第222話:ナリクァンさんの思い

「あなたが、『カレー』なるものを知っていたからです」

「……だから、なんでカレーなんですか?」


 げんなりした俺に、ナリクァンさんはやや微笑を浮かべた。


「あの方は、『カレー』なるものを大変懐かしがって話してくださったことがありますの。懐かしがりながら、それでも作られたことはございません。どうやら、味は知っていても作ったことがなかったようですね」


 すげえな、カレー。瀧井さんをも虜にしつつ、けれども再現不可能か。ってか、俺もカレーは散々作ってきたし食ってもきたけど、市販のカレールーを使って作ってただけだからな。日本人がいくらカレー好きだからって、カレールーを一から作れる人なんてそう多くないだろう。少なくとも俺は作れない。


 それにしても、まさかカレーで命が救われるとは思わなかったよ。旧日本軍の軍人がカレーを懐かしがるっていうのも意外だったけどな。ご飯とかみそ汁とかじゃないのか。


「ゆえに、カレーを知っている人が、この街に、他にいるとは思えません。他にもいろいろ挙げられましたが、あなたを信じる気になったのは、そのためです」

「俺が事前に、瀧井さんから話を聞いたとか、思わなかったんですか?」


 左小指を抱えてうろうろしていた俺は、少し意地悪をしたくなって問い返した。


「あら、本当ね。言われてみれば確かに、カレーを知っていることをニホン人の証拠にするのは、すこし、早まったかもしれませんわね。私としたことが」

「ナリクァンさんのような大商人でも、うっかり失敗することがあるんですね」


 二人して笑う。が、次の瞬間。


「では、気を取り直して再開しましょうか。――拷問を」


 いくら微笑みを浮かべながら言われたところで、さっきの拷問だって氷の微笑を浮かべながらだったからさ! 冗談に思えなかったんだよ! みっともなく泣き喚いて許しを請うたって、それは許されるべきだと思わないか!?




「あなたが語った未来の言葉ですけれど、本当に、あなたが、ひとりで、考えたことなのですか?」


 馬車に揺られながら――二頭立ての馬車だった、相当な高級品だと思う――、俺は冒険者ギルドまでの短い道を、ナリクァンさんと共に移動していた。

 すでにすっかり暗くなっていて、人通りはほとんどない。


「……そんなにすごい考えでしたか?」

「いいえ? 実現するとは思えない、一顧だに値しない夢物語です」


 なんだよひでえよそこまで言うかよ褒めてもらえるかと思って期待しちゃったじゃないかよと、がっくりする。


「この門外街に獣人族ベスティリングの方々を集めることで、発言権を強化する……。それが夢物語以外のなんだというのです?」

「い、いや……。その、団体交渉権の獲得というか」

「つまり暴動を扇動せよというのですか?」

「そ、そんなことではなくてですね……!」


 しどろもどろになる俺に、くすりと笑うナリクァンさん。どうもからかわれていたようだ。憮然として、彼女から目をそらす。


「冗談はともかく、一部の人間にとっては、魅力的な提案に映ってしまうでしょうね。あなたは街の支配が目的ではない、とおっしゃいましたが、どう考えても街を支配するための論理ですからね」

「……俺は単に、より多くの人が幸せになれる方法として考えただけで――」

「リトリィさんとの未来を幸せにするため、ではなくて?」


 突っ込まれて、ぐうの音も出ない。獣人もひとも、なんて言ってみせたけど、結局は、俺がリトリィと共に暮らしていくために都合のいい街になってほしい、という思いが間違いなく含まれていたからだ。


「……私はね? 前にもお伝えしましたが、あの子を気に入っているのですよ。あの子には、幸せになってもらいたいのです」


 そうだ。そのために、リトリィにはあの、目もくらむようなウエディングドレスが用意されていた。もしかしたら、ナリクァンさん自身、彼女にあてがうための男を、何人かピックアップしていたのかもしれない。

 そういう意味では、まさか、ポッとやって来た俺にかっさらわれるとは思っていなかっただろうし、俺という存在は邪魔だったかもしれない。


 でも、それでも、喜ぶ彼女のために、ナリクァンさんは俺の存在を歓迎してくれたし、喜んで受け入れる、そぶりを見せてくれた。莫大な支援もしてくれた。ナリクァンさん個人の力で。


 それに、猫属人カーツェリングのペリシャさんや狐属人フークスリングのフィネスさんとのお付き合いがあるし、実際、慈善事業を一緒にやっている仲だ。だから俺の考えには同意してくれると思っていたし、今回の話をぶちあげてみたのだ。


 しかし、ナリクァンさんはそっと、首を振ってみせた。


「ただね? あなたのお気持ちは大変よく分かりますが、、あまり獣人族の方々に肩入れしない方が身のためですよ?」

「それはどういう――」


 ナリクァンさんが「そのままの意味ですよ?」と目を伏せる。


「私は、自分で言うのもなんですけれども、力があるからいいのです。金持ちの道楽程度の扱いで済みます。

 けれども、あなたは違います。あなたには基盤がない。今回の件が、まさにそれではありませんか。仮に、彼女が私の庇護のもとで暮らしていたとすれば、復讐を恐れて、手を出されるようなことはなかったかもしれません。ですが――」

「俺という、どこの馬の骨ともわからない男からなら、たやすく奪える――そう判断された、ということですね?」


 俺の言葉に、ナリクァンさんは「残念ながら、そういうことです」とうなずいた。


「あなたが彼女を愛している、その気持ちに偽りは、無いのかもしれません。けれど彼女を守る力を、あなたは持ち得ていません。そして、獣人の方々も、すべてが善良とは限らないのです」


 リトリィと暮らす俺の、つまりは獣人への理解に付け込んで、なにかしら良くないアプローチをかけてくる、悪意を持った獣人もいるかもしれない、ということか。同情や哀れみに付け込むとか、そんな感じだろうか。


「……俺がリトリィを守れるようにならなければならない、ということですか?」

「できればそのための力が必要なのです。それは、ただの腕力でも、財力でもありません。あなたという人間の、実績が必要なのです。あなたに手を出すと、自分たちに不利益になるだろうと考えさせるほどの、この街に貢献しているという、実績が」 


 ……実績。

 リトリィを守り、居場所をつくっていくための、実績……。


「そうして、存在価値を示せるようになったとき、あなたは真に、リトリィさんを守ることができるようになった、と言えるのでしょうね。もちろん、マイセルさんも」


 なんなら商会うちで経営を学びますか――にっこりと笑顔で言われて思わずハイと答えそうになり、ぐっとこらえる。


 そんなことになったら、ナリクァンさんのことだ。スパルタ式に俺を丁稚の立場に放り込み、徹底的にしごきあげるに違いない。何年か後にはムラタという商売人が出来上がっているだろうが、それで建築の道に戻れるかというと、それはない気がする。


「あら、残念。リトリィさんを手元に置く、よい機会だったのですが」


 ほほほと笑ってみせるが、なんだか目が笑っていない気がする。アカン、いずれ本当に取り込まれてしまうかもしれない。いや、彼女のもつ財力や人材ネットワークを利用できるなら、相当にこちらにもメリットのある話ではあるんだけどな。


「ただ、指のお怪我は、私の狭量さと不見識によるもの。お詫びを兼ねて、なにかできることがあればと思うのですけれど。――のできる範囲内で」

「い、いえ、そんなことは――」


 慌てて両手を振る。ナリクァンさんからはすでに、リトリィの花嫁衣装や家、家具など、相当な恩を受けている。左小指の件は確かに痛かったけど、誤解も解けたのだし、何か寄こせなど、おこがましくてとても言えない。


 だいたい、すでに十分に恩義のある相手から、怪我を負わされたからといって相手からさらに利益を引き出そうとするなんて、チンピラみたいじゃないか!


「いえ、そのようなわけにはまいりません。あとで正式なお詫びをさせていただきますわ」

「いらないですよ、むしろ俺の方がたくさん世話になってますから。そんなことより、先程お約束頂いたことの実現の方が、俺はよっぽどありがたいです」


 ナリクァンさんが、目をぱちくりとさせる。にわかには信じられない、と言った様子で。


「あんなことでいいのですか? あなたに直接利益があるわけでもないのに」

「リトリィが助かれば、それでいいんです。よろしくお願いします」

「あなたは、本当に――」


 ナリクァンさんが微笑む。慈母のごとき、やわらかな表情で。

 さっきの恐ろしいナリクァンさんが、商人として生き馬の目を抜くような生き方をしてきた姿なのだとしたら、今の姿は、慈しむべき身内に向けられたものなのだと思いたい。


「ふふ……。本当は、私が、あなたの理想通りにできるとよいのですけれどね……」


 ナリクァンさんが、一瞬、目を伏せたように見えた。

 だが、すぐに彼女は俺の手を握り、そして、真っ直ぐ俺を見て、言った。

 

「――リトリィさんを、よろしくお願いしますね?」

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