第230話:待機命令

「よし……! おい、おっさん。あんたはここに残りな」

「分かった……って、おい!?」


 インテレークの言葉に、俺はたまげた。

 ちょっとまて、俺を置いてどこに行くんだ!

 抗議すると、インテレークは口の端をゆがめるような笑みを見せた。


「決まってんだろ、あのコとしてから跳ね橋下ろしてくるんだよ」

「だからって、なんで俺が残らなきゃならないんだ」


 すると奴は、は~っと大げさにため息をついて首を振って見せ、そしてニヤニヤしながら言った。


「おっさん、『投げナイフ』、やってくれるんだろ?」

「そ、そりゃやるって言ったけど、それと居残りと、何の関係があるんだ?」

「そうだな……確かに『投げナイフ』じゃねぇか、ええと――『置きナイフ』というところか?」


 奴はくっくっと小さく笑うと「いいか、おっさん。あんたはここで見張ってろ。後方の安全確保ってやつだ」と命令した。


「とにかく、何かあったら大声で叫べ。声が出せねえ状況だったら、どんな手段でもいいから大きな音を立てろ。俺の方はを済ませた後で、跳ね橋を何とかしてくるからよ」

「い、いや、待てよ! 何かあったらって、俺はお前を待ってる間に殺されるかもしれないってことか!?」


 せめてこの部屋にテーブルの一つでもあれば別だが、あいにく床に散らばる大小の壁の破片が転がっているだけで、ほかには何もない。

 つまり、いざというときに身を守るものが、この部屋には何もないのだ。


「だから、その時は大声を上げろって言ってんだろ。それとも女か? 跳ね橋下ろしたあとで好きなだけヤればいいだろ、とにかく頼んだぜ」


 そう言い残すと、足早に女性を追い始めた。女性は俺とインテレークを盛んに見比べて、俺にも手招きをしたが、インテレークが振り返って、『待て』の合図を繰り返す。


 お、おい、……ほんとに俺を置いていくのかよ!?




 インテレークが犬属人ドーグリングの女性と奥の扉の向こうに消えてしまったのを見届けて、俺は一人、ポツンと部屋に取り残されていた。

 壊れた壁から差し込む月の光のおかげで、少なくとも暗くて心細い、ということだけは無いのが救いだ。


 改めて壊れた壁や瓦礫がれきを見ていると、壁の内部構造がなんとなく理解できてくる。

 さらに、吹き込んだ雨のせいだろう、腐った床や柱、はりなどから、どのような建てられ方をしたのかも見えてきた。


 この砦は、基本的に内部を木骨で支える石壁の外壁で箱を作り、その箱の中に、石をモルタルで固めたような壁を後から作ることで、廊下や部屋を作ったようだ。


 ただ、すべての壁を石製にすることもできなかったみたいだ。例えば、この部屋の半分くらいは石壁なのだが、もう半分くらいは木に漆喰しっくいを塗って作ったらしい。一部、漆喰がはがれて奥の木の壁がむき出しになっている。

 本当に時間や材料が足りなかったのだろう。


 石造りでは難しい床や天井は木で作ってあり、壁に沿うようにして並ぶ柱は、木製の天井、すなわち上層階の床を支えるためのもののようだ。


 ただ、急ごしらえの弊害か、この部屋の場合、部屋の中に不自然な柱が二本、真ん中あたりに並んで立っている。

 おそらく、上の階に何らかの重量物を設置したせいで天井が耐えられなくなり、たわんできたのだろう。

 そのため、応急処置として柱が追加されたのだ。


 その柱がある当たりの天井が妙に下がって見えるのも、柱が微妙に傾いているように見えるのも、それどころか柱が立っているあたりの床がたわんで見えるのも、錯覚ではあるまい。


 さらに恐ろしいのは、抜けかけの天井だ。朽ちた天井の板は隙間だらけ、今だって、パラパラと砂のようなものが落ちてきた。

 傾いた二本の柱を抜いたらどうなるか……想像もしたくない。

 天井からの荷重がかかっているから、多少ぶん殴ったくらいで何かが起こるわけでもないだろうが、精神衛生上よろしくない。


 でもって、見事に何もない、だだっ広いだけの部屋。もともとは食堂か何かだったのか、それともミーティングルームか何かか。


 つまり、この部屋には、敵に見つかりそうになった時に隠れる場所も、遮蔽物にするようなものもないのだ。


 その意味に気が付いて、とたんに恐怖が湧いてくる。

 ど、どうするんだ、こんな障害物も何もない場所で。

 さっきの奴には三文芝居も通用したけど、誰にでも通用するわけじゃないだろ!


 唯一の障害物といったら部屋の真ん中あたりに立っている、二本のへしゃげかけた柱だが、こんなもの、武器にも壁にもならない。むしろ近づきたくない。


 腐った床板をはがしたところで、盾にだってできないだろう。もちろん、そんなボロボロで持ちにくい太さの板なんて、武器にもならない。


 せめて何かないかと、しばらくきょろきょろしていたときだった。なにやら数人のダミ声のようなものと、雑な足音が聞こえてきたのだ。俺たちが、この部屋に入って来た方の通路から。


 ――ま、まずい! この部屋にいたら、俺はとても生きて帰れない!


 慌てて隠れるところがないかを探し、そしてすぐに諦め、さきほど獣人族の女性が来た方の通路に全力で忍び足! 通路の向こうに隠れる。


 こっちに来るなよこっちに来るなよこっちに来てくれるなよ……!!

 全力で念じながら、通り過ぎてくれることを期待する。


 だが、ダミ声の主たちは、部屋に向かってきているようだ。どんどん足音が大きくなり、それに伴って声もよりはっきり聞こえるようになる。

 ああ神様仏様! どうかこっちに来ませんように……!!

 必死に祈りながら、男たちがこっちにだけは来ないことを祈り続けていると、男たちがついに部屋に入ってきた。

 翻訳首輪の効果範囲に入ったのか、会話の内容も伝わってくる。


「……それにしても、さっき出た馬車、本当に大丈夫っすか?」

「だから、そっちはクズばかり集めて囮にしたんだろ。冒険者ギルドが動いていたみたいだしな」


 ――クズ? 囮……!?

 二人の男の会話に、衝撃を受ける。


「護衛もたんまり付けたからな。特に、今夜はもいる。今頃、冒険者どもは返り討ちさ。万が一やられても、どうせ積み荷はクズばかりだ。奪われたってたかが知れている。連中がクズ共を連れて意気揚々と引き上げて行ったところで、夜半過ぎに安全に高級品の出荷だ。さすがボスは頭がいい」


 インテレークの兄が命を落としたあの馬車は、ただの囮だったって、そんな……。

 じゃあ、それで犠牲になった冒険者たちの命は、無駄になったってことなのか!?


 ……いや、そのぶん、確かにこちらは警備がものすごく薄くなっているはず。

 彼らのおかげで俺たちは今、ずいぶん楽になっているんだ。

 そうだ、彼らの働きは無駄じゃなかった……そう、考えなきゃ……!


 そう、自分に言い聞かせる。

 今夜限りの同志とはいえ、リトリィを助け出す、その手伝いをしてくれた人たちなのだから。


「……それはそれとして、今回のアレはすげぇ掘り出し物なんでしたっけ? うまく売り捌ければ、当分の間、遊んで暮らせるとかいうの、ホントっすか?」

「らしいな。初物じゃないことだけが惜しいらしいんだが、おかげであのうるさい頭領がするんだとさ。終わったら出発まで、オレたちにも回してくれるらしいぜ? お前もヤれるかもしれねえぞ?」

「いや、さすがにアレはカンベンっすよ。顔なんてほとんど犬そのものだったじゃないっすか。いくらなんでもありゃムリっす。そっちのケはないんで……」

「食わず嫌いはよくねぇぞ? あのふかふかぶりは絶対に抱き心地が……」


 男たちは、部屋の反対側の方に向かって行ったようだ。翻訳首輪の効果範囲外に出たらしく、これ以上は何を言っているか、聞き取ることができなかった。


 ……今の話、つまり、先に出た馬車は囮で、奴らにとっては価値の低い獣人ばかりを乗せていたということだ。そして実はこの砦に、もっと高く売れるものが残してあり、奴らはそちらを本命として売り捌くつもりだったのだ、最初から。


 とすると、リトリィはまだ、この砦にいる可能性が高いってことだ!

 よし、俺の手で助けられる可能性がある!


 ――だけど、さっきの連中の「ボスがをする」という話。特徴がリトリィっぽかった。リトリィじゃないことを祈りたいが、顔がほとんど犬でふかふかって、まさにリトリィじゃないか!


 だめだ、早くリトリィを探しに行きたいが、インテレークが戻ってくるまでは動きたくない。俺一人じゃ、戦う以前の問題だ。でも、もし、また、さっきみたいなやつらが来たら?

 逃げ回ったとしても、いつかは捕まる。そしたら……死あるのみだ。


 俺に戦う力はない。

 ナイフは持っていても、使いこなせない。

 やっぱり、隠れているしかないだろう。


 ナイフの鞘に触れながら、俺はため息をつき――同じように腰に差した、ノコギリがあったことに気が付いた。


 ――なら、いっそ、この部屋そのものを罠にするか?

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