第239話:再出発

 東の空が明るくなってきたころ、敵残存勢力はないものと確認され、生きたまま捕らえられた奴隷商人たちは、馬車で移送されることになった。奴らには、見せしめの死が待っているだろう。


 もちろん、救出された人たちも、ナリクァンさんが手配した馬車で移送されることとなった。


 砦に残されていた獣人たちは、大きく二つのグループに分けられていた。


 悲惨だったのは、耳と短い尻尾以外に、動物的な特徴のない人々のグループだ。

 こちらは先に発見した時の通り、使い捨ての道具でしかなかったみたいだ。今後の心のケアが大事だろう。


 例の獣人の女性は、拘束されたうえでの移送だ。彼女は過ちを犯してしまったとはいえ、極限状態で生き延びるために必死だったと考えれば、責める気にはなれなかった。彼女こそ、心のケアを十分に受け、再出発してほしい。


 ……しかし、そもそもこの世界で、そういうメンタルケアを担当する精神科というものは存在するのだろうか。修道院に放り込んでおしまい、とか、そんなことだったら、救われない。


 いや、それも、俺の独りよがりか? 人にできることなんて限りがあるのに。ましてこの世界の文明レベルで、メンタルケア?

 俺のいた日本でだって、心を病んで自殺する人が、毎年何万人と出るのに。


 あの獣人の女性のことだってそうだ。俺にとってインテレークは、一晩限りの仲間だった。だから、「責める気になれない」などと、気のいいことを言えてしまうのだろう。


 もし、あそこでバラバラにされていたのがリトリィだったとしたら。

 ……俺は、絶対に、許さなかったに違いない。最低でも、同じ目に遭わせていたかもしれない。


「……ムラタさん? お顔の色がすぐれません。どうかされましたか?」


 そっと声を掛けてくれたリトリィに、自分がマイナス思考に陥っていたことに気づかされる。


 ……そうだ。俺は、彼女を救うことが、できたんだ。

 最大の目的を、俺の手で達成することができたんだ。

 それ以上の成果の達成を望むなんて、おこがましい。




 もう一つのグループは、動物の特色がよく表れているひとたちだった。

 一般的な人間よりも毛深いとか、犬のようなマズルをしているとか、長い尻尾をもつとか。

 リトリィほど顕著な人はいなかったが、そうした特徴をもつひとたちは、「商品」としての価値が高かったためか、それほどひどい扱いをされていたわけではなかったようだ。


 ただ、あくまでも「それほど」、だ。

 同じ部屋にいた連中を「尋問」したところによると、多くの女性は、「男性への」の仕方を学ぶという名目で、手や口による性的なサービスを強要されていたらしい。


 そしてこのグループにも、やはり暴行を受けていた女性はいた。見目麗しい既婚者や、連中に強く反発してみせたらしい女性だ。

 特に後者は、反発してみせたという話が信じられないほど憔悴し、ひどく怯えていた。見せしめとして、牙を折る勢いで徹底的に強姦されたらしい。本当に連中は腐っている。


 そういう連中だから、俺たちによって縛り上げられたあと、怒りに燃える女性たちによって蛸殴りにされていた奴もいた。自業自得だ、ざまみよ。


 さらに、不幸中の幸いではあったが、こちらのグループでは嬉しい再会もあった。


「おやつのおじちゃん!」


 あの、垂れ耳うさぎロップイヤー風の耳の母娘が、ここにいた。

 多少疲労の影は見えたが、それでも母親も娘さんのほうも、元気そうだった。


 母親の方は、やはりというかなんというか、「女性的奉仕」の犠牲者だったらしく、髪もごわごわで、やつれ具合も一層ひどいものだったが、それでも娘を守りきれたことに、大きな喜びを表していた。


「おじちゃんじゃなくて、おにーさん、な?」


 マイセルが焼いてくれたパンを、腰のポーチから取り出す。

 今日はドライフルーツではないけれど、眠れぬ夜を耐えて過ごしたであろう少女に、ちょっとしたご褒美をしたかったのだ。


 なにより、インテレークの件もあって心がささくれていた俺だ。最近、姿を見せなかった彼女たちが、無事とは言えなくとも確かに救われたということが、本当に、本当に嬉しいことだったからだ。


「……ありがとう! おやつのおじ……」


 少女は言いかけて、言い直した。


「おやつのおにーちゃん!」

「そのパンはな、おにーちゃんの恋人の、マイセルっておねーちゃんが焼いてくれたんだ。あとで、礼を言ってもらえたら、おにーちゃん、とってもうれしいな」


 少女は大きくうなずくと、パンをかじる。

 おいしい、と目を輝かせる少女の頭をぽんぽんと撫で、「じゃあ、またね?」と声をかけた。


 少女は目を丸くし、頭を撫でる腕を、俺の顔を、不思議そうに見比べる。だが、嬉しそうに大きく頭を下げて礼を述べると、母親のところに戻ってゆく。あの少女が無事で、本当によかった。


 そして、気づいた。

 母親が、ものすごい目で俺を見ていた。皿のように見開き、食い入るように。怒っているわけではないようだが、いや、なに、その目。


「……ムラタさん。あんな小さな子まで、お嫁さんにするおつもりなんですか?」


 すぐ隣のリトリィまで、ものすごい目で俺を見上げている。

 いや、こっちの目の意味は分かるぞ。うん。

 ……おこってますね、はい。

 って、なんでだ!?


「ムラタさんって、ほんとうは、ものすごく女の子が好きで、それも小さい女の子が好きで、女の子の扱い方も、ものすごく慣れているんでしょう?」

「い、いや、そんなわけないだろ? 俺と君との仲を深めるのだってあんなに――」

「でも、髪を撫でながら『またね』っておっしゃいましたよね? それって、いずれお嫁さんとして迎えに行く、ということですよね? あの子、絶対にそう受け止めたと思います」


 そう言って、つんとそっぽを向いて見せる。

 ちょ、ちょっと待って! なんでそうなる!?


「……だって、すぐに『櫛流くしながし』をやりたがるんですもの。いまだって、すぐとなりに、わたしがいるというのに」


 ……櫛流し。

 ええ、覚えていますとも。結婚三儀式の一つ。丹塗りの櫛で、結婚する女性の髪をく、婚姻のための儀式ですよね。

 だから、女性は、基本的に、異性に髪をふれさせないってことで……


 あぁぁぁあああああっっ!?


 自分が、たった今、あの少女にやらかしたことを思い出す。


 そ、そうか! 母親が俺を凝視する意味、分かりましたええ分かりましたよ!

 いや、そういう意味じゃなくてですね!

 そう、小さい子の頭を撫でるのは、スキンシップ! スキンシップなのです!

 それ以上の意味など決してなく……!!


「……知りません」


 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!

 久しぶりに聞いたよ、そのリトリィの拗ね方!

 ホントに違うんだって、リトリィ!!




 伸びてきた朝日に、彼女の金の髪が、毛並みが、美しく光り輝く。


 どこかくせっけのある、ふわふわの髪。

 ぴこぴこと不安げに揺れる、三角の耳。


 俺の腕を包み込むようにして押し付けられている胸の感触はふかふかで、地面に届きそうなほどの長い尻尾は、今は俺の足に絡みつくように巻き付けられている。


 ライカントロプス、といったか。リトリィの、本当の血筋は。

 彼女自身はできなくとも、本来なら、人の姿に変ずることができる能力を持った、特異な種族。


 ……いや、ガルフは言っていた。すべての種族の祖、だと。


 本来は、リトリィやガルフこそが、この世界の、真の住人だったのだろう。

 いつの頃からか、なぜそうなったのかは分からないが、変身能力を失い、動物的な特徴を体に残すのみになった――それが、現在の獣人族ベスティリングということだ。


 なんという奇縁なのだろう。

 この世界でも希少な種族となった彼女と、この世界では希少な異世界の人間の俺。

 偶然というにはあまりにも出来過ぎた縁だ。それこそ、神の采配を疑うほどに。


「……ムラタ、さん?」


 少しそよいだ風に、彼女の、金の髪が揺れる。

 目を刺すほどにまぶしい日差しの中で、きらきらと髪が躍る。

 陽光の慈悲と恵みリト・ラ・エイ・ティル――ジルンディール親方の奥方が、彼女をそう名付けた理由が、よく分かる。


 思わず彼女を抱きしめる。

 あたたかい。

 彼女の体温は、間違いなく、人間である俺よりも高い。

 そんな彼女の、ふわふわな毛並み。


 ああ、あたたかい。

 俺の腕の中に、彼女は、いる。――いてくれている。

 それが、どれだけ、しあわせなことなのか。

 これ以上のしあわせを、なぜ望んでしまうのか。


「……リトリィ、ごめん。俺が悪かった。君を信じきれなかった、俺が」


 心から、謝罪をする。

 君の愛を、信じきれなかった俺の、愚かさ。


 もう一度、やり直すのだ。

 今日を、この朝を、再出発する、スタート地点として。


 リトリィは、静かに、泣いた。

 また泣かせてしまった。

 ごめん、リトリィ。

 この世で一番悲しませたくない相手を、俺は、また、泣かせている。




「いつまでベタベタしてるんだい。馬車がでちまうよォ!」

「アム、歩いて帰らせればいいんですよ。どうせ彼らはその辺の暗がりで、子供でも仕込むつもりなんでしょうから」


 笑われるまで抱擁し続けていたが、いいじゃないか、やっとのことで恋人を助け出せたんだから! もうすこし堪能させてくれたって!

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