第240話:帰還
ガルフは、姿を消していた。
冒険者たちにとって「ガルフ」とは、褐色――枯草色の髪をした、額に×の字の傷跡をもつ、「人間」の傭兵だ。
冒険者ギルドの人間は、まだ、ガルフの正体を知らない。
「結局、あの
「……分からない」
「リトリィさんに執着していたみたいですが、知り合いなのですか?」
「……分からない」
「恋人さんが捕らわれていた部屋に転がっていた
「……そうか、じゃあ、悪が一つ、滅びたな」
「僕としては、あの犬野郎をなんとかできなかったのが心残りですが」
「あの場、あの条件では、勝ち目がなかったんだろ? 今回はしょうがないんじゃないか?」
ヴェフタールが、目を丸くする。
「……まあ、たしかに、あの場で勝つのは難しかったと思われますが……。どこか、また頭でも打ちましたか? そんな合理的なことを言うなんて」
――ブッコロスぞ、ほんとに。
「ただ、あの犬野郎はリトリィさんに執着していたようですから。取り逃がしてしまったことはかなり頭の痛い問題です。今後、またどこかで、彼女を狙ってやってくるかもしれませんよ?」
……冗談、だよな?
笑い飛ばそうとしたが、ヴェフタールは真剣な表情を崩さない。
そうだ、冗談もクソもない。奴は、リトリィに自分の子供を産ませることに、ものすごく執着していた。また襲ってくるおそれは十分にある。
「今回は君のお手伝いをすることができましたが、それもナリクァン夫人が動いたからです。君の恋人さんが再びさらわれたとしても、その時は、お手伝いできないかもしれません。せいぜい、気を付けることですね」
ヴェフタールは、アムティと共に
「ではごきげんよう、壊し屋さん」
「建築士だっ!」
「おっと、そうでした。あらためて、ごきげんよう建て壊し屋さん」
ヴェフタールの隣でアムティが笑い、そのまま二人は、冒険者たちの一団と共に駆けて行った。
くっそ! 本当にイイ性格をしているな、あいつらは!
ごとごとと揺れる馬車の隅で、俺とリトリィは揺られるままに座っていた。
さすがナリクァンさんだ。この街で一般的に使われる荷運び用の車は、毛長牛が曳くと相場が決まっている。馬は、毛長牛よりも数段高価なのだそうだ。
にもかかわらず、
ひどい目に遭ったであろう女性たちをおもんぱかったチョイスなのであろうし、また、そんな彼女たちの救助に関わったナリクァン商会の力を誇示するにも都合がいいのだろう。
その馬車の中は、重苦しい感じだった。
助かったのだから、もっと和気あいあい、にぎやかに、助かった者同士が明日への希望を口にする明るい雰囲気になるかと思っていたのだが。
やはり、みな、疲れ切っているようで、ほとんどの女性はうつむいたままだった。眠っている女性も多い。例の
護衛として入ってくれている女性の冒険者も、夜通しの作戦の疲れが出たためか、船を漕いでいる。おいおい、いいのかそれで。まあ、責める気も無いけどな。
そんな中で、男が一人。
……たいへん、居づらい。
リトリィがとなりにぴったりとくっついて座ってくれているのが幸いだ。
もっとも、俺がここにいる理由も、彼女が腕から離れようとしないから、なのだが。彼女が離れないから、俺は彼女と共に馬車に乗り込む羽目になっている、ただそれだけである。
だから、たとえ居づらくとも、それを嫌だというつもりはない。それだけ、俺を信頼してくれている証だと思うから。
そうだ。
ガルフがリトリィに執着したように、リトリィは俺に執着してくれている。
二十七年間童貞で、彼女のかの字の気配もなかった俺にとっては、まさに天からの恵みの如くありがたい女性だ。ありがたすぎてその恩恵を素直に受け取れなくて、山では随分と時間を無駄にしてしまったけれど。
そっと、彼女が俺の肩に頭をのせてくる。
毛布とも呼べぬ掛け布を二人でまとっているだけだが、このリトリィがことのほかあたたかくて、寒さなど感じない。
「……寒くないか? その、俺はあったかいけど、リトリィは――」
俺が彼女の肩に掛けたマント以外、彼女は何も身に付けていない。なのにこうして温かいのは、彼女のふかふかな毛並みと、そして高い体温のためだ。
逆に言えば、彼女は自分の体温よりも低い物体に寄りかかっているわけで、彼女こそ寒くないのか。
するとリトリィは、ふふ、と微笑んだ。
「ムラタさんには、ムラタさんなりのぬくもりがあります。それが感じられるなら、わたしはそれで十分です。ううん、むしろわたしであなたがあたたまってくれるなら、それがうれしいです」
そういって、肩に頬をこすりつけてくる。それとともに、ぴこぴこ揺れる耳が顔に触れるたびに、くすぐったくなる。だが、それが可愛らしい。
ふわりと掛け布がずれたので、肩口まで引っ張る。
マントの下にある、彼女の大きな胸のふくらみが――その桜色の尖端が、マントの隙間から見えて、思わず目をそらした。
リトリィは、そんな俺の反応から気づいたようで、そっと掛け布の下で俺の手を取ると、そのままそっと引っ張って、自分の胸に、俺の手を押し当てる。
「……あたたかい、ですか?」
「いや、えっと……あ、あったかいよ?」
「ふふ……」
少し首をかしげるようにして俺を見たリトリィは、また、俺に体重を預けてきた。
「あなたのリトリィは、ここにいますよ……。どこでもない、あなたの、おそばに」
……そういう意味か。
つい、下世話な想像が頭の中を駆け巡って、他のひとも乗っているのに、と、見当違いなことを考えてしまった自分を恥じる。
……仕方ないじゃないか!
彼女、丈の短いマント以外、何も身に付けていないのだ。気を利かせて、丈の長いマントをくれようとした冒険者もいたが、彼女は、このマントがあるから十分です、などと言って断ってしまった。
……いや、そのマント、その……丈が短くて腰までしかないから、動くとすぐ、君の大切な場所が、見えちゃうんだよ!
だから、こうして掛け布の下で密着されてると、ほんと色々、俺が困ったことになってですね……!
「……ふふ。お元気ですね、お
やめて! 今なでなでされたら、速攻で果てる自信があるから!
君は自分の技がいかに俺を悦ばせるか、自覚がなさすぎだから!
同乗してる獣人さんたちが、ニオイで感づくに決まってるから!
いくら掛け布の下だからって、ちょ、やめ……、……、あふん。
ひと仕事を終えたとばかりに、
俺も、彼女に肩を寄せ、街につくまでにひと眠りしておこうと、目を閉じる。
だが、なかなか眠れなかった。やはり、体勢もそうだが、ゴトゴトと不規則に揺れる馬車というのは、どうにも体が落ち着かないのだろう。
リトリィはというと、可愛らしい、かすかな寝息を立てている。やはり、相当に疲れていたに違いない。
小柄な彼女だが、しかし彼女はもうすぐ二十歳になる、立派なレディーだ。可愛らしいという形容はふさわしいのだろうかと苦笑し、そして、ふと、その年齢について考えてしまった。
一般的に、
つまり、彼女自身もやたら執着している、子供をつくる瀬戸際の歳になるのだ。
もしリトリィが――ライカントロプスが、一般的な獣人族と同じ特性を持っているとしたら、ガルフは近いうちに、また彼女に接触を試みるのではないだろうか。
リトリィに、時間がないからこそ。
そう、だからこそ俺は、冒険者ギルドの人間に、「ガルフ」の正体を言わなかった。
言いそびれた、ではなく、保身のために。
あの、馬鹿馬鹿しいほどにリトリィに執着した男。
問答無用でさらってしまえばよかったのに、その場に俺がいると気づくと、俺たちに目的と意志をきちんと伝え、納得させようとした、ズレてはいるが筋を通そうとした男。
だから、もしほかに伝えなかったら――もしかしたら、奴はリトリィを、俺を殺してでも奪い取るような真似など、しないかもしれないと思ったのだ。
たとえそうでなくとも、彼女のぬくもりを奪われるなど、二度と考えたくもない。
どうせ、奴が本気を出して来たら、俺では絶対に勝てないのだから。護衛を雇うなんて金が続くわけもないし、四六時中守ってもらうのも、現実的ではない。
だったら、それなりに義理を感じてもらって、遠ざけることはできないか。
もちろん、そう簡単にうまくいくとも思えないのだが、だからと言って他に有効な対策が思いつくわけでもない。
いつかやってくる「災害」をいかにしてやりすごすか、ただそれだけだ。
情報を流して大金を投入し、あまたの冒険者を雇って討ち取ってしまうのもありかもしれない。
しかしそうなったら、追い詰められたガルフが、かえって襲ってくることにもなりかねない。潜伏されて長期戦をやられたら、間違いなく俺の方が不利だ。
こう言っては何だが、いっそ、リトリィよりさらに若いライカントロプスの女性が見つかるかもしれなくて、でもってガルフといい仲に――
と、考えて、あまりにも都合の良すぎる妄想にため息がでる。
ガルフがリトリィを口説きに来ることの方が、ずっと現実的だ。
「ムラタさん? おひとりで悩まれる悪いくせが、また出ていますよ?」
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