第280話:親族へのご挨拶…?(1/2)

 工事開始から十日経過した。


 移設した壁を支えるための床下工事から始まった工程は、人力昇降機エレベーターの設置、壁の切り取りと移動、二階の壁の残骸の撤去、二階の新しい壁を支えるために一階に壁を追加する工事(できた空間は物置にする予定)ときて、いよいよ二階の新しい壁に取り掛かり始めている。


 構造の強度に関わる重要な木骨部分は、マレットさん率いる熟練の大工チームが担当してきっちりと仕上げている。で、ヒヨッコチームは木骨の間を埋めるレンガの壁を積み上げていく。


 木骨を組むのに必要なほぞ穴などの加工については、ヒヨッコチームの中でも比較的経験を積んでいる者が担当し、仕上げは熟練チームが担当する。


 この分担方式は、俺が提案した。おかげで、熟練者は些事にとらわれず次々に作業を進めていけるし、ヒヨッコチームも最低限の経験を積むことはできる。


 数日も経過すれば、俺が現場にいなくても、みんなやるべきことはすっかり理解できているから、図面に関する質問もない。


 だから、俺は、殴られに行く事にした。

 ――山に。




「くそぉ! ヒョロガリ! てめぇなんかにくれてやるために、妹を守ってきたわけじゃねえんだからな!」


 やっぱり殴られた。脳天からのすさまじい衝撃に、予期していたとはいえ、頭を抱えてしゃがみこむ。


 だが、即座にリトリィに突き飛ばされたうえに思いっきり蹴り飛ばされて転げていくアイネに、さすがに少し、同情する。

 いや、体重が一〇〇キログラムくらいありそうな筋肉ダルマを、転がるくらいの威力で蹴り飛ばすって、どんだけキック力があるんだリトリィ。


「よぉ。久しぶりだな。アイネのことはまあ、気にするな。妹を連れ出してくれて、こっちはむしろ感謝してるんだ」


 弟が、すさまじい脚力によって蹴飛ばされているというのに、全く動じた様子もないのは、相変わらず真っ黒に日焼けしているフラフィーだ。笑いながら、足元に転がっているアイネをさらに蹴る。


 それにしてもこの兄弟、いくら春で温かくなってきているからって、この風の冷たい山で、なんで二人とも上半身、裸なんだ。


「兄貴! 俺はリトリィが不憫でならねえ! なんでこんな、ハンマーも満足に振るえそうにないヒョロガリなんかに、オレたちよりずっと優れた鍛冶屋になれそうな妹が嫁がなきゃならねえんだ!」


 がばっと起き上がったアイネ。ああ、やっぱり頑丈だこいつ。痛そうなそぶりひとつ見せない。

 そんなアイネに、フラフィーが笑いながら、両の指の骨をボキボキと鳴らしつつ問いかける。


「…………?」

「……ずっと、優れた、鍛冶屋に……」


 フラフィーは、ため息をついてアイネの腹の上に座ってみせた。もう一度蹴ろうとしたリトリィを牽制するように。リトリィ、ステイ、ステイ!


「お兄さま、どいてください。を蹴れません」

「……許してやれ、リトリィ。このバカは、大事な大事な可愛い妹を取られて、スネてんだよ」

「だからといって許せません。わたしは、わたしのだんなさまになる方を侮辱するようなひとなんて、兄などと認めません」


 リトリィの目が、ものすごく険しい。こんなに怖い目をしたリトリィなど、そうそうお目にかかれるものではないだろう。山にいたときの、あの従順な彼女からは想像もつかない。


 いや、今までもアイネの頭に切り株を振り下ろしたりしてたけど、あれは、感情が高ぶって暴走していただけだ。こんなに怖い目つきをアイネに向けたのは、初めて見た。明らかに、「敵」扱いだ。


「リトリィ、に向かってそんな目をするな。ナリクァンさんの淑女教育は、そんなことをするためだったのか?」

「いざという時に夫を守れない妻など、妻たる資格はありません! そのように伺っています!」


 ――だめだった。彼女の主人たる威厳を示そうと思ったら、逆に火をつけてしまった感じだ。ごめんアイネ、おとなしくリトリィに蹴飛ばされてくれ。骨は拾ってやる。


「なにが骨は拾ってやる、だ! リトリィがお前の言うことだけは聞くことくらい、分かってんだろうが! 止めろよ!」

「自分が侮辱した相手に助けを求めるなんて、どれだけ情けないんですか!」


 ……リトリィ、容赦ねえな。


「まあ、アイネのことはほっとくとしてだ」


 フラフィーが、尻の下からの抗議を無視して、リトリィの後ろを指差す。


「そいつはなんだ? 付き人……って感じでもねえが」


 そいつ呼ばわりされた少女が、びくりと体を震わせ、リトリィの影にかくれるように引っ込む。

 リトリィが、大丈夫ですからとなだめるようにして、自分の隣に立たせる。


「この子は、街大工のマレット・ジンメルマンさんの娘さんで、マイセルちゃんといいます」

「か、かばねもち大工、マレット・ジンメルマンが息女、マイセリオシスと申します! よろしくお願いいたします!」


 ……緊張のせいか、声を上ずらせながらも、はっきりとした大きな声で名乗るマイセル。


「ジンメルマン? ……ああ、街の」


 フラフィーは立ち上がると、右手を挙げてみせた。マイセルも、慌てて返礼の右手を挙げる。


「すまねえ、お客さんか。こんな山奥くんだりまで、ご苦労さん。今日は、親父さんのお使いかい?」


 フラフィーが、ニカッと笑顔を見せる。白い歯がまぶしい。


「ノミか? カンナか? ノコギリなら、最近面白い作りのものに挑戦してるんだ。試作でよければ、タダでいいから親父さんに試してもらえるとありがたいが」


 マイセルが緊張のあまりなのか、半笑いの涙目になってこちらにすがるような目を向ける。真っ黒に焼けたフラフィーの、鍛冶仕事で鍛えられた上半身は、彼女にとってなかなかに強烈なプレッシャーを感じるものらしい。


「お兄さま、マイセルちゃんは工具の買い付けに来たのではありません。それより、ちゃんと上着を羽織ってください」

「何を言う、もうすっかり春でいい陽気だろ、服なんざいらん」

「年頃の女の子の前に立っているということを意識してください、と言ってるんです」


 呆れ顔のリトリィに、起き上がったアイネがムッとしたような顔をした。


「なんでえ、惚れた男の前だからって色気づきやがって。相手はムラタだぞ、今さら知らねえ仲でもねえし――」

「バカ、そこのお客さんのお嬢さんのことに決まってるだろ」


 言いかけたアイネの頭を小突くと、フラフィーは改めてマイセルに向き直った。


「買い付けじゃないなら、今日はどんな御用で?」




「ざっけんなオイてめえコラ! リトリィを嫁にする前に、新しい女に手を出しただと!?」


 春の澄み渡った空の下で、ケダモノの絶叫と、ぶっ飛ばされつつ意地で殴り返した俺のうめき声と、激怒したリトリィの咆哮と、情けないケダモノの悲鳴が、それぞれに響き渡った。



 

「まあ、挨拶になんか来なくてよかったんだけどな。その、筋を通そうとする心がけだけは褒めてやる」


 ジルンディール親方は、しかめっ面をしたまま、頷いてみせた。


 目の周りに付いたフラフィーの鉄拳による青あざをはじめボロボロの俺、俺以上にズタボロになって今もフラフラしているアイネ、そんな俺たちを呆れ顔で見ているフラフィー。


 俺の両隣には、血のにじむ俺の口元をぬぐってくれているリトリィ、そして俺と親方のどっちを向けばいいのか分からないのか、落ち着かないマイセル。


「それで? 結婚の報告をしに、わざわざこの山まで来たってのか?」


 耳の穴をほじくりながら、親方はつまらなそうに言った。


「そんなことしなくたって、勝手にくっついてりゃいいものを」

「親方にも、式に列席していただきたいと思いまして」

「あ? そんなもん、お前らはこの家を出たんだ。こっちにゃ構わず、好きにやればいい。街で知り合った人間を見繕って、適当に並べとけ」


 じつは、リトリィはこの返答を予想していた。おそらく、父は式に出るとは言わないでしょう、と。

 だからこそ、俺は、ここに来たのだ。


「いいえ。ぜひ、親方に列席していただきたいのです。俺はともかく、リトリィの、晴れの舞台のために」

「鍛冶屋の晴れの舞台っつったら、自分の工房を開く日だろ。結婚なんざ、男の持ち物になり下がる日だ。めでたくもなんともねえ」


 そう来たか。さすがひねくれ親父。しかし、父は式に出ないだろう、と言ったときの寂しそうなリトリィの顔を思い浮かべると、「ハイそーでスか」などと引き下がるわけにはいかないのだ!


「なるほど、それは残念です。実に残念です。俺はこの身一つでこの地にやってきました。親兄弟親類縁者、なにひとついません。そしてリトリィも、この館のひとびと以外に、縁者はいないのです。この意味は、お判りでしょう?」

「知るか。リトリィには、もうすでに、ひとりで生きていくだけの技を、持参金代わりに持たせた。あとは自分の力で生きていくだけだ。成人するとはそういうことだ」


 親方は一息つくと、しばらく俺をじっと見つめてから、続けた。


「ムラタ、おめぇもまずはこの地で一仕事、終えたんだろう? 以前と目つきが違う。以前とは違う、自信のある目だ。オトコになったってことだな。つまり、嫁の一人や二人、自分の腕で食わせていく覚悟を決めたということだろう?

 だったらもう、オレの出番など、ねえ。おめぇらで、好きにやれ」

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