第264話:お任せください

「残党狩り?」

「ああ。あの狼野郎、例の奴隷商人の残党を、片っ端から捕まえたそうだぜ?」


 今後の作業の打ち合わせに来たマレットさんが、面白くもなさそうに言った。

 彼の頭の包帯は、ガルフにぶっ飛ばされたあと、転げていったときに切った額の傷によるものらしい。


「あと、捕まえた連中を引き渡しに、何度か冒険者ギルドに来たそうだが、一切金を受け取ろうとしなかったそうだ。金を受け取らないというより単に興味が無いのか、それとも別に理由があるのかは分からねえらしいんだが」


 ……ガルフが、奴隷商人の、残党狩り?


 そういえば、先日窓から入って来た時、そんなようなことを言っていた気がする。

 というか、あいつ。自分が雇われていたくせに、いけしゃあしゃあと。旗色が悪くなったから、冒険者ギルドのほうに寝返ったということか?

 それなりに義理堅いところを見せたかと思ったら、そうくるとは。やはり信用ならない奴だ。


「俺をぶん殴ったことは、まあ行き違いがあったってことで一発殴り返せばいいとして、実に大した奴だ」

「マレットさん、あいつは……」

「ああ、そういえばあの狼野郎、リトリィ嬢に執心らしいな。似た種族みたいだし、しっかり気を引き締めて、横からかっさらわれないようにしねえとな」


 がっはっはと笑うマレットさん。冗談じゃない、実際に狙われている。同意のもとで子供を産ませようとする奇妙なプライドがあるせいなのか、以前のようにリトリィをさらわれたりはしていない。


 だが、狙われているのは確実なのだ。いつまでもおとなしくこちらの出方を伺っているはずがない。いずれ実力行使に出るだろう。そのとき、俺は、彼女を守ることができるのか。


 ……できるはずがない。あの、目にもとまらぬ速さで、部屋中の壁を蹴って縦横無尽に飛び掛かってくる奴に、どうやって立ち向かえというんだ。マレットさんが瞬時に殴り飛ばされるくらいなのに。


 ……そう考えると、防戦一方だったとはいえ、あのガルフの猛攻をしのいだ眼鏡の冒険者ヴェフタール赤髪の女冒険者アムティも、実は恐ろしく強かったことが分かる。

 そして、その二人がかりでも、ガルフには勝てないのだ。


「ま、狼野郎のことはともかくとしてだ。例の工事や細工については、心当たりのある左官さかん屋にも声をかけてあるから、漆喰の保全や補修は気にするな。あまり聞かねえ作業だが、前例がないわけじゃねえ。やってやるさ、任せろ」


 マレットさんはそう言って、胸を叩いてみせた。実に頼もしい!

 だが、せっかくマレットさんと打ち合わせて、今後の工事や工法について見通しが立ったというのに、リトリィとの生活そのものが危ういという現状は何も変わっていないのだ。

 それを再認識させられて、俺は肩を落とすよりほかになかった。




 リトリィが、布団の中から勢いよく上半身を引き抜くのと、マイセルがに入ってくるのが、ほぼ同時だった。

 くしゃくしゃになってしまっている髪を整える余裕もなく、リトリィはかろうじて、つんと澄ましてみせる。


「ムラタさん、入りますねー! あれ? お姉さま、どうしてそんな、髪が乱れてるの?」


 ふるふると、首を横に振る。

 リトリィが不自然に微笑む。……口の中のものを飲み下しながら。


「……お姉さま、何か、食べてる?」


 ふるふる。


「うそだあ。お姉さま、つまみ食いはダメですよ?」


 ふるふる。

 変に鋭いマイセルの追求にたじたじとなるリトリィ。……これまた、珍しいものを見ている気がする。


「お姉さま、口元になにか、付いてますよ?」

「――――!?」


 今度こそリトリィは尻尾を逆立て跳び上がるように驚いたが、マイセルの「冗談ですよ!」という笑顔に半分、涙目になってむくれてみせる。それでもリトリィは、口を開かない。

 ……まだ飲み下せてないんだな。うん、ごめん、リトリィ、多すぎたかも。


「ムラタさん、失礼しますよ。マイセルちゃん? ノックをしたら、ちゃんと部屋からお返事が返ってくるまで、ドアを開けてはなりません。出直してきなさい」


 すぐ後から入って来たゴーティアスさんがたしなめると、マイセルは慌てて部屋を出て行こうとする。


「走ってはなりません。淑女としての立ち居振る舞いにふさわしくありませんよ」

「はぁい、大奥様!」

「返事は『はい』です」

「はい、大奥様!」


 小さい子の躾をするように、困ったような微笑みを浮かべるゴーティアスさん。そういえば、マイセルの花嫁修業――淑女教育が始まっていたんだっけか。


『同じ振舞いでも、知っていてあえて奔放に振舞うのと、知らぬがゆえに奔放な振舞いになってしまうのとでは、似ているようで天と地ほども違いますからね』


 だからこそ、ゴーティアスさんはマイセルの躾を買って出たのだろう。気に入った少女の、今後のために。なんともありがたいことだ。


「それから、リトリィさん」

「はい、大奥様」


 呼ばれたリトリィが、しとやかに返事をしてみせる。

 そういえば、リトリィのほうは山にいる頃から、随分とおしとやかに振舞っていた気がする。あの親方や兄弟と共に成長したというのに、だ。今は亡きおかみさんの躾が、相当に偉大だったということだろう。


「旦那様にご奉仕する心がけは結構です」

「は、はい。ありがとうございます」

「ですが、せめてになさい」

「――――!?」


 リトリィが、声にならない悲鳴を上げて直立不動になる。尻尾も派手に跳ね上がったものだから、つられてスカートがまくれ上がったのはご愛敬だ。


「あなたの慌てぶりを見れば分かろうというものです。私が何年、夫婦生活を営んできたと思っているのですか」

「は、はい……!」


 目を固く閉じてうつむき恥ずかしそうにするリトリィだが、俺の方もと言われているような気がして、大変に居心地が悪い。誠にもーしわけありませぬ。


 マイセルの、入り直すためのノックと入室許可を願う明るい声が、気まずい空気を変えてくれたのは心底ありがたかった。




「ムラタさん。改めて、お話を伺ってもよろしいですか?」


 微笑みを浮かべているが、ゴーティアスさんの表情は硬い。「お話」の内容が改装案についてのことだというのは、すぐに分かった。

 彼女はベッドわきの椅子に座ると、口を開いた。


「……本当に、お任せして、よろしいのですか?」

「ええ、お任せください。完全に同じ、とは申せませんが、それでも、大奥様の安らぎの時間を保証する空間にはできるようにしますから」


 俺の言葉に、ゴーティアスさんは窓のほうに目を向ける。外では、テラスの工事が大詰めを迎えていた。


 本当ならマイセルもそこで工事を担当するはずだったのだが、今はゴーティアスさんのもとで修業中。今も、部屋の入り方を指導されたと思ったら、すぐにリトリィと共にお茶を淹れて持ってこいとの指示。大変だ。


「……マレットさんの腕前と、あなたの誠実さを信用しているのですからね? 本当に、あの案で、私の安らぎの時間とやらを確保してくれるのでしょうね?」

「ええ、それはもう」


 俺はめいっぱいの営業スマイルを浮かべてうなずいてみせる。


かばねもち大工の腕前は、何にも勝る保証ではありませんか? 安心してお任せください」


 ゴーティアスさんは、薄く微笑んで、そして、部屋を見まわした。壁、クローゼット、ベッド。


「……もう、この部屋ともお別れなのですね……」


 そして、壁のある一点を見つめながら、ため息をついた。


 寝室を新しく一階にしつらえ、階段は拡張してこの寝室を縮小する。

 一階に寝室を移動しながら、なおも階段を改造するのは、理由がある。

 一階に寝室を移動したからといって、二度と二階に上らない、ということはない。


 今はまだお元気でいらっしゃるが、今回、足首をひねったことで、今後、歩くのが大変になってくることを、ゴーティアスさんは予期された。だからこそ、今のうちに、階段の傾斜を緩くしておく工事をしておくことにしたのだ。


「思い出のつまったお部屋ですが、ご要望に応じて一階に移設しますから、ご安心ください。固定されたものであっても、家の構造に食い込んでいるもの以外はできる限り移動させますよ」


 俺の言葉に、ゴーティアスさんがいたずらっぽく微笑んでみせる。


「では、この寝室を丸ごと、一階に移してもらえるかしら? 家具も、壁も」


 さすがにその冗談を飲むことはできないが、──来たぞ。本当の、要望。


「お部屋丸ごとを移し替えることはできませんが、壁の一部でしたらやってみせましょう」

「あら、本当に? ……冗談でも、言ってみるものね」


 ゴーティアスさんはそう言って、扇子で口元を隠して笑う。


「ええ、お任せください。どこの壁を移動させますか?」

「……本当に? 本当に、できるの? できるだけ傷つけてほしくないのですけれど」


 ゴーティアスさんが、真顔になる。


「はい、ただしこのお部屋の壁は漆喰しっくいですので、どうしても分解する以上、切断する場所が発生しますし、その際に発生するときに傷やひびが発生することは避けられません」

「……そうよね。そうなりますわね」

「ですから、最低限、この辺りは傷つけないでほしい、という場所がございましたら、教えていただければ最大限の配慮をいたしますが」


 身を乗り出してきたゴーティアスさんの姿に、俺は、自分の正しさを確信できた。

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