内をおとしめられて、黙っていられるほど人間ができていませんでした。

 それにしてもひとの顔を殴るって、自分自身の拳へのダメージもかなりデカいんだな、知らなかった。指が、手首が痛い。

 それはともかく、フラついた奴を突き飛ばし、馬乗りになる。


 ……が、そこまでだった。

 ゾロゾロ服の男に肩を蹴られ、俺は無様に地面に転がった。


「チョーシに乗ってんじゃねえぞ、オッサンのくせに!」


 そのまま引き起こされ、頭突きを食らい、そして地面に放り出されて、さらに蹴られ、そして右腕を踏みつけられる――!


「おいコジャック……コモノジャック! てめぇ兄貴がやられたからって逃げてんじゃねえっ!」

「だ、だって……! 思い出したんだ、ソイツ、ケモノキチガイのクソ野郎だ! やられたフリして、やり返してきやがるんだ……!」


 ゾロゾロ服が、俺がやられている間に逃げ出そうとした赤髪を咎めるが、赤髪はあからさまに及び腰だ。

 コモノジャック――どこかで聞いたことがある気がする。


 と、その時だった。


 俺の腕を踏みつけていた圧力が、唐突に消えた。

 鈍い衝突音とともに、豊かな金の毛並みが、俺の上を通り過ぎる。


「だんなさまに手を出すひとには、おしおきです!」


 ――リトリィだった。

 突き飛ばされたゾロゾロ服は五メートルばかり吹き飛んで、そこにあった壊れかけの木箱のようなものにぶつかって止まる。


 リトリィは、へたり込んでいる赤髪を睨みつけると、「……またあなたですか」と、これまでに聞いたこともない低い声でつぶやいた。


 ヒィッ、と赤髪は身をよじり、逃げ出そうとして、そして無様に転ぶ。顔を打ったらしく、鼻を押さえて転げまわる。


「……ざっけんじゃねえ! ケダモノのクセに人間サマに逆らうんじゃねえよ!」


 ゾロゾロ服の男が、壊れた木箱の破片――曲がった釘の飛び出した、即席の棍棒を手に立ち上がった。


「『鉄血党の石つぶて』ニアコモーノが一番舎弟、サイティーン様だぞオレは――」


 その瞬間、その手にしていた板がはじけ飛ぶ。

 強烈な破裂音と共に。


「……ふむ。五十年経っていても、弾は使えたか」


 振り返ると、瀧井さんがやや下ろした鉄砲のレバーを握り、手前に引き寄せているところだった。

 空になった薬莢が落ちて響かせた金属音が、ひどく、場違いなもののように響く。


 瀧井さんは慣れた様子で、ひとつ、ふたつ、みっつ――先ほど取り出していた弾を、また鉄砲の穴の中に押し込み始めた。


 サイティーンとやらは、硬直したまま、なぜか動かない。

 その右頬には、手にしていた木切れが吹き飛ばされたときのあおりで切ったのか、幾筋もの赤い筋が浮かび上がり始める。


 カシャ、ガチャ。

 弾を込め終わり、再び鉄砲を構える瀧井さん。


「次はぞ?」


 その言葉に、自我を取り戻したか。

 赤髪の少年とゾロゾロ服の少年は、我さきにと逃げ出した。


「ふむ……残ったのはこやつ一人か」


 身を起こそうとしていた身なりのいい少年の頭に、ごつりと、鉄砲を押し付ける。

 びくりとしたそいつに、瀧井さんは、天気の話でもするかのように話しかけた。


「お前さんも今、見たろう? こいつは火を噴く魔道具だ――お前さんの頭は、熟れすぎたペシュモの実を壁にたたきつけたときのように、綺麗に弾けるだろう。

 なに、痛いのは一瞬だけだ。ヤサブロー・タキイの身内に手を出した報いを、その身で味わうといい」

「ヒッ……た、たすけ……!」


 真っ青な顔で命乞いをするそいつに、瀧井さんはにっこりと微笑む。鉄砲を、より強く、押し付けながら。

 

「支那戦線では、こいつで多くの支那兵を地獄に送ったもんさ。だが安心しろ。わしは慈悲深いんだ、抵抗しなけりゃ、痛みで苦しむ時間くらい、短くしてやる」

「ヒィィィイイイイイッ!?」


 少年は無様に這いつくばりながら、転げるようにして走り出す。


「抵抗しなけりゃ、苦しめないと言ったろう?」


 瀧井さんは再び鉄砲を構えると、ためらうことなく、引き金に手をかける。


「た、瀧井さん、さすがに殺すまでは――!?」


 俺が叫ぶのと、瀧井さんが引き金を引くのが、同時だった。

 カチッ――


「……ふむ、やはり五十年ものか」


 俺は、へなへなと崩れ落ちた。

 弾は、不発だったのだ。




「まさか。当てるつもりなどなかったよ」


 からからと笑う瀧井さんだが、だがその前の、木の板を振り上げた奴の板を、その鉄砲で打ち抜いたじゃないか。それにとても冗談を言っているようには見えなかった。口調は軽かったけれど、目は、真剣そのものだったからだ。


「目が真剣? 当たり前だろう。わしはともかく、お前さんやリトリィ嬢を、汚らわしい言葉で貶めた輩だ。わしがあと三十年若かったら、間違いなくぶちのめしていたさ。士官学校でしごかれて大陸を駆けずり回ってきた元軍人を、なめるなよ?」


 そう言って、俺の手を引っ張る。


「しかし、意外とやるじゃないか。周りが見えておらんから反撃を食らってしまいはしたが、身内を守るために戦う覚悟をもっていることは、悪いことじゃない」

「……すみません、制止されたのに」

「なに、気にするな。それに、わしだって一人の人間だ。腹の立つこともある。身内を悪く言われていつまでも笑っていられるほど、できた人間でもないのでな」


 ――ああ、そういえば、俺が不当な取り調べを受けたとき、烈火のごとく怒っていたっけ。……そうか、瀧井さんはそういう人だった。


「……って、身内、ですか?」

「違うのか?」

「あ……いえ、その……」

「同じ日本人、同胞はらからだろう? だったら身内だ。そっちもそのつもりだから、わざわざ結婚の報告に来てくれたんだろう?」


 身内――身内か。

 俺にはもう、身内と呼べる人なんて、リトリィとマイセルしかいないと思っていた。

 そうじゃなかった。親父殿をはじめ山の鍛冶一家、マレットさん一家は俺の身内になるのだ。そして、リトリィを可愛がってくれているペリシャさんたちも、身内と言えるのだろう。


 日本から放り出され、もう二度と帰れないと思い、独りきりになったと思っていた。


 違った。

 俺は、独りじゃない。

 助けてくれるひとたちみんなが、俺の、身内みたいなものなんだ。

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