第287話:ケモノ、再び

 山を下りているときに何が邪魔になるって、背中に担いだ九九式小銃だった。これがまた、意外に重い。一メートルちょいある上に、多分二リットルペットボトル二本分くらいの重さがありそうだ。


 今回も、重量物はリトリィが背負っている。俺は、以前の行程で無様をさらしたことを反省して筋トレをしてきたつもりだったが、そんな付け焼刃が通用するはずもなく、結局リトリィがテントをはじめとした「重い荷物」を背負っている。


 で、何がすごいって、リトリィは三人の中で最も重い荷物を背負っているというのに、とくに疲れを見せるようなこともなく、実に楽しそうに先頭を歩き、山のあちこちを紹介するのだ。

 俺が毛布と鉄砲を担いで歩くだけで息が上がっているというのに。


「ムラタさん、ほら、見てください。シェクラの花が咲き始めてますよ」

「マイセルちゃん、エラタの芽です。すこし、摘んでいきませんか? 屋台で揚げてもらうと、美味しいんですよ?」

「ムラタさん、マイセルちゃん。すこし、休んでいきませんか? ここは眺めもいいですし」


 ……本当に、パーティリーダーとしての心くばりに頭が下がる。一家の母親役として、家を切り盛りしてきただけのことはあるなあ。




 日も沈み、俺たちは森の中の小川の側で、テントを張っていた。

 明日の昼には街に着く。食材は携帯食以外は全部、スープの具として鍋に放り込んでいた。

 具もすっかり火が通り、いつでも食べられるだろう。具だくさんのスープは、それだけでもかなりお腹を満たせるに違いない。


「……マイセルは、見たの、初めてかい?」


 硬直しているマイセルに、俺は震えているのを自覚しながら、だけど努めて明るい声で尋ねてみた。

 マイセルはがくがくとうなずく。


「だいじょうぶですよ。話せばわかりますから」

「は、話せばって……」

「わるいことをしたという自覚がなければ、だいじょうぶですから」


 リトリィは、俺やマイセルと違って、とくに脅威を感じていないようだ。

 マイセルが、わずかに視線をずらし、彼女の顔と同じ大きさくらいの目玉と目が合って、即、正面に顔を戻す。


「む、ムラタ、さん……。お姉さまには、こ、怖いものが、ないん、ですか……?」

「な、慣れてるんだよ、きっと。は、はは……」

『おい。これ、食えるのか』


 俺の目の前には、いま、が伏せていて、鍋の近くでにおいをすんすんと嗅いでいる。


『おやめ。ひとの獲物に手を出すでない』


 さらに一回り大きな存在が、前足で頭を押さえつける。


「ごめんなさいね、あなたたちの大きさだと、ひとなめでなくなってしまうから……」


 リトリィが、困ったような笑顔で答えると、そいつもまた、尻尾で俺たちを包みながら、申し訳なさそうに頭を下げた。


『至らない娘が気を遣わせたね、おまえさんと同じ狼として、恥ずかしい』

「いえ。育ち盛りなら、誰でも同じでしょうから」


 実に全く、平然と。

 ……なんで怖くないんだリトリィは!

 青白く光るたてがみのような毛が背中から尻尾まで続く、俺たちをひと噛みで真っ二つにできるほどの、巨大な狼を相手に!


『ムラタ、といったね。以前も会った……』

「えっ、あっ……ええと……!」


 言われて気が付く。

 こいつ、前に遭った、あの巨大狼だったのか!

 そ、そうか、こんな規格外、そう何頭もいるわけないよな!


『あの娘と、つがったんだね。おまえさんの目に狂いはない、あの娘はきっといい仔を産むだろうよ』


 なんで分かるんだよ!

 そう言おうとして、やめた。

 以前、シヴィーさんにも一発でバレたんだ。当然昨夜のことなど、ニオイに関しては野生パワーの本家本元を誤魔化せるはずがない。


魔狼まろうさん、おなかが空いているんですか?」

『娘が食いしん坊なだけさね。……それと私のことは、“ハナちゃん”と呼んでおくれ』

「はい。“ハナちゃん”さん。よろしくお願いしますね?」


 ごく普通に会話してるよ、リトリィ。いや、俺も確かに以前、会話はしてるけどな。でもなんで狼が、人間の言葉をしゃべれるんだ。


『ライトの力だ。ライトに触れて話せば、どんな言葉だって通じるようになる。長く触れていれば、その力が感染うつる』

「触れて話せば通じる……? その力が感染る?」

『わたしはライトの仔を産むほど繋がっていた……そのせいだろう、ライトとほとんど変わらぬ力をもつようになったのさ』


 ……あれ?

 ライトって、もし親父殿の話がほんとうなら、賢者様、だよな? 、だよな?

 頭がこんがらがってくる。以前会ったとき、この狼、俺を「ライト」とかいうやつと間違えたんだ。そしてその「ライト」ってやつは、「ニホン」に「帰った」とか言っていたはずだ。


「あんたは狼だろ? で、そのライトって奴は、人間……だよな?」

『前にも言わなかったかい?』

「……人間と狼で子供? なにかのたとえ話? それとも、拾った子供……」


 言い終える前に、巨狼は喉を鳴らし始めた。

 間違っても甘える声じゃない……!


『まさか、わたしの娘が、他のオスとつがってできた仔だとか言うんじゃないだろうね……?』

「言いません言いませんそんなこと絶対に言いません!」

『そうかい。ならいいんだよ。最近はとんと悪い奴も減って、人間を噛み殺す感覚というものを久しく覚えていないからね……残念だよ?』


 あぶねーっ! 俺、地雷踏んだのか! 死ぬかと思った!

 額に、首筋に、嫌な汗が噴き出してくるのをリトリィがハンカチで拭きながら、しかし俺を非難するように言った。


「……いまのは、ムラタさんがわるいですよ? “ハナちゃん”さんの貞節を疑うようなことをおっしゃるから」

「俺!? 俺が悪いのか!?」

「当たり前です。つがえば仔ができる、当然のことでしょう?」

「ちょちょちょ、ちょっと待て! 狼と人間だぞ!?」


 遺伝子が九九パーセント同じはずの人間とチンパンジーだって無理なことなんだし、まして人間と狼との間になんて――頭にそうよぎった俺のなにかを察したのか、リトリィが、悲しそうに顔をゆがめた。


「……ムラタさんは、やっぱり、わたしとの間には仔はできない、そう思ってらっしゃるんですね……?」

「え……? い、いや! そんなこと、けっして……!」


 まさかそっちに飛び火するとは!

 慌てて火消しに走るが、リトリィはじわりと目に涙を浮かべる。


「でも、“ハナちゃん”さんのお子さんのこと、信じてらっしゃらないじゃないですか……」

『ふうん……そうかい。やっぱりおまえさんは――』


 あとは泥沼だった。

 こらえきれずに泣き出すリトリィ。

 それを見て、直前まで魔狼におびえていたはずなのに急に怒り始めたマイセル。

 口先だけのオスなど信用できない、と怒りをあらわにする「ハナちゃん」。


 そうだよ、ここは地球じゃないんだよ! そもそもどういう仕組みなのかは知らないけど、遺伝子が違うはずの獣人族ベスティリングとの間で子供が作れるんだから、考えるだけ無駄だったんだよ!


 ああもう、ほんとごめんなさい!

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