第265話:なんでこんなに強いんだ

 濡れネズミならぬ、濡れ狼が玄関に出来上がる。


「おととい来てください」


 水もしたたるいい男――どころじゃない、じつに渋い顔をしている狼男に対して、マイセルの、じつに朗らかな笑顔が対照的だ。


「オレは、あのメスに、ドアから入ってくれば話を聞くと言われたんだ」

「お姉さまを寄こせって話でしょう? ええ聞いてますとも。だから何度でも言ってやりますわ、『おととい来てください』」

「おとといに来れるわけないだろう」

「ええ、だから言ってるんですよ?」


 まさか江戸っ子の口上「一昨日来やがれ」を、マイセルの口から聞くことになるとは!


「お前は頭が弱いのか?」

「狼さんよりは賢いと思ってますよ?」

「……お前はつまり、オレをバカにしているんだな?」

「そんなことしてません。お姉さまは渡しませんって言ってるだけです」

「殺すぞ」


 苦虫を百匹ほどまとめてかみつぶしたかのように顔をしかめつつ脅すガルフに、マイセルがにこにこと宣言する。


「じゃあ、お姉さまは永遠に手に入りませんね」

「……おい、そこのお前。お前が囲うメスは、なんでこんなに強いヤツばかりなんだ」

「知るか。マイセルに言わせれば、俺のような男と付き合うと覚悟を決めたなら、強気にならないといけないらしいぞ」


 腹の痛みも気にならないほどになり、やっと歩けるようになったかと思ったら、歓迎せざる客の来襲。うんざりしながら答えると、マイセルがこれまた、にこにこと返す。


「だってムラタさんは優しすぎて、自分ではなかなか決められない人なんですもん。それに、私たちが自分で決めたことは、ちゃんと尊重してくれる人ですし」


 褒められているのかおだてられているのか。ぱっと聞くぶんには、悪い気はしない。

 しかし、頼りないから強くならざるを得ない、とも言われているような気がする。多分、間違ってない。


「メスは黙って仔を産んで育てていればいいんだ。強くなる必要はない」

「あら、女は子供を守るために、どこまでも強く必要があるのですよ?」


 マイセルの隣に、ゴーティアスさんが立つ。


「そうね……さながら、子育て中にはたとえ熊を相手にしても噛みつく、狼のように」

「ババァはすっこんでろ。俺はあの狼のメスに用があるんだ」

「うちには狼のメス、などというひとはいませんよ」

「うるさい。さっさと出さねえとまとめて殺すぞ」


 ガルフがそう言って、両手の爪を伸ばしかけた、その時だった。


「だれが、だれを、殺すのですか?」


 リトリィが、マイセルとゴーティアスさんの間を割るようにして、家から出てきたのだった。




「わたしがあなたの仔を産むことなんて、これから先、絶対にありません」

「そうか。だったら、こいつらをみんな殺してさらうだけだ」


 ガルフは、予想していたように無感動な目で、爪をちらつかせる。

 以前、俺に見せたときのように、長く伸ばした、凶悪な爪を。

 だが、リトリィはまったくおびえた様子を見せず、笑顔で聞いてみせた。


「それで、その後はどうするんですか?」

「知れたこと。お前に仔を産ませる」

「残念です。だったらわたしは、みんなといっしょにいのちを絶ちます」


 それを聞いて、ガルフは顔をしかめた。


「……そんなにあっさりと言うな。それじゃ意味がない。どうして逆らう。どうしてオレの仔を産まないんだ」

「わたしは、あなたのものではないからです」


 笑顔で、それでいて凛とした彼女の言葉に、ガルフは苛立たしげに、テラスに続く手すりを殴る。


「強いオスの血をつなぐ、それがメスの仕事だろう」

「わたしは、あなたの血をつなぐために生まれてきたわけではないですから」

「でもお前はライカン――」


 言いかけたガルフに、リトリィは毅然と言い放った。


「わたしはジルンディールが娘にしてムラタが妻となる女、リトラエイティルです。それ以上でもそれ以下でも、それ以外でもありません!」


 リトリィの剣幕にガルフはやや仰け反ってみせると、忌々しそうに吐き捨てる。


「……だから、 そんなに弱い男のどこがいいんだ」

「では教えて差し上げますから、 まずは一緒にお茶をしませんか」

「そんなもの、俺はいらない。渋いだけの色水など、俺には不要だ」

「あなたがムラタさんに勝てないのは、そういうところ、ですよ?」

「……なんだと?」

「あなたがムラタさんに勝てないのは、そういうところだと申し上げたんです」


 リトリィが澄まして言ってみせた言葉に、ガルフが牙を剥いた。


「おい――オレが、そこのヒョロっちいオスに負けるとでもいうのか?」

「現に負けているじゃないですか。情けない声を上げて、失神までして」


 り、リトリィ! あんまり煽らないでくれ! さすがにこれ以上煽ったら、マジで暴力に訴えかねないだろ……!

 ハラハラして見守っていると、リトリィは一瞬だけこちらを見て、微笑んでみせた。

 ガルフがつられて、こちらを睨みつける。


「おい、あれはたまたま卑怯なニオイ袋か何かをヤツが仕込んでいたせいだ。一対一なら絶対に負けるものか」

「いいえ? そうでなくても、いまも負けていますよ?」

「ふざけるな。言え。オレのどこが、こんなヒョロ人間に負けるというんだ」


 ガルフが前に一歩、踏み出す。

 俺よりも小柄のリトリィだ、ガルフを前にすると、頭二つ分以上の身長差になる。だが、リトリィは全く恐れる様子を見せず、ガルフを見上げた。


「だって、ただのしぶい色水を、飲もうとしないんですもの」


 お子様ですね、と微笑んですらみせる。


「……そんな安い挑発に、オレが乗ると思うのか?」

「ではお帰りになられるんですね。さようなら、お元気で」


 にこにことしながら、スカートの裾をつまんで礼をしてみせる。


「どうされましたか? 道に迷われましたか? お帰りはあちらですよ? 門まで、ご案内いたしましょうか?」

「……オレは、帰るなんて……」

「道に迷われたのですね。門までご案内いたします」


 あくまでにこにことして見上げるリトリィに、ガルフは長いため息をつく。


「……分かった。飲んでやろう。オレがそこのヒョロ人間より強いところを見せてやる」

「そうですか。それではこちらへどうぞ。お席までご案内いたします。いま、お茶を淹れてまいりますね」


 声を震わせながら、それでも、ガルフは、リトリィに従って歩き出した。


 ……冗談だろ?

 リトリィ、君は、なんてひとなんだ。

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