第274話:二人の時間
にへら、と笑った狼の顔というものを、見たことがあるだろうか。
俺はある。
たった今。
「りあるばうと☆ガロウ伝説……イイな、それ!」
なんか中二病的に、自分の右手を顔の前でゆっくりと開いてみせて、そしてまた、一気に握りしめる、そんな動作を繰り返している。……まあ、本人が気に入ったならいいか。
「よし。これからは特別に、この姿のオレをガロウと呼ぶことを許してやろう。今日から狼のオレはガロウだ。いいな? レンガ割り」
なにやら右手で顔を覆いながら、リトリィに対してクックックと、低く笑ってみせる。
頼む中学時代の俺の
「ガロウさん、よかったですね!」
純粋に微笑み祝福するリトリィに、ガロウはしばらくポーズをあれこれやってみせていた。
こいつ、意外に少年だった。
「ムラタさん、あれでよかったんですか?」
酒盛りの大騒ぎの中心にいるガロウを見ながら、リトリィの問いにうなずく。
「
我ながらいい考えだと思っていた。ところが、リトリィは首を横に振った。
「いいえ? その……わたしたちのおうちに来たあの人のことです」
「……ああっ!?」
そうだ! あの襲撃者の糞野郎! リトリィが一時間くらいかけて選んでくれたリボンやらなんやらで縛り上げたままだった! 毛織の布も、弁償させてない!
「え、えっと、そうではなくて……あのかたたち、ナリクァンさまのお屋敷に、連れて行かれたんですよね?」
言われて思い出す。たしか「鉄血党の党員の身柄を確保していらっしゃると伺ったのですが……」と、立派な身なりの執事と思しき初老のおっさんが来て、俺たちが捕まえたシマカって奴と、ガロウが縛り上げてきた奴のふたりともを、連行していったんだっけ。
「まさかムラタ様とリトリィ様だったとは。お手柄でしたな、このたびはご協力感謝いたします」
そう言ってうやうやしく頭を下げ、金一封を押し付けていった。
ついでに、リボンやら何やらで縛り上げられた奴を見て、何やら気づいたようで、「この度の損害の見舞金として、裸銭ではございますが、どうぞ、お納めください」と、銀貨を五枚も渡された。
こればっかりはさすがに受け取れないと首を振ったが、おっさんは受け取ろうとしなかったため、仕方なくいただいた。
どうも鉄血党とやらは、
おそらく奴は、下手したら本当に
「……いいんだよ。ナリクァンさんがうまくやるさ」
「そうですか? こわいひとでしたし、お優しいナリクァンさんに、万が一のことがあったらって思うと――」
家の中から表の石畳まで思いっきり蹴り飛ばした君が「怖い」って、それはひょっとしてギャグで言っているのか?
ナリクァン夫人にしても、俺を「リトリィを利用する、女の敵」と評して、もう少しで指の先からみじん切りにするところだったんだぞ?
ためらいなく左の小指の爪をはがしにかかったところから、おそらく比喩抜きで。
だが、そんなことは俺だけが知っていればいいことだ。リトリィにとっては、厳しくも優しい祖母のような女性、それがナリクァン夫人であればいいのだから。
「まあ、ナリクァンさんにも考えがあるんだろう。それより、もう一度市場に行かないか? せっかくの買い物が台無しになっちゃったからな」
そう誘うと、彼女は一度は笑顔になり、しかし、頬を染めてうつむいた。
「市もいいですけれど……その、お怪我も、だいぶ、治ったのでしょう? ……その、おうちで、休んでいきませんか? 一刻ほどでいいですから……」
結局、一時間どころか三時間ほど、家で「ご休憩」をした俺たちは、日も傾いた市場を歩いていた。考えてみれば、周囲に気兼ねすることなく二人でベッドを共にできたのも、久しぶりだ。
俺の方は、その
服の材料の再購入については、一度、散々迷った挙句に購入したものだけあって、二度目の買い物ではそれほど長時間は迷わなかった。
とはいえ、やっぱりあれこれ試された。特に、縁取りの飾り布などについては、結局また相当に悩んでいた。
で、その山のような買い物を手に、リトリィは実に満足そうだ。
「ムラタさんに着ていただく日が楽しみです」
買い物を女性に持たせて男の俺は手ぶら――なんだか寄生虫のような気になってしまうが、リトリィが持たせてくれないのだ。
「だって、ムラタさんはさっき、いっぱいがんばってくださいましたから!」
そう言って、リトリィは嬉しそうに隣を歩く。しっぽがばっさばっさと左右に大きく振られていて、とても機嫌がよさそうだ。
いや、俺が頑張ったのは最初の一回――久しぶりのぬくもりと締め付けのせいか、暴発に近い短期決戦でものすごく凹んだ――だけで、あとは君が上で搾り取ってただけで……。
「ムラタさん、あれ、食べませんか? マイセルちゃんへのお土産にもなりますし」
そう言って、揚げ菓子のようなものを指差す。そういえば、なぜか家でたっぷりの油を使う揚げ物は作らないことに気づく。石鹸に相当する強力な洗剤がないからなのか、それとも食用油が高価なのか。
いずれにしても、自前で作らない揚げ菓子は、土産としてちょうどいいかもしれないな。
「リトリィ、ほら、あ~ん……」
リトリィの両手は買い物でいっぱいだから、一本つまんで差し出した。
上目遣いにこちらを見ながら、彼女がぱくりとくわえる。
……俺の指ごと。
ええと、俺の指をしゃぶるようにする、その上目遣いが、
実際に、俺の指をくわえた口の中で、べろべろと指を舐めまくる舌の動きが、
……すごく、えろいです。わざとやってるな、リトリィ。
リトリィが、いたずらっぽく笑ってみせる。
揚げ菓子の屋台のおっちゃんも、おれの店の前でいちゃいちゃするなと、呆れたように笑った。
俺も一本、食ってみることにする。
――カリッ。
揚げたての、かりんとうのような形の菓子はカリカリとしていて、実に油臭いながら、こんな食感の食べ物を口にしたのは、この世界に来て以来、初めてだったことに気づいた。
かりんとうと違って砂糖や黒糖のコーティングなどないから、甘くないラスクをかじるようなものだが、それでもこのカリカリとした食感が楽しめるのはいい。
揚げる、という調理方法の偉大さを思い知った気分だ。
なにより、その偉大さをリトリィと一緒に味わえたのが、とても嬉しい。二人の時間をこうして味わうことができて、本当によかった。
「ムラタさん、お姉さま、お帰りなさい!」
ゴーティアスさん宅に到着すると、マイセルが屋敷から飛び出してきて、勢いよく飛びついてきた。
ギルドを出るときに、散歩が長引いた訳を、冒険者ギルドの伝令の少年に使い走りさせておいたから、帰りが遅くなるということ自体には理解をしてもらえていただろう。
ただ、一時間ほど
そう思っていたら、ゴーティアスさんとシヴィーさんが、玄関で、じつにもう、遅れた分はナニをしていたか、十分に分かってますよと言いたげにうなずいていた。
ええ、すみません、ほんとーにすみません。
俺の懐に顔をうずめていたマイセルが顔を上げると、お夕飯の準備がもう少しで整いますからと、俺の手を引っ張る。
「今日は、私が主でお夕飯を作ったんですよ! 大奥様と奥様に、いっぱい、いろんなことを教えていただきました!」
……ああ、しまった! そうか、リトリィを長く引っ張ったってことは、つまりマイセルに負担を押し付けることになったのか!
申し訳なくて頭を下げると、マイセルの方が驚いた。そして、すこし、悲しそうな顔をした。
「ムラタさん、私、頑張ったんですよ……?」
……そうか! そうだ、マイセルは俺たちが留守にしている間に、俺たちを驚かせようと頑張ったんだ。くそう、かける言葉を間違えた!
相手を思いやるようで、その実、相手のことを考えていない、上っ面だけの思いやり、謝罪。だから俺は日本でモテなかったんだよ、まったく!
「ああ、もっと早く帰れば、マイセルが頑張ってるところを見れたのにな。ありがとう、夕飯が楽しみだよ」
そう言って、彼女の頭をくしゃくしゃっとやる。
マイセルはくすぐったそうに、だが嬉しそうに「はい! 任せてください!」と元気よく返事をすると、玄関に向かって駆け出した。
ゴーティアスさんに、「淑女は慌てないものですよ」と注意され、「はぁい! 大奥様!」と返事をして、しかしそのまま玄関に駆け込んでゆく。
リトリィがそっと寄り添って、上目遣いに、うつむいてみせた。
……君はさっき、いっぱい可愛がったじゃないか。
そう思ったが、気を取り直し、頭を撫でてやる。
こちらも、嬉しそうに微笑んでみせた。
……この笑顔を見て、やっぱりデートしてよかったと、改めて実感できた。
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