第263話:しあわせに生きるために
「『処女地の奥まで子種で満たそう』も、『乙女の純潔を悦びの水で満たそう』も、おんなじなんですっ!」
叫んでから、マイセルは目を見開き口を押さえ、そして、ベッドに倒れ伏した。か細い声で、恨めしげにつぶやく。
「どうして、初夜の
……いや、その、なんていうか……ごめん。
モゴモゴ言ってたけど、俺、翻訳首輪を付けているから、意味はバッチリ理解できちゃうんだよ。
それにしても、
さすがに見かねたのか、リトリィが困ったような笑顔で、続きを教えてくれた。
「マイセルちゃんが教えてくれたとおりだと思います。
続きの『レテュンレイベのベッド』っていうのは、女神様がお休みになるベッドではなくて、その……
あー、分かったさすがにそれは理解できた続きは言わなくてもいい。
つまりあれだ、新婚初夜を迎える花嫁に、これから何度でも妊娠させるぞ、それくらいこれからずっと、いっぱい愛するぞという、旦那からの宣言というわけだな!?
俺の言葉に、二人がぎこちなくうなずく。
なるほど。マイセルが言った「あけすけな」の意味が、ようやく理解できた。
表現は比喩が多用されていても、言わんとしていること自体は、恐ろしいほどストレートだ。
このぶんだと、先の棍棒を振って、のくだりも、意訳すると『俺のイチモツを……』とかになりそうだ。
カップルだから許されるレベルの、とても一般公開できない詩、ということになってしまう。
『
これから先、何度でも、レテュンレイベのベッドに客を招こう』
これがオモテの表現だったけど、ウラの意味は、たぶんこういうことだ。
『
これから先、何度でも妊娠させてやる(たっぷりと愛してやる)』
……ううむ。我が意訳ながら、実に野趣あふれる卑猥な詩に成り果てた。
経験のないマイセルが恥ずかしがるのも無理はない。やたらと恥じらっていたのは、ウラの意味を理解していたからに違いない。
そして、ゴーティアスさんがこの寝室にこだわった理由も理解できた気がする。
内容からしておそらく、旦那さんが結婚後すぐに彫ったものに違いない。ゴーティアスさんは、愛する旦那さんの情熱的なラブレターを失いたくもなかったし、それから離れたくもなかったのだ。
幸せだった暮らしを、旦那さんの愛を、思い出せるからだろう。
他人の俺にしてみれば、ただの卑猥な詩でしかないけれど、ゴーティアスさんにしてみれば、愛を重ねた相手との、思い出の一つなのだ。
だから寝室の改装案も、寝室を移動する案も、拒絶し続けていたのだ
……ゴーティアスさん、結構キツいこと言ったりリトリィに夜の生活まで暴露させたりするひとだけど、意外に心は乙女だったってことか。
この部屋の保存にこだわった真の理由がそれだったとしたなら、やりようはある。あらためて、提案し直そう。
「……それにしても、なんでマイセルはこんな下品……もとい! 産めよ増やせよ、な生命讃歌の詩を理解できてしまったんだ?」
「そ……そんなの、私だって恋愛小説の十――ひとつやふたつ、読みますよっ!」
言い繕ってみせたが、最初に十と言ったのは聞き逃さなかったからな。でも、そうか。恋愛小説か。
なるほど、納得。きっとアレだ、晴れで九印なロマンスっぽいレーベルのアレみたいなものがあるんだろう。
目覚めてから数日が経ったけれど、俺は、ゴーティアスさんの屋敷で世話になっていた。縫った傷口が、家に帰るまでに悪化しないようにするためだ。
『少なくとも糸を抜くまでは、ゆっくりしていきなさい』
ゴーティアスさんは、微笑みながら、そう言ってくれたのだという。
俺が重傷を負って担ぎ込まれたとき、シヴィーさんもゴーティアスさんも、それはそれは年齢を感じさせないきびきびした動きで、傷の手当てや医者の手配などをしたのだそうだ。
ガルフにぶちのめされたマレットさんや、馬車の騒動に巻き込まれてけがをした人の手当ても、シヴィーさんとゴーティアスさんがしたのだという。
「お医者様が来る頃には、ほとんど全部、終わってました。怪我人への対応に慣れてる感じでしたよ? さすがは騎士様が旦那様だっただけのことはありますね!」
マイセルが、その手並みにひどく感心していた。
手当てについても、ちょっとした騒ぎになったそうだ。
リトリィは、短剣に塗られていた毒によって変色し始めていた俺の腹を、泣きながら舐めて何とかしようとしたのだという。それを、毒によるものだと喝破したのが、シヴィーさんだったとか。
リトリィの頬をひっぱたいて俺から引きはがし、即座に口の中を蒸留酒で洗ってくれたらしい。彼女が今、元気でいられるのは、シヴィーさんのおかげかもしれない。
で、俺の腹の傷口から血を絞り出し、蒸留酒をぶっかけて洗ったうえで傷を縫ってくれたのも、シヴィーさんだったそうだ。それも、医者の到着を待たずに、だ。
それには驚いた。そんな知識と技術がこの世界にもあったんだ、しかも一般人がそれを知っているなんて、とね。
ただ、その荒療治に加えて、腹を縫った代物がごく普通の縫い針と縫い糸だったらしいから、俺、気絶していて本当によかった。意識があったら、傷みに耐えられずに醜態をさらしていたかもしれない。
で、俺は今、この家の世話になりっぱなしになっている。治療を受けたうえで、寝室を占領しているのは大変心苦しい。
だが、ゴーティアスさんやシヴィーさんいわく、むしろもうしばらくいてくれてよい、とのことだった。
俺を泊めておくと、もれなく少女が二人、家に泊まり込みでいてくれて、娘たちが家にいたころのように家が華やかになって楽しいから、だそうだ。
とはいっても、何もせずにただ無為に過ごしていられるほど、神経が太いわけでもない。だから俺は、改めて図面を引き直している。
今さら気づいたのだが、この仕事は、いわゆる「終活」に向かうための一つのステップになるんだろう。今のゴーティアスさんはかくしゃくとしていて大変お元気だが、だからといって誰もが最期まで立って歩いて生活できるわけではないのだ。
突然の不幸にでも見舞われなければ、いずれは介護が必要になる。それが訪れたとき、少しでもシヴィーさんの負担を減らせる家にしておかないと、共倒れだ。
そのためには、やはり寝室を一階にすべきだろう。結局、考え方は振り出しに戻るわけだが、彼女の今後の
思い出のテラスで、思い出の庭で、日の光を浴びながらお茶を楽しむ。
階段の上り下りのしやすさではなく、最期を迎えるまでに、いかに健康で、幸せを味わいながら生活できるかだ。
『住むひとのしあわせにつながるのでしたら、何度やり直したっていいじゃないですか』
リトリィに言われた通りだ。
俺の手間の問題じゃない。
ゴーティアスさん、そしてシヴィーさんが、二人にとって共通の思い出を語りながら、この庭で、いつまでも、元気で、そして幸せな暮らしを続けていけるように。
二人が納得できる生活、最期まで幸せに生きていける家の提案。
それが、建築士たる俺の存在意義じゃないか。
窓の外から、シーツを干すために張り伸ばす小気味よい音とともに、マイセルの元気な声が聞こえてくる。マイセルとリトリィが今朝、二人して替えてくれたシーツが洗い終わったのだろう。
考えてみれば、あの依頼者二人は、何十年後かの俺たちの姿だ。ゴーティアスさんもシヴィーさんも、すでに夫を亡くしている。
俺は、妻となる二人よりも、ずっと年上だ。
二人の最期を看取ることは、おそらくできない。
俺はきっと、あの二人を置いて先に逝く。
つまり、この家のリフォームの提案は、俺が置いて行ってしまうであろうあの二人が、手を取り合って幸せに生きていくことができる家を提案する、そのモデルケースとなるのだ。
結局、人のためにする仕事は、俺自身のための仕事でもあるわけだ。
情けは人の為ならず、巡り巡って
人を幸せにする家づくりは、結局俺たち自身を幸せにする家づくりにつながる、ということだ。
……もう、ひと踏ん張りだな。
「マイセルちゃん、ほら、バッタさんですよ? もう、春ですね」
「きゃああああっ! は、鼻先にそんなもの、突き出さないでくださいよお!」
「あら、苦手ですか? おいしいのに」
「食べるの!? それ食べるのっ!?」
でた、リトリィの昆虫食。
日本でもそういうものを食う地域があるってのは聞いたことはあったが、こっちの世界に来てバッタの佃煮みたいなのがテーブルに出たときは、さすがにたまげたぞ。
いつもはリトリィの飯を、先を争うように食う兄弟二人も、アレの日だけは無言でもそもそ、遠慮がちに食ってたしな。幸せそうに食ってたのは、親方とリトリィだけだったか。
「どうしてなんでしょう、ムラタさんも苦手だったみたいなんですけど」
「わわわ私も結構です! 遠慮しますっ!」
「あら、ざんねんです。……とげとげした足が苦手なのですか? じゃあ、脚をむしっておいてあげますね?」
さらにマイセルの悲鳴が上がる。
……ちがうリトリィ、そういう問題じゃない。
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