第232話:血を繋ぐために

「ゾオントロプス――獣と、人とを行き来できた種族、その末裔たるライカントロプスのありのままを――お前自身の正体を、とくと目に焼き付けるといい」


 男は、低く唸り声を上げ始めた。


 男の髪が──全身の体毛が、ざわざわと、揺れ始める。

 明らかに筋肉量が増していき、全身を褐色の毛が覆ってゆく。

 顔が──鼻のあたりから口、顎までうずたかく盛り上がっていく。

 側頭部についていたはずの耳が、徐々に頭の上に移動するように伸びていき、そして、毛に包まれ三角に尖っていく――!


 馬鹿な──これじゃ、本当に──


 頭には大きな三角の耳。

 犬のようなマズルに、黒い鼻。

 ふさふさの長い尾。

 隆々とした、鎧をまとうかのような筋肉。

 その肉体を、胸元以外の全身を深々と覆う、褐色の毛並み。

 その体毛は、本来の狼と同じく、体のともいうべき、顎から下――喉、胸、腹、脇、内腿、尻尾の裏などは白い。背中側は、背骨に沿ってやや黒くなっていて、それは尻尾の先までつづいている。


「――どうだ、納得したか?」


 男、だったものは、感触を確かめるように両手を開いたり閉じたりしてみせ、そして、開いた左手に、右の拳を打ち付けてみせる。


 そこに立っていたのは、性別と色以外、リトリィと変わらない、直立する異形、獣相の男――狼男だった。




「わ、わたしは、姿を変えることなんてできません!」


 リトリィの声から、狼狽する様子が伝わってくる。俺だって驚いているのだ、当然だろう。

 まして自分のルーツに関わりそうな存在が目の前に現れて、しかも超自然的なこと──なんてことをやらかしては、動揺するなというほうが無茶だ。


「それはそうだろうな。例の学者は言っていたぞ、十歳かそこらまでに変身の感覚を理解できないと、生涯、変身できなくなる恐れがあるとな」


 だが、狼男は口の端をゆがめてみせた。

 

「でもな、そんなことは別に問題じゃない。お前の血が重要なんだ。──オレの仔を産め」


 耳を疑った。

 おもわず飛び出したくなったくらいに。

 ── 奴の子供を産め、だと!? リトリィに!?


「お前は残念ながら、変身の仕方を知らずに成長してしまった、不完全なメスらしい。それにその色の薄い毛並み、青紫のぶどう色をした瞳──お前は白子しろこの血が現れているようだな。

 ……だが、そんなことは大した問題じゃない。変身できなくとも、お前が俺と同じ、狼人間ライカントロプスである事実は変わらない」


 白子──つまりアルビノ、もしくはそれに近いってことか? リトリィの美しい金の毛並みは、色素の欠乏が原因?

 アルビノというと肌も体毛も真っ白で、真っ赤な瞳だと思っていたけど、そういうわけじゃないのか。


「だからオレの仔を産め」


 って、なんなんだ、その話の跳び方は!

 リトリィの話も聞かずに、コイツは!

 思わず歯ぎしりをし、しかし、ゆっくり息を吐いて自分を落ち着かせると、そっと、腰のナイフを抜いた。

 いざとなったら、これで刺し違えてでも、リトリィを助けるつもりで。


「わ、わたしには心に決めた人がいるんです。あなたの仔を産めと言われても、産めません」

「大丈夫だ。オレは寛大だ。仔を産ませる女が、オレ以外のオスを好いていても、つがいをもっていても、オレ以前に仔を産んでいても気にしない。次に産むのはオレの仔だからな」

「そんなこと、しません。あなたの仔なんて産みません。わたしには、――仔を産みたい、産んであげたい、大切なひとがいるんです」

「一緒にいた、あの人間のオスか?」

「そうです」


 リトリィの言葉に、胸を貫かれるような痛みを覚える。


 あのとき、俺は。

 俺は何をした、何を言ってしまった。

 俺があのとき、嫉妬に駆られて彼女から離れなければ。

 そうすれば、あるいはこんな――。


「わたしがあのひとを信じきれなくて、そのせいでこんなところにきてしまったのに。

 ……でもあのひとは、きっと、それを自分のせいだって思い込んでいます。だからきっと、わたしに謝るために――それだけのために、ここまで来てくださるんじゃないかって思える、そんなひとなんです」


 リトリィの言葉には、ひとつも、よどみがない。

 かたく、そう信じている――そんな思いが、伝わってくる。


 ……ごめん。

 ごめん、リトリィ。

 俺は、……俺は、そんなに立派な人間じゃないんだよ。

 俺こそが、君を信じきれなくて、それで、こんな……。


「――ずいぶんと気に入ってるんだな、その男を」

「はい。わたしが、いのちをかけてお慕いするかた――わたしの、だんなさまですから」

「フン。その男なら、今――」

 

 そう言って、狼男は一瞬、こちらを見たような気がした。

 見つかった!? 思わず体を縮めるが、男はまたすぐに視線を戻すと、鼻で笑ってみせた。


「まあいい。あの男なら、俺の爪を食らったんだ。生きてはいまい」

「……そんな!」


 リトリィの悲鳴に、俺が食らった後頭部の一撃を思い出す。

 そうか……

 あれは、奴の爪だったのか!

 引っかかった、その程度だったと思ったが、それで、この傷か。


 思わず、頭に巻かれた包帯に触れる。

 ぞわりと、背筋に冷たいものが走る。


 引っかかった、かすっただけで、あの、血まみれになる裂傷を受けたのだ。

 もし、もう少し、コンマ一秒でも、あの爪に触れるのが早かったなら、一歩でも、奴に近かったなら――

 俺の頭は、致命的に粉砕されていたかもしれない。

 そんな恐ろしい奴が、今、そこに、いる……!!


 あらためて、身がすくむ。

 俺は、ここにいること自体が場違いだ。

 戦うどころか、ろくにナイフの構え方も知らない、そんな人間が。

 人殺しを何とも思っていないような奴に、挑む――!?


「それにだ。もし仮にお前があの人間のオスの仔を産むとなったら──あんな貧弱な人間に、お前を孕ませる種もないだろうが――万が一産めたとしても、お前の姿そのままの、白子に近い仔になるだろう。丈夫に育つとは限らん」


 リトリィが最も望んでいた、子供を産むこと。しかしその相手が俺だと、リスクがある、だって?


「そう、なるかどうかは──」

「安心しろ。オレなら、白子の血に負けない丈夫な仔を、間違いなく産ませてやれる。お前に代わって、我が仔に変身の仕方も教えてやれるし、本来のお前の血筋である、立派な狼人間ライカントロプスに育ててやれる。オレなら、それができる」

「そ、そんな理由であなたの仔なんて──」

「誇り高い血筋を絶やすつもりか?」


 リトリィの悲鳴に、狼男は誇らしげに答えた。


「オレの血統も純血に近いが、お前ほど美しい血を宿す女など見たことがない。オレとつがえば、その血を絶やすことなく伝えられる。必ずオレが、素晴らしい仔を産ませてやる」

「あなたは──」


 リトリィが、ゆっくりと聞いた。ためらうように、確かめるように。


「あなたが欲しいのは、わたしとの仔──わたしの血筋、なんですね?」

「当たり前だ。番う理由など、仔を作るため以外にないだろう? オレの仔を産む気になったなら、ここからも出してやる」

「……ほんとうに、それだけなのですか? それだけでいいんですか? あなたの仔を産むなら、ここから出して、自由にしてくれるんですか? あなたのことを、好きにならなくても」

「ようやくその気になったんだな? ああ、もちろんだ。たくさん産め」


 ……リトリィ!?

 馬鹿な、何を言ってるんだ!?


「……なんだ、わかってるじゃないか。丸くて大きな、いい尻だな。毛の厚みも、申し分ない」

「わたしがだれを好きであっても……たとえあなたを嫌っていても、あなたの仔を産みさえすれば――あなたは、それでいいんですか? 満足できるんですか?」

「お前が誰を好きかなんて、大した問題じゃない。オレの仔を丈夫に産めれば、それでいい」


 男が、部屋の奥に消えると同時に、ガチャガチャと金属の何かをいじる音が聞こえ、そして、耳障りな金属音――扉の開く音が聞こえてきた。

 ――牢が開けられた、らしい……。


「深く考えることはない。お前が例の人間を好くのは自由だ、好きにしろ。

 要は取引だ。オレは、オレの血を繋ぐ仔を手に入れる。お前は、オレの仔と自由を手に入れる。なんなら、孕んでいる間なら例の人間と逢わせてやってもいい。生きていればの話だがな」

「ほ、本気なんですか、それは……」

「オレは嘘は言わない」


 小さな、悲鳴。

 

「心がどうだろうと関係ない。メスは仔を産んで育てる。オスはそれを守る。そうやって血は繋がってきた。それで十分だ。今度はお前が、オレの血を繋ぐ仔を産む順番になった、それだけだ」

「……でしたら、わたし、は……」

「お前の仕事など、ただ一つだ。さあ、今から受け止めろ」

「……あなたの、仔、など、――」


 その、弱々しい声に、

 俺はもう、

 耐えられなかった。


 くそっ、

 くそっ……!

 俺は!

 俺はこんなところで!

 這いつくばってる場合なんかじゃないッ!!

 動け、

 動け!

 動けよ、足ぃっ!!


「リトリィィィィイイイイッッ!!」

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