第262話:艶文(2/2)

 艶文つやぶみ、つまりラブレターってことか。

 ……こんな、壁に?

 しかも、壁に顔を向けたときに、その真正面になる場所に?


「えーと……。ひょっとして、不貞とか、そういう……?」


 無言で枕を抜き取ったマイセルが、俺の顔面に、それを叩きつける。


「いってえ!?」

「言っていい冗談と悪い冗談があるっていうのは、ムラタさん、覚えておいたほうがいいですからね?」


 隣でリトリィがうんうんと頷いている。ちょっと待て! 俺は大真面目にだな……!


「真面目なら余計に悪いですっ!」


 顔を真っ赤にしながら、マイセルが金切り声を上げた。


「ここは夫婦の寝室ですよ!? そんな神聖な場所をお借りしてるっていうのに、どうしてそんな無神経なことが言えるんですか!」


 いや、俺は可能性の話をしているだけで、と言いかけてやめる。

 マイセルが二撃目を振りかぶろうとしたからだ。

 ハイ ヨケイナ コトハ イイマセンヨ?




「で、実際問題、どういう意味なんだ?」


 俺の問いに、マイセルはまた顔を赤くした。


「え、えっと、その……。」

「難しいのか?」

「え? そ、そういう、わけじゃ……」


 もじもじして、妙にためらってみせるマイセル。そんなに難しいのだろうか。

 あけすけな艶文、と言ってはいたけれど。


「ああ、そんなに難しいのなら、別に無理しなくていいんだ。マイセルなら分かるかもしれない、と思っただけだから」

「え……?」


 俺はリトリィに、書き写しておいてくれるように頼む。


「ペリシャさんあたりなら、分かるかな?」


 ナリクァンさんに聞くのは、さすがに怖すぎる。

 以前、ゴーティアスさんは、俺たちの結婚のバックアップをナリクァンさんがしてくれていると知ったとき、妙にライバル意識を燃やしていた。


 無いとは思いたいが、万が一、この文がゴーティアスさんにとっての弱みになったとき、ろくでもないことになりかねない。


 まあ、そういう意味なら、ペリシャさんはナリクァンさんとつながりがあるから大して変わらないかもしれないが、俺が直接漏らすのと、第三者を経由するのとでは、その重みが変わってくるからな。


 すると、マイセルが急に怒り出した。


「む、ムラタさん! ちょっと、どういう意味ですか! 私じゃ分からないって言いたいんですか!」

「え? 違うのか?」

「わ、分かりますよっ! どうして信じてくれないんですか!」


 いや、だって、もじもじして教えてくれないから――そう言うと、マイセルはまた顔を真っ赤にする。


「だ、だって……その……」


 視線を落とし、瞬時ためらい、そして、蚊の鳴くような声で答える。


「と、とっても、内容が……」

「内容が? なんだ?」

「……は、恥ずかしいんですっ!」


 恥ずかしい?

 ……あれが?

 よく分からない詩のような文だったが、あれが?


 恥の告白文みたいなもののようにはとても思えなかったが、なにかを比喩的に表現しているということなんだろうか。


「ムラタさん、それ、お姉さまと一緒に、一応、読んだんでしょう? 分からなかったんですか?」

「ごめん、よく分からなかった」


 なあ、リトリィ――そう、リトリィに同意を求めると、彼女も妙に気恥ずかしそうにもじもじしていた。

 ……なんでだ? さっきは二人で首をかしげていたのに。


「リトリィ、どうした?」

「ひゃいっ!?」


 跳び上がるほどに驚いてみせたリトリィに、こちらが驚く。


「あ、あの! む、ムラタさん! や、やっぱりその、読むの、もう、やめませんか? あの、大奥様の思い出のし、寝室ですから、ここは!」


 やたらと噛みながら、それでもやたらと早口なリトリィに、何かを隠しているのだとは理解したが、何を隠したがっているのかが分からない。


「……ふたりとも、やっぱりその文字は、スキャンダル――ええと、この家の、よくない風聞につながるってことなのか?」


 最後まで言えなかった。

 マイセルが、再び枕で顔面をぶん殴ったからである。




「ムラタさんは、どこまで読めたんですか?」

「俺自身は『永久の愛となるべき証を』ほにゃらら、『あなたの、ひとり寝るところの空っぽの』ふにゃらら、へにゃららら、『ベッドに客を招こう』としか。」


 マイセルが、半目で俺を見る。


「なんですか、その、とかとかって」

「俺の世界――故郷の、分からなかったり読み飛ばしたりするときの擬声語だ」

「……その、力が抜けそうな言い方、やめてほしいです」

「そう? わたしは、かわいいって思いましたけれど。ムラタさん、わたしも使っていいですか?」

「お姉さま……」


 にこにこしているリトリィに、マイセルがなにか痛ましそうな視線を向ける。おいちょっと待てマイセル、それってつまり、俺が痛い奴だって言いたいのか。


「いいです、もう。でも、お姉さまと一緒に、ちゃんと読んだんでしょう? どう読めたんですか?」


 ひどく疲れたような顔をするマイセルに、一応抗議するが黙殺されたので、仕方なく、リトリィと読んだ内容を伝える。


「『永久とわの愛となるべき証を得るために、ザイネフの杖を振って、あなたの独り寝の夜をふさぎ、空っぽな洞窟を悦びの水で埋めよう。これから先、何度でも、レテュンレイベのベッドに客を招こう』……だったはず」


 俺が、ゆっくりと思い出しながら言っていくと、リトリィが顔を押さえてふるふるしている。マイセルも、顔を真っ赤にしてうつむき、肩を震わせている。


「……どうしたんだ、二人とも」

「ムラタさん、……そこまで読めて、どうして、分からないんですか?」

「ご、ごめんなさいマイセルちゃん。わたしも、一緒に読んだときはよく分からなくて……。今は、だいたい、分かったんですけど」


 なんだか妙に腹を立てているようなマイセルに対して、申し訳なさそうなリトリィ。申し訳なさそうにさせてしまったことが申し訳なくて、俺も慌てて頭を下げる。


「ごめん。俺の故郷では、こんな言い回しは無くってさ。全く分からない。というわけでマイセル先生。いちから教えてくれ」


 俺の言葉に、マイセルはため息をつくと、ベッドにちょこんと座った。


「ムラタさんって、いろんなことを知っててすごいって思ってたのに。建築のことしか知らないんですね」


 ぐふぅっ!

 いや、専門バカっていう自覚はあるけどさ、それを面と向かって言われるとこんなに胸に突き刺さるとはッ!


 胸を押さえて身をよじる俺を、マイセルは、しかしさっきまでと違って妙に嬉しそうな目で見る。


「しかたないですね、特別に教えてあげます」

「スミマセン、先生、よろしくお願いいたします」


 マイセルは、やれやれといった様子で肩をすくめてみせたあと、親指と人差し指を立ててみせた。


「まず、豊穣の二柱ふたはしらの神様、ザイネフ様とレテュンレイベ様はご存じですね?」

「すまん先生。そこから既に分からない」


 正直に申し出た俺に、マイセルが目を丸くする。


「……神様のことも分からないんですか?」

「正直、まったく、全然知らない」


 リトリィが、これまた申し訳なさそうに頭を下げている。

 まるで、俺に教えておかなかったことが自分の罪であるかのような振舞いだ。子供の悪事を、代わりに謝る母親のように。

 ……なんかこう、ごめん、リトリィ。


 マイセルはしばらく、信じられないといった様子で俺をまじまじと見つめた。だが、ため息をついて、続けた。


「豊穣の二柱の神様のうち、ザイネフ様は男神おがみ様で、レテュンレイベ様は女神様です。文献によっては、ご夫婦とされていることもあります。だから結婚式で神々への宣誓をするときには、一番初めにこの二柱の神様に、末永い愛を誓うところから始めます」


 ふむ。なるほど。これは今知ることができて良かった。俺たちの結婚式の時に、それを知らずにいたら、二人に恥をかかせるところだった。


「ザイネフ様は、神話の中では棍棒を持っています。この棍棒は豊穣を約束するもので、神話の中ではたくさんの女神や巨人たちに、優秀な英雄を産ませています」


 なるほど。さすがは豊穣の神様。関わる子供も優秀なわけだ。


「レテュンレイベ様も、豊穣を司ります。彼女の場合は、国や作物を、彼女自身が生み出したという意味で、ですけれど」


 マイセルは一度言葉を切ると、少しだけリトリィを見てから、続けた。


「とくに、藍月らんげつの夜にザイネフ様の棍棒で打たれたときに生み出したのが、リトリィさんのような獣人族ベスティリングの方々で、青の月の真月しんげつの夜に生み出したのが、私たちヒト族だと言われています」


 ん?

 つまりあれか、藍月の夜にどうして獣人さんがハッスルするのか、その由来話ってことか。なるほど。


「それを踏まえてこの詩をもう一度読みますね?

 『永久とわの愛となるべき証を得るために』――ここまではいいんです。『ザイネフの棍棒を振って』、『あなたの寂しい独り寝の夜を埋め』、処女……」


 マイセルは、急に耳まで真っ赤になった。なぜだか、次を続けられなくなってしまったらしい。

 このあとは、『空っぽの洞窟を悦びの水で』、と続くはずだが。

 マイセルは何度か深呼吸をすると、真っ赤な顔のまま、続けた。


「……えっと。『乙女の純潔』を、『悦びの水で満たそう』です」


 ふんふん、……って、ん?

 「空っぽの洞窟」はどこに行った? それに――


「えーと、さっき『処女』って言いかけたような?」

「い、いいんです! 同じですから!」

「同じ? 何が?」

「だ、だから! その……同じなんです!」


 処女と乙女の純潔……あー、うん、まあ、同じこと、なのかもしれないな。じゃあ、空っぽの洞窟とか、悦びの水って、何だろう?

 意味が分からず首を傾げていると、何を思ったか、マイセルが顔を真っ赤にしたまま、うつむくようにして叫んだ。


「『処女地の奥まで子種で満たそう』も、『乙女の純潔を悦びの水で満たそう』も、おんなじなんですっ!」

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