第246話:だいすきなあなたへ
ペリシャさん曰く、今日は「ヴァン・サレンティフスを讃える日」――男女を問わず、大切な人へ、ちょっとしたプレゼントにメッセージカードを添えて、普段の感謝を伝える日、なのだそうだ。
そんなわけで、辞書を首っ引きにしていたというのに!
「小さな子が初めて書いた手紙みたいで、かわいいです」
そう笑うマイセルに、俺の顔がどんどん火照っていくのを自覚する。
――見られた! ああもう、よりにもよって、リトリィをお姉さま呼ばわりしてべったりくっついて回る彼女に!
訂正してくれたのはありがたいけど、その……男のプライドってやつももう少し、考えていただけると、俺はとっても嬉しいです!!
「あ……あたりまえだろ、字は書けるようになっても、語彙は――ていうか、手紙が書けるようになっただけでも褒めてくれ!」
「ふふ、ムラタさんって、かわいい」
ぐほぁっ!?
三十間近の俺にとって、可愛い呼ばわりはなかなかメンタルにクる!
「た、頼む、リトリィには言わずに……」
「どうしてですか? ムラタさんからの愛のお手紙ですよ? お姉さま、喜ぶと思うのに」
どうしよっかなあ?
意味不明にくるくると回ってみせる彼女の天真爛漫さが、今はものすごく恨めしい。
「そ、そういうのは、黙って渡すからいいんじゃないか!」
「そうですか? もらえるって思って期待していた方が、嬉しさが二倍になりませんか?」
「い、いや、それは……」
そりゃあ、期待を上回るような素敵なものを書けるなら、それでもいいだろうさ。でも俺は文筆家でも何でもないんだ、今書いてる手紙だって、リトリィが以前作ってくれた言葉の練習帳を参考に、辞書を引きながらだ。
この世界の文法って、人称や時制、敬意表現などで書き方が変わるんだよ! おまけに動詞・形容詞が活用するんだぜ! かろ・かっ・く・う・い・い・けれ! ド畜生、学生時代に苦しんだ文法って奴に、異世界に来てまでも苦しめられるとは思わなかったよ! おかげで滅茶苦茶つたない文になってる自信がある!
「……とにかく、内緒にしてくれよ、頼む」
「ああ、びっくりさせたいんですね! わかりました! じゃあ、お姉さまには、手紙の内容は内緒にしておきますね!」
何が楽しいのか、彼女は上機嫌で部屋を出て行く。
俺はため息をつくと、リトリィお手製の言葉の練習帳と辞書を手に、再び手紙と格闘を始めた。
今日は「ヴァン・サレンティフスを讃える日」。
男女を問わず、大切な人に、プレゼント共に想いを伝え合う日。
ほんとにちょっとしたものでいいらしく、それこそ羽帽子とか、髪留めとか、イヤリングとか。首から上が特に喜ばれるそうだが、レースのショールとかネックレスとかちょっとしたジュエリーとか――ってちょっと! どこがちょっとしたものなんですかペリシャさん!!
おかげでちょっとした散財をしてしまいましたよ!
――ああ、いやいや! 彼女たちのための出費は散財にあらず! 必要なものを必要なだけそろえたのだから、これは経費、そう必要経費というやつです!
それはともかく、特に若い女性は、小さな焼き菓子をカードに添えて、意中の男性に贈るのが習わしなんだとか。
ふと、日本のチョコにまつわる行事を思い出す。
俺には全く縁のない行事だったけどな!! ああ、二十七年間、母親以外のチョコなど見たこともなく!!
もうしばらくで結婚なのだ。最近とんでもない事件に巻き込まれてしまったし、そのせいで昨夜は変にぎくしゃくしてしまったし、でも仲直りできたし。
だからこそ、いいチャンスだと思ったんだけど。
ばりばりと頭をかき回しながら、俺は両手を投げ出し机に突っ伏した。
ああもう、己のボキャブラリーの貧困さを呪う! こんなときこそ、二人をとろかす甘い言葉を綴りたいというのに!!
三洋・京瀬らのモテスキル、今こそほんとに、切に欲しいと願う! ていうか、今すぐあの二人をこの世界に召喚したいマジで!!
「ムラタさん? お茶が入りましたけど、いかがですか?」
リトリィが部屋に入って来たので、俺は慌てて書類の下に手紙を隠す。
「あ、ああ、いただくよ。ちょっと待っててくれ、すぐに行くから」
背中で机への視線を遮るようにして笑ってみせると、リトリィは不思議そうに首を傾げた。
「あの、お仕事ですか? でしたら、キリのいいところまで、お手伝いします」
「いいいいや、いいんだ、リトリィ! 自分でできるから!」
「でも、設計のお仕事ではないんですよね?」
――しまった、図面じゃないから手伝える、なんて思われてしまったのか!
「だ、大丈夫だよ! そそ、そうだな。喉も乾いたしな! すぐお茶にしようか!」
「ムラタさん、多少ならマイセルちゃんも待ってくれますから。お手伝いさせてください」
「い、いいって、ほんとに! 大丈夫! ほら、小腹も空いたし、あははは、今日のお茶菓子は何かなあ! 楽しみだなあ!」
リトリィが、寂しそうに笑うのを見て胸がずきりと痛む。
「い、いやほんとにほんと! 実はもう、お茶の時間だと思ってそわそわしてたんだよ! リトリィのお茶もお茶菓子も俺、大好物だから!」
なんだか言えば言うほどリトリィの顔が寂しげに見えてきて、俺は逃げるように大部屋――ダイニングルームに向かった。
「見損ないました、ムラタさん」
半目でそう言われて、俺はぎくりとする。
「み、見損なったって、どういう意味で……」
「だって、お姉さま、すごく寂しそうなお顔、してますから」
「そ、そうか? そんなことは――」
はあ……。マイセルが、長いため息をつく。
キッチンで、皿を準備しているリトリィを見やりながら。
「私よりムラタさんの方が、ずっとお付き合い、長いんでしょ? お姉さまがあんなに寂しそうにしてるの、分からないんですか?」
……言われなくても分かってるって!
尻尾も耳も、力なくうなだれてるし!
笑顔も、どことなくこわばってるし!
さっきのやり取りが原因だ、くらい!
「ムラタさん! 好きな子をびっくりさせてあげたいっていう気持ちは分かりますけど、そのためにあんなふうにへこませてたら、意味がないじゃないですか! ムラタさんは、誰のためにびっくりさせたいんですか!」
言われなくても分かってるよ、リトリィを喜ばせるためだ。
でも……じゃあ、どうすればいいっていうんだ?
マイセルは何度目かのため息をつくと、「お姉さまーっ! ムラタさんが、お話、あるんですって!」と声を張り上げた。
……って、ちょっとまてぇぇぇえええい!
それはいけない、こちらにはまだ何の準備もできていない!
心の準備が整うまで……って、リトリィがこっちに来ちゃうじゃないか!
俺は慌てて、事務室にダッシュする。
ええいもう、畜生!
ダイニングに戻ると、マイセルが、焼いてきたケーキを切り分けているところだった。
ケーキと言っても、この世界のケーキはフルーツケーキみたいなもので、中にドライフルーツやナッツ類が練り込まれている感じのものだ。クリームでデコレーションされていたり、いちごが乗っていたりするようなものではない。
誕生日のような特別な日には、一カ月ほど熟成させたものを食べるらしいが、こうした、ちょっとした記念日には、焼き立てを食べるらしい。
「あ、ムラタさん。いま、マイセルちゃんが持ってきてくださったケーキを分けているところで……」
リトリィが、ふわりと微笑みを向ける。
でも、どこか、寂しそうな笑み。
ごめん、リトリィ。
いつも君を傷つけてしまってばかりで。
そんなつもりじゃないんだ。
君を傷つけるつもりなんて、微塵もなかったんだ。
彼女の隣に座ると、
ケーキの皿を受け取り、
そして、
微笑みつつも戸惑ってみせる彼女の、
その
そっと、唇を重ねる。
「むむむムラタさん!?」
マイセルの素っ頓狂な声を背景に、そっと、彼女の薄い唇を割るようにして、舌を差し入れる。
はじめは目を見開いていたリトリィが、目をとろんとさせ、そして目を閉じ、舌を差し込んでくるのを確かめると、二、三度、舌を絡め、そして、唇を離した。
名残惜し気に伸びる舌に、もう一度キスをすると、懐から、小箱を取り出す。
「む、ムラタさん、それ――」
リトリィも、そしてマイセルも、俺の手のものを見て、驚いてみせた。
「リトリィ――」
今度こそ目を丸くして声も出ないリトリィに、俺は、勇気を振り絞る。
ペリシャさんが、俺に、すすめてくれたもの。
『もうすぐ結婚するあなたなら、これが一番ですよ。あなたの、覚悟を形に示すものといったら――』
「俺の、気持ちだ。遅くなったのかもしれないけど……今日は、
じわり。
リトリィの目が、涙の海に沈む。
「いい……の、ですか……?」
「このセカ――まちの習わしなんだろう? それに、俺もならいたくてね」
ぼろぼろと零れる涙を拭こうともせず、ぽかんと開いた口は震え、何か言いたそうに、けれども言葉が続かない、そんな表情に。
俺は、続ける。
「結婚、してくれ」
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