第247話:ともにいきるために
リトリィは、俺の手の小箱にあるそれを見て、両の頬を押さえて首を振った。
「そんな、急にそんなことを言われても、わたし、どう返したら……」
「親方は、認めてくださったんだろう?」
ぽろぽろと熱い雫をこぼし続けるリトリィの手を取り、箱の中身を取り出して、その手に。
「受け取って、くれるね?」
胸が激しく打ち鳴らされるのを自覚する。
何度も体を重ね、その痴態をも愛しいと思うような、もはや緊張する相手ではないはずなのに。
わずかな言葉も噛みそうになる舌を、必死に回して。
緊張のあまり引きつりそうになる顔面をむりやり動かして、精一杯の微笑みで。
裏返りそうなところをだましだまし、穏やかな声色で。
「もう一度――いや、返事がもらえるまで、何度だって言う。結婚してくれ、リトリィ」
そっと、手を添えて、渡したものを握らせる。
潤む瞳で、しかしまっすぐ俺を見上げる彼女の口が、わずかに動く。だが、声にはならない。
声にはならない、けれどその口の端が、わずかに上がる。
そしてそっと、顔を近づけてきて。
目を閉じ、唇を重ねてきた彼女は、再びぽろぽろと涙をこぼしながら、小さな声で、だがたしかに、言った。
「こちらこそ、よろしく、おねがいいたしますね……」
彼女の手の中にあるのは、小指の幅くらいの、鮮やかな明るい赤に染められた、革のチョーカー・ネックレス。金のバックルの下には、鈴の形をした、鳴らない小さなアクセサリが下がっている。
金のバックルを正面にすると、きっと、首に細いベルトを巻いているように見えるだろう。
リトリィから改めてチョーカーを受け取ると、そっと腕を回し、彼女の首に巻き付けてゆく。
「……苦しくないか?」
「いいえ? ――うれしい、です」
金のバックルを少しずつ締めながら聞くと、目を細めた彼女は、すこし、照れたように視線をそらす。
「こんな日が来るなんて。……憧れては、いましたけれど」
そっと、彼女がバックルに指を添えた。
「でも、ムラタさん……どこで、知ったんですか? 婚約の証の、これを……」
「ペリシャさんに教わったんだ」
見栄を張ったってしょうがない。正直に伝えると、リトリィも納得したようだった。嬉しそうに、バックルの手触りを確かめている。
「お姉さま、素敵です! ……ムラタさん、これペリシャさんが選んだんですか?」
マイセルが、下からのぞき込むように、リトリィの首のそれを、くりくりの目を目一杯見開きながら言った。
なんだか、うらやましそうに。
「そんなわけあるか。婚約者に贈るものくらい、自分で選ぶさ」
「ええ~? ムラタさん、そういうの、慣れてないって思ったのに」
失礼だな。まあ、そうやって軽口を叩いてくれるくらい、マイセルとも気安い仲になることができたってことなんだろうけどな。
ペリシャさんには、実はもうすこし装飾の多い、レースのリボンのものをすすめられた。店主に至っては、せっかくの婚約なのだからと、金の装飾がごてごてつけられた、幅が指四本分くらいはありそうな、大きなものをすすめてきたくらいだ。
だが、控えめで落ち着いた印象のリトリィには、装飾過剰なものよりも、このほうが似合うだろうと考えて、シンプルなデザインのものを選んだのである。
それに、シンプルだからこそ金のバックルが映えるだろう、とも考えて。
そもそも、きっとリトリィは、婚約したその瞬間だけでなく、結婚までずっと着けていてくれるだろう、という思惑があった。
だから、日常生活を妨げず、かつ丈夫なものを、ということで、このサイズ、そして革製品を選んだのである。
音の鳴らない、形ばかりの小さな鈴も、アクセントとして、実用の範囲内で可愛らしいと思ったのだ。
「ムラタさんって、絶対、すすめられるまま一番高いのを買わされそうだって思ってました。ね、お姉さま?」
おい。マイセル。お前、俺を何だと思ってるんだ。
リトリィを見ろ、答えに困って苦笑いだ。
……つまり、リトリィもそーなると思っていたわけだな? まったく、二人そろって亭主を押しに弱い人間みたいに。
「そ、そんなことないですよ? わたしはムラタさんのこと、信じていますから」
「ああ~っ! お姉さまずるい、それじゃ私が一人だけ悪者みたいじゃない!」
リトリィの腕にぶら下がるようにはしゃいでいるマイセルに、声をかける。
「マイセルちゃんも、おいで?」
「はい?」
「君も、俺の婚約者なんだから」
俺の言葉に、今度はマイセルが固まる。
面白いくらいに、丸分かりの硬直状態。
「マイセルちゃん? あなたのだんなさまになるかたが、お呼びですよ?」
「え? ……あ、……え?」
そのまま、リトリィによってぐいっと俺の前に押し出されるマイセル。
途端に慌てだすのが可愛らしい。
「え、いえ、あの……。じょ、冗談……ですよね?」
「俺、君に冗談なんか言ったことないと思うんだけどな」
「え……? で、でも、……あの……?」
俺はもう一つの小箱から、今度はリトリィに贈ったもの同じデザインで、色の異なるチョーカーを取り出す。
「いつも朗らかで明るいマイセルちゃんには、これを」
それは、オレンジ色の革で出来たものだった。
リトリィのものと違い、白金のバックルになっているが、そのデザインは、白金でできた小さな鳴らない鈴がついているのも含めて、リトリィのものと一緒。
白金のバックルを選んだのは、オレンジの革に金では、目立たないと思ったからだ。
「え、……え? で、でも、でも私、まだ、その……修業が終わってなくて……」
「でも、マレットさん公認の仲なんだ。その意味では、リトリィと同じだ。……受け取って、くれるね?」
もらっていいものなのかといった様子で、リトリィに半泣きの表情で救いを求めるマイセル。だが、リトリィのほうはむしろ鷹揚にうなずいてみせる。
「お、お姉さまと、おそろい……。い、いいんですか? 私が、そんな……」
「きみだから、受け取ってほしいんだよ」
このチョーカー・ネックレスを選ぶとき、ペリシャさんは教えてくれた。
揃いのものを身に付けることは、互いの魂を結びつけることと同義なのだと。
たとえ離れていても、互いを想う心を、いたわる心を、愛する心をひとつにする、その絆を結びつけるのだと。
――ならば。
「リトリィと、マイセルと、俺と。共に、いつまでも、どこまでも、一緒に生きていくと決めたんだからな」
ペリシャさんは、同じデザインのものを選んだことに、はっきり言って渋い顔をしていた。
ペリシャさん自身は、リトリィのことも、マイセルのことも、それぞれに可愛がっているようだった。
だが、二人が俺の元に嫁ぐとなったとき、ペリシャさんの胸の内は大変複雑だったようだ。
つまり、リトリィにも、マイセルにも、彼女ひとりを愛する男性をそれぞれに見つけてもらいたかったらしい。世界でたった一組の、愛し合う相手を。まあ、当たり前だろう。
それなのに、二人とも、よりにもよって同じ男性に嫁ぐ。
おまけに、ペリシャさん自身が獣人だから、リトリィの心情も十分理解しているわけだ。表面上、マイセルと折り合いをつけようと努力しているものの、本当は俺のことを独り占めしたいと願っている、リトリィの独占欲を。
それでも、リトリィはマイセルと共に俺と生きる覚悟を決めてくれたのだ。なんとかしてマイセルと仲良くしていきたいと、努力してくれているのだ。
それなのに、俺がいつまでも腰が引ける対応をしていては、俺のために努力してくれているリトリィに対しても、誠意がないことになる。
「だから、受け取ってほしい。俺と――俺たちが共に生きる、その、はじめの一歩として」
リトリィが、微笑みながら、うなずいてくれる。
「――受け取ってくれるね?」
果たして、マイセルは。
――ゆっくり、首を、横に振った。
顔を覆って。
体を、ゆっくり、かがめるようにして。
「うれ……しい、なあ……」
かすかな、嗚咽と共に。
「うれしい……けど、私……いいのかな……。お姉さま、ムラタさんのこと、大好きなのに……」
そう言って、肩を震わせる。
床に、雫が、ひとつ、ふたつと弾ける。
「急に、怖く、なってきちゃった……私、お姉さまの、大好きな人……横から……」
胸が痛む。
そんなことを、マイセルに言わせてしまうなんて!
リトリィも同じことを考えたようで、マイセルの肩を抱いた俺とともに、そっと寄り添う。
「だから、まえに言ったでしょう? わたしたち、ふたりで、いっしょにお仕えしましょうねって」
「お……おねえ、さま……」
それからしばらく、マイセルはリトリィの胸で泣いていた。
ごめんなさいと。
ありがとうと。
そんなマイセルの頭を、リトリィは、ずっと撫でていた。まるで、母親のように。
「……苦しくはないです。えへへ、これで、お姉さまとおそろい……ですね」
リトリィと同じように、首に巻かれたチョーカー。鮮やかなオレンジの革の上で、白金のバックルが輝く。バックルの下の、小さな鈴の意匠のアクセサリも、可愛らしい。
二人がバックルを撫でながら、照れたように笑っている。それを見届け、俺はもう一つの箱を開けた。
――黒革の、二人と同じデザインのチョーカー。
「ふふ、では、着けて差し上げますね。――マイセルちゃん?」
「はい、お姉さま」
二人してチョーカーを手に取ると、二人して手を俺のうなじに回し、そして二人してバックルに通す。
「きつく、ないですか?」
「いいよ。ぴったりだ」
「えへへ、ムラタさんとお姉さまと私、おそろいですね」
俺の首に巻き付けられた、黒革のチョーカー。やはり、バックルの下には小さな、鳴らない鈴が付いている。バックルは、リトリィと同じ、金。鈴は白金だ。
ああ、おそろいだ。
そろって、三人で、ともに生きていくのだ。
――ずっと。
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