第260話:仲良くする秘訣

 マイセルは、夜明けを待つことなく寝入ってしまったので、今は右隣で眠っている。深夜に起こしてしまった挙句、夜明けまで付き合わせてしまった。可哀想なことをした。


 そして、反対側――左側には、リトリィ。

 夜明けが近いこの時間になって、今さら寝るのも、と思いながらも、座っているより体が休まるだろう、と、無理に引っ張り込んだのだ。


 リトリィはだいぶためらっていたが、最終的にはベッドにもぐりこんでくれた。

 包帯でぐるぐるの俺の左腕を、そっと抱きしめて。


「あの、ムラタさん……」


 ためらいがちに声をかけてきた彼女の方を向くと、そっと、唇を重ねてくる。

 俺がその唇を――舌を黙って受け入れると、彼女は、しばらく舌を絡め合ったあと、上気した表情で、微笑んでみせた。


「……あなたが、ご無事で、ほんとうによかった……」

「無事かどうかっていうとアレだけど、少なくとも、なんとか生きてはいるな」

「ふふ、それを無事って言うんですよ」


 そう言って、腹に手を滑らせてくる。

 包帯の上を。

 いたわるように、慈しむように。


「ムラタさん、ほんとうに、……ほんとうに、ムラタさん、ですよね? いま、わたし、しあわせな夢を見ている……そんなこと、ないですよね……?」


 再び、その瞳から、涙がこぼれてゆく。


 悲しんでいるわけじゃない、喜んでくれている。

 でも不安にさせてしまっているのだ、俺がヘマをしたから。


 だから、言い終わる前に、その手を握ってみせる。

 夢でも、幻でもないことを伝えるために、力強く。


「俺は、ここに、ちゃんといるよ。君を泣かせてばかりだけど、ちゃんと、ここに」


 リトリィは、また、泣いた。

 俺の手に、もう片方の手を重ねて。


「あなたの手、あなたのぬくもり……。よかった……ほんとうに、よかった……」


 彼女は、その鼻面を俺の首筋にこすりつけ、すんすんと鼻を鳴らしながら、俺の手を握って、静かに、嬉しそうに、泣き続けた。

 そして、日が昇る前に、眠ってしまった。

 やはり、疲れていたのだろう。俺の世話のために、きっと、ずっと、神経を使っていたのだ。




 目が覚めたら昼前だった。

 部屋には誰もいなかったが、いい香りが漂っているから、おそらく昼食の準備をしているのだろう。現金なもので、腹が減ってたまらなくなる。


 ぼんやりと、部屋を眺める。体をひねると腹の傷が痛むため、仰向けになったままだ。天井ばかり見つめていても退屈で仕方が無いので、ぐるりと首を巡らせては、また、天井に視点が戻る。


 ……暇だ。

 多分、起きてからそれほど経ってはいないのだろうが、この退屈な時間がどうにも我慢できない。

 寝返りを打つこともできない状況では、自分で変化を作ることもできないからだろうか。とにかく、ひとりで天井を見上げているのが苦痛でしょうがない。


 何度目になるのか、視線を巡らせていたときだった。

 ふっと、窓からの陽光に、影が差すのを感じた。

 何気なく窓に目をやって、


 そして、思わず起き上がりかけて、腹の痛みにうめく。


「運のいいヤツだな、お前は」

「……ガル、フ……!!」


 枯草色の毛並みの、狼男が、窓にぶら下がるようにして、そこにいた。

 ここは二階。窓の近くには木が生えているから、そこから窓に飛び移ってきたのだろうか。


「いいにおいがする。あのメスが飯を作っているのか?」


 かぎなれた、あのスープの匂いだ。リトリィが、キッチンを借りて作ってくれているんだろう。だが、そんなことを教えてやる義理はない。


「……何をしに来た!」

「あのメスが、今日はやたらと機嫌がよくなったようだからな。様子を見に来ただけだ」


 ――!?

 聞き捨てならない言葉に、俺は無理に体を起こした。


「おい、『今日は』とはどういう意味だ!」


 しかしガルフは、それに答えなかった。

 ひょいっと部屋に飛び込むと、ベッドのサイドテーブルにあった水差しを手に取ると、注ぎ口をくわえて勝手に水を飲み始める。クソ野郎め、当然のような顔をして飲みやがって!


「なんだ、この水は自分のだと言いたいのか。少しくらい寄こせ、残党を処分してきて喉が渇いたんだ」


 そして水差しを戻すと、忌々し気に俺を見下ろした。


「お前とあのメスの身内を傷つけると、あのメスが怒る。大して力も強くないくせに、怖いんだ、あのメス。お前、どうやって手なずけた?」

「……は?」


 俺は、それまで胸の中で渦巻いていた怒りと恐れが、声と共に抜けていくのを感じた。

 ……リトリィが、


「お前とあのメスの身内を傷つけると、あのメスがめちゃくちゃ怒って怖いんだ。どうやったらおとなしくさせられる」

「……知るか!」

「教えろ。このままじゃ、あのメスに仔を産ませられない」

「させるかっ!」

「教えろ。孕ませるのは簡単でも、怒ったままだと育ててくれないかもしれない」


 この野郎……この野郎!

 この狼野郎がリトリィに執着しているおかげで、俺はいま、無事でいられるみたいだが、面と向かって自分の恋人に子供を産ませることに執着されて、平静でいられる奴なんているだろうか。


「だから知らないし、させないって言ってるだろ……!」

「教えろ。オレはあのメスが気に入ったんだ。あんなに美しく、命知らずなメスは見たことがない。教えろ」

「……たとえ知っていたとしても、教えると思うか!」

「やっぱり何かしたんだな。教えろ」


 ガルフはそういうと、その右手を胸元に引き寄せた。

 握っていた手をゆっくりと開くと、その指の爪が、ぞわぞわと伸び、鋭い刃物のようになってゆく……!


「教えろ。あのメスは、オレの爪のひとかきで死んでしまいそうなほど弱そうなのに、どうしてあんなに強いんだ。どうしてお前はそんなにも弱いのに、あのメスは、お前の言うことだけは聞くんだ」

「……知らないね」

「どうすればいい。どうすればあのメスを従えることができる。秘訣を教えろ。痛い目を見たくなければな」

「……俺を、殺す気か」

「殺したらあのメスが怒る。なに、教えるまで少し痛い思いをしてもらうだけだ」

「……傷つけたら、それでも、怒るんじゃなかったのか?」

「かもしれない。でも、殺すよりましかもしれない。お前が早く教えれば済む話だ」


 ガルフの爪が、俺の頬に当てられた。

 生ぬるい。この爪が、俺を、引き裂こうっていうのか?

 まだ包帯の取れない頭――俺の後頭部を傷つけたこの爪が、また俺を――!?


「オレはあのメスを気に入った。絶対にあのメスに仔を産ませる。だから言うことを聞かせたい。お前はどうやってあのメスを従えた。教えろ」

「……言わない、と言ったら?」

「とりあえず、飯が食いづらい程度に穴をあけたら、言う気になるか?」


 その、瞬間だった。

 凄まじい足音と共にドアが蹴破られたと思ったら、血相を変えて飛び込んできた、金色の影。


「ムラタさんから離れなさい!!」


 そう叫んで、両手で持っていた鍋の中身を、ガルフのいた場所に向かってぶちまける!!

 その瞬間にはガルフはすでにそこになく、しかし窓際の壁に、文字通りの大の字になって背を貼り付けていた。口を大きく開け、恐怖を刻み込んだ顔で。


「うわっち!?」


 直接の被害者は俺だ!

 スープの飛沫が顔に飛び散る!

 あっちい!!


 悲鳴を上げた俺を見て、ガルフも悲鳴を上げた。


「お、恐ろしいヤツだな、お前! 自分が仔を産みたいと言ったオスを、平気で巻き込むだと!?」


 ガルフの狼狽など耳を貸さず、そのまま鍋を振りかぶって襲い掛かるリトリィ。

 ガルフは、まるでのごとく、文字通り尻尾を丸めて、窓から飛び降りる。


「お待ちなさいっ!」


 リトリィは即座に窓から身を乗り出して、鍋を投げつける!

 硬いものが弾かれる音がして、ガルフの悪態が聞こえてきたから、命中したわけではないのだろう。


 俺は顔にかかったスープの熱さも忘れて、あっけにとられて見ていることしかできなかった。


「ちゃんと玄関から入ってきたらお話を聞くって言ったでしょう! 二度と窓から入って来ないでください!」


 腰に手を当て、仁王立ちで叫ぶ彼女に、リトリィのことを「怖い」と言ったガルフの気持ちが、少しだけ、わかったような気がして、しかしいつも通りだと考え直す。


 彼女は一度怒れば、兄であるはずのアイネの脳天に、薪割り用の台である切り株を容赦なく振り下ろせるのだ。

 うん、いつも通りだ。何も変わらない。


 仲良くする秘訣だって?

 知るか。

 俺は彼女のあるがままを、ただ受け入れているだけだ。



――――――――――

※奮戦するリトリィの雄姿?をイラストにしてみました。

 一番の被害者はもちろん、彼です(笑)

https://kakuyomu.jp/users/kitunetuki_youran/news/16817330648764692218

✱2022.10.24 ほんのり高品質化(笑)

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