第279話:リフォーム(2/2)

「……え? とこりの、一から十までって、どういう意味ですか?」

「そのままの意味だ」


 ……そのままって言われても。

 俺は床入りの意味をひとつしか知らないぞ? ……まあ、ことだ。うん。そう。寝ること。


 なんだろうなー、ベッドメイクの作法とか、そんなの感じのことですかねー?


 とぼけてみせた、俺にマレットさんは極太の青筋を浮かべながら微笑んだ。口元をひくつかせながら。


「ほほう? もちろんそれは、冗句じょうくで言ってるんだよな?」


 ですよねー。やっぱり冗談では済ませてもらえなかったか。

 つまりアレだ、 母親二人で「 夫婦生活最初のイロハ」を教えられた――そういうことなのだろうか。


 ……一体何を吹き込まれたんだ!?  恐ろしくて聞く気にもなれない。


「まあとにかくだ、いまさら娘とさっさと寝ろなどと焦らせるつもりはない。どうせ初夜まであと二十日もないんだ。 ただ、それなりの覚悟はさせておくから、頼んだぞ」


 そうきましたか マレットさん。

 しかし、さらっと言われた「初夜」という単語はともかく、確かに言われてみればその通りだ。今までリトリィの ことばかり考えていて マイセル のことを後回しに考えていた。

 彼女だって、俺のことを好いてくれているのに。


 そう考えると、自分のことがひどく身勝手な人間に思えてきた。マイセルだって、今回の俺の災難に当たって、リトリィと一緒に泊まりがけで看病してくれた。

 どちらがどう、ではなく、二人とも俺のために必死になってくれたのだ。


「いいか、ムラタさんよぉ。オレぁな、アイツのためを思って、大工にならせまいとしてきたんだ。金槌握って喜んでるような娘に、嫁ぎ先なんて、あるわけがねえじゃねえか!」


 テーブルを叩くと、俺の肩に、その丸太のような腕をぐるんと絡めてくる。


「――それがなんだ、あっさりオトコ、捕まえやがってよぉ! それも、娘が大工になるのを応援する、だとお? ったく、オレの今までの苦悩は、胃の痛む思いをしてきたのは、何だったんだ!」


 ま、マレットさんって、実は酒に弱かったのか? こんなに絡まれるとは思わなかったぞ!

 しかも、マイセルが見ている前で!

 ああ、だめだマレットさん! 娘さんが見てますよ! 幻滅されますよ!!


「ムラタさん、放っておいてください。お父さんは構ってほしいとき、お酒で酔っ払ったふりをするんです。樽で飲んだって酔っぱらいそうにないひとなのに」


 ……は?

 冷めた目で言い切ったマイセルに、マレットさんがにやりと笑う。


「マイセル、種明かしが早すぎだ。亭主の本音、聞きたいんじゃなかったのか?」

「ムラタさんはお父さんと違うから」


 がははは、と笑うマレットさんに、マイセルがため息をつく。


「それから、お母さんたちに教えてもらったのは、リトリィさんとうまくやっていくためのお話。勝手に話を作らないで」


 そう言うと、マイセルは実にすまなさそうに頭を下げた。

 なるほど。でも、マレットさんに絡まれて気づくことができたことはあったんだ。悪いことだったわけじゃない。




 マレットさんは席を立つと、今日働いた男たちの中に混じっていく。今日はマレットさんが壁の移動のために応援を呼んだから、以前、小屋づくりの時に呼んだ人も数人、混じっている。すぐ目の前でしかめっ面しながら飲んでいるツェーダ爺さんなんか、その一人だな。


 ツェーダ爺さんはこの業界が長いから、昇降機の意味も分かってくれたけど 、定滑車と動滑車の組み合わせの意味はなかなか理解してもらえなかった。まあ、実際に使ってみて実感してもらって、それで有効性を分かってもらえはしたんだが。


「おい若造」


 ツェーダ爺さんがコップを空けながら言った。


「 あの昇降機の仕組みは誰が考えたんだ」

「 俺です」

「嘘をつけ。 お前のような若造に考えられるはずがない」


  じいさんは、相変わらず面白くもなさそうに言った。


「 マレットか?  マレットの考えだな、正直に言ってみろ」

「いいえ? 全部、ムラタさんが考えたんですよ?」


 リトリィが、爺さんのコップに麦酒を注ぎながら言った。


「ムラタさんは、とってもすごいひとなんです。 わたしの自慢のだんなさまです」


 さらりとのろけてみせるリトリィに、じいさんは更に面白くなさそうな顔をしてみせる。


「あんた、ジルンところの娘だな。 こんなやせっぽちを婿にするのか? ジルンのやつ、本当にいいと言ったのか?」

「もちろんですよ? もうすぐ、シェクラの花の下で式を挙げるんです。よかったらおこしくださいね」


 爺さんがリトリィのことを、ジルンディール親方の娘だということを知っていたのは驚いたが、リトリィもあっさりと式を挙げる、などと言えるところに驚く。


 いや、違うな。

 言えるようになれたんだ。やっと。




 宴会の後片付けをしているリトリィとマイセルを見ながら、ゴーティアスさんがつぶやいた。


「正直に申しますと、うまくいくとは思っておりませんでしたわ。壁をそのまま動かすなんて。――若い人の発想には、驚かされるものですね」


 アラサーの俺は若いのか? 一瞬そんなことを思ったが、まあ、俺の倍以上生きているゴーティアスさんにしてみれば、俺などまだまだ若造なのは間違いない。


「思いついたことを、実行できるように考えて、そしてやりきってしまう――若いって、素晴らしいわね」

「リトリィのおかげです。彼女がヒントをくれたから、俺はそれを形にできました」


 俺は、これまでに何度も口にしたことを、繰り返した。ゴーティアスさんが、俺を見て、微笑む。


「自分の手柄にしないのですね」

「俺はいつも誰かに助けられてますから。今回も、大奥様には本当にお世話になりましたし」

「……もう少し、自分を誇ってよいと思いますよ?」


 ゴーティアスさんの言葉に、俺は小さく笑う。


「おごるよりはいいと思っています。俺は、支えてくれたひとへの感謝の気持ちが大事だと思っていますから」

「……殿方ですのに、欲のないこと」

「欲張りですよ? 世界で一番綺麗な女性を、俺は妻にできるんですから」


 ゴーティアスさんは、俺を真顔でまじまじと見つめた。

 なにを馬鹿なことを言っているのかという感じで。

 ……やっぱりキザなことを言うもんじゃないな。

 そう思ったら、予想の斜め上の方向でたしなめられた。


「そういうことは、本人に言っておあげなさい。どうせ、本人には言っていないのでしょう?」


 思いっきり見抜かれていた。


「……あ、いや、その……綺麗っていうのは、もう、言いましたよ?」

「『世界で一番』を付けて?」


 ……すみません。言えておりませぬ。

 沈黙して視線をそらした俺に、ゴーティアスさんはため息をついた。


「では、それは宿題ね? ……ああ、ベッドで言ってはいけませんよ? そういうところで、とってつけたように言われても、嬉しさは半減ですからね?」


 またも見抜かれていた。ぐふぅ……。


 


「ゆっくりでいい、ゆっくり上げろ!」


 マレットさんの言葉に、ロープを引くヒヨッコたちがうなずく。

 前回、最も慎重になるべき作業が終わったので、以前、小屋を建てたときのヒヨッコチームが再び集められたのである。

 そんなヒヨッコたちがロープを手繰るたびに、少しずつ、レンガや材木を積んだ昇降機が上昇する。


 自分一人ではとても持てないようなたくさんのレンガや材木が、ロープを引くたびにどんどん持ち上がってゆくのが楽しいようで、ヒヨッコたちは我先にと、ロープ引きをやりたがった。


 それにしても、自分が設計し、組み立てを指揮した機械が活躍しているのを見ると、胸の高鳴りが半端ない。いやあ、作ってよかった!


「しっかし、あんな組み合わせ方で、あんな力を発揮できるなんてな」


 マレットさんが、実に楽しそうな顔をしている。

 彼は、動滑車のもつ意味を理解していた。だが、俺の示した設計図を見て、首をかしげたのだ。


 壁を下ろすだけなのに、上に固定されている滑車の下に、さらにぶら下がっているあの滑車はなんだ、と。

 なんで滑車が三つ、並んでるんだと。


 定滑車三つ、動滑車三つの組み合わせになっていて、力が六分の一になるから、と言ってもイメージがしづらかったようだが、実際に組み立てたものに若いやつを一人載せて実験してみたら、手応えがかなり変わっていたのを実感したらしく、とても驚いていた。


 特に今回はレンガ製の壁。接着用のモルタルを含めて、一個がおよそ二・五キログラムほど。

 そのレンガを、高さ二四個分(約一・五メートル)、横十個分(約二メートル)くらいで切り取ると、漆喰しっくい腰壁こしかべの木材などを含めておよそ六五〇〜七〇〇キログラムほどになる。


 それを、一〇〇キログラムを超える程度の力で扱えるようにしてくれたのだ。ビバ! 科学知識!

 中学レべルの知識で作れるものでも、これだけ実用的なのだ。やっぱり勉強は大事だと、つくづく思う。


 で、現状では階段がしばらく使えないが、この昇降機を使えば資材を上に運ぶことがむしろ簡単になったのだ。

 レンガなどの資材を、階段を使ってえっちらおっちら運ぶのに比べたら、一度にたくさんの量を、一気に二階まで持ち上げられるのだから!


 これぞ一石二鳥、どう下ろすかを悩んでいたところから、リトリィの「階段をずらせば」発言からの、簡易エレベーターの開発である。

 そこまで考えたとき、リトリィと一緒にベッドの上で、二人で大はしゃぎしてしまったものだ。あのときあの朝の遅刻も、許してくれというものだ。


「とにかく、アンタは大した奴だ。頭で家を建てる、その言葉に偽りは無かったな」

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