第278話:リフォーム(1/2)
さすがは
俺の修正案をすぐに理解すると、工程表を見直して、あっという間にやるべきことを整理してしまった。
何よりありがたかったのは、滑車の意味をきちんと理解していたということである。まあ、建築に携わる以上、てこの原理を応用した動滑車と、それを利用したクレーンの原理は、当然知っていて然るべきだったのだろう。
と思いきや、定滑車はともかく、動滑車による「小さな力で大きな仕事」は、大工ギルドの重要な秘匿情報だったらしい。どうして「ギルドに入ったばかり」の俺が、動滑車の仕組みと、その恩恵を知っているのかと、ひと悶着あった。
動滑車なんて、中学校の理科の知識だ。やはり基礎科学を理解しているっていうのは重要だ。勉強ってのはどうしても面倒くさいし、だから学校もあれこれ批判されがちな場所だけど、重要だよ、うん。
その計算の仕組みを後でギルドに報告する、ということでとりあえずその場は一端やり過ごし、階段の一部を撤去したあと、一日かけて即席の昇降機をこしらえる。
さすがに家の
一つが動き出せば、連動して様々なことが動き出す。これまでの停滞ぶりが嘘のように、工事は進んでいった。
「ムラタさん、お茶が入りましたよー。休憩しませんかー?」
下からの声に、二階から身を乗り出すと、マイセルが手を振ってきた。直後に、ゴーティアスさんから何かを言われたらしく、「はあーい、大奥様!」と元気よく返事をしている。
また、どうせ淑女ならそんな大声を出さないものです、とかなんとか言われたんだろう。マレットさんを見ると、苦笑いをしていた。
玄関ホールで、職人たちとともに車座になって、リトリィが焼いてくれた焼き菓子をほおばる。
リトリィの餌付けは、今回も威力を発揮しているようだ。
「今回のやりかたも、ムラタさんが考えたんですか?」
給仕の合間を縫うように、マイセルが話しかけてきた。
「まあね。壁を担いで階段を下りるのは危険だし、運べる大きさにも限界があるからね。ただ――」
ちらと、リトリィの方を見る。
「ただ、背中を押してくれたのはリトリィだ」
「そうなんですか? お姉さま」
「えっ……?」
急に話を振られたせいか、目をしばたたかせるリトリィ。だが、彼女が『階段をずらせば』と提案しなければ、俺はこの昇降機を使った壁の運搬方法を、実行しようとしなかっただろう。「ベストではないがベター」と、階段を使っていたに違いない。
階段を撤去してから、切り分けた壁を下ろす。
アイデア自体は実に単純、どうしてその発想が出なかったと恥じ入るばかりだ。
だが、リトリィに言われるまでそれが出てこなかったのは、階段は「使うもの」という先入観があったからだろう。プロとして情けない。
「情けないって……そんなことないです。わたしの思い付きを聞いて、それを取り入れてくださったムラタさんの方がすごいです。どうしてそんなことをおっしゃるんですか?」
リトリィが、悲しそうにたしなめる。ああ、俺が卑下することは、彼女にとっての誇りを貶める、と言うことにもつながるわけか。なるほど、謙遜も過ぎると、かえってよくないってことだな。
でも、それだけ俺のことを誇らしく思ってくれているひとがいる、それだけで、自分という人間が強くなれる気がするから不思議だ。
彼女のために、何でもできる――できなければいけないと思ってしまう。
「お姉さま、それがムラタさんの困ったところだし、でもほうっておけないところなんですよ」
マイセルが、擁護だがけなしてるんだかわからないことをいう。
「捨てられた子犬みたいで、可愛いじゃないですか」
……おい。怒るぞ?
「気をつけろ! 気を緩ませるな! 全員が同じ速さで、ゆっくり下ろしていくんだ!」
やはり壁の移動は本当に大変だった。
壁の底部のレンガを慎重に、かつ大胆に外していきながら、そこに半丸太を少しずつ差し込んでいく方法で「底」を作ってゆく。
そうやって下支えを万全にしてから、今度は天井側のレンガを外していき、壁を、床と天井から切り離していく。
もちろん、壁をぶち抜いてしまうわけだから、天井の重さはどうするのか、というのが一つ課題になるのだろうが、幸いだったのは、この家が「
もし、純粋な石造りやレンガ造りの家だったら、柱は存在しない。壁の全部が「耐力壁」となり、壁で支える家となっていたからだ。
つまり、壁をぶち抜くことはそのまま天井を支えられなくなることを意味していたため、補助の柱が必要だったのだ。
ところが、今回の家、というより、この家のある区画は城内街でも比較的新しい、
これがもう少し歴史のある区画だったら、完全な石造りの家だっただろう。もしそうであればレンガのような規則正しい構造でもなかったはずで、リフォームはもっと大変だったかもしれない。
とはいうものの、大変な作業に変わりはない。なにせ、
壁が持ち上がり、ゆっくりと廊下の方に出てゆく。
床に並べた
昇降機のある吹き抜けまで来ると、下の職人たちに合図をし、木の台にロープを引っ掛ける。
さあ、頼むぞ即席エレベーター!
「みしり、と、軋んだときには、オレも大丈夫かと危ぶんだがな。まあ、うまく行ってよかったよ」
マレットさんが、上機嫌で俺の背中をバシバシと叩く。
一日の作業が終わった俺たちは、ゴーティアスさんの屋敷で夕食をごちそうになっていた。
もちろん、腕をふるったのはリトリィとマイセルである。特にマイセルは、花嫁修業の一環として、かなり色々、厳しくあれこれさせられたらしい。
「でも、とってもがんばっていましたから、あとでいっぱい、ほめてあげてくださいね?」
リトリィが苦笑しながら、そっと教えてくれた。
「これで、あとはもう、いつもどおりの仕事だな!」
「そうですね、明日からはマイセルちゃんにも現場に入ってもらいましょう」
「そうさせてもらえるならありがてえが、いいのか? ゴーティアス婦人の花嫁修業ってやつは、まだまだ続くんだろう?」
マイセルの様子を目で追いながら、マレットさんは少しだけ、心配そうな顔をした。
「頑張っているそうですから。俺からも、夫人に頼んでおきますよ」
「そうか? すまねえな」
マレットさんはそう言って、コップをあおる。
「まだ子供だ、子供だと、思っていたんだがな……」
小さくため息をついたマレットさん。……そうだ、あと二十日ほどで式、なんだ。親として、感慨深いものがあるんだろう。
「おい、婿殿、分かってるのか?」
「はい!」
思わず、背筋が伸びる。
マレットさんの目が、座っていたからだ。
「俺はな、あんたの意気地のなさに、腹を立ててるんだからな?」
「意気地のなさ、ですか?」
「おうよ! 花嫁修業とはいえだな……!」
マレットさんが、声をひそめる。
「あんたが手を出さない理由は
だもんだから、
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