第221話:拷問とカレー
「……そんな、安い芝居のような筋書きを描いたお方――あなたの背後に立つお方は、どこの、どなたなのかしらね?」
なんだかものすごい誤解をされている気がする! あれか? 俺は国崩しに来たスパイが何かだとか!?
……いや、そんなバカな。ナリクァンさん、冗談が過ぎて……
思わず立ち上がりかけた俺の肩を、そばまで来ていた黒服が掴んで引き倒す!
そのまま腕をねじり上げられ、俺は悲鳴を上げた。痛ぇよクソッ、俺、こんな目に遭うの、これで何回目なんだよ!
「な、ナリクァンさん! こ、これはどういう……痛ぇッ!!」
「我が商会を利用して、何を企んでおられるのか、すこぅし、聞きたいのですよ?」
「た、企んでるって、どう……いあ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!!」
「リトリィさんなら、私が意地にかけて助けてみせますとも。あの可愛い娘さんが今後、辛い思いをしないように、あなたのこともきちんと
薄ら笑いを浮かべながら、床にはいつくばる俺を見つめるナリクァンさんは、――本当に、あの厳しくも優しいナリクァンなのか!?
「――さ、遠慮なく、お話なさってくださいな? 体の部品が、一つ一つ、端から刻まれて、なくなってしまう前に」
俺を押さえつけた黒服とは別の男が、俺の腰のナイフをベルトから外すと、ナリクァンさんに渡した。
「か、返してください!」
「このナイフ……刃もそうですが、見事な
つう、と、柄の絶妙なカーブ、そのラインに指を滑らせながら、ナリクァンさんはこちらに視線を落としてきた。
ノコギリのことを覚えているなら、リトリィが俺のために鍛えてくれたその意味も、分かってくれるはずだ!
「そ、そうです! 彼女が俺のためにって、それで――」
「そう……。あの子を騙して、こんなものまで作らせたのですね……」
「だ、騙してなんか! 彼女が俺のためにって自分で考えてくれたもので――」
「彼女が勝手に作っただけなのだから、自分のせいではないと? ……あの子の想いを、そうやって踏みにじったのですね……?」
心底、ゾッとする。
言葉は通じているのに、何を言っても通じる気配がない!
ナリクァンさんは、俺を、これっぽっちも信用してくれないのか!?
「決めました。あなたの体を削るのは、このナイフで行うことにしましょう。裏切られたリトリィさんの無念は、晴らされるべきですからね」
「う、裏切られたって、俺はそんなこと――」
「あら、あの子にあなたが何をしたか――知らぬとでも?」
小さく片方の眉を上げ、ナリクァンさんが酷薄な笑みを浮かべる。
俺が、彼女に、何をしたか――知っているって、何をだ!?
けんかしたことか? 互いに這いずり回ったあの夜のことか!?
そ、そりゃ、互いに分かり合えなかった瞬間もあったけど、でも俺は――
「あの子の心の傷み、少しは味わった方がよろしくてよ?
――そうですわね、まずは耳がよいですか? それとも、さっそく小指からにしましょうか?」
「や、やめてくれ! なんでこんな――!?」
「なるべく早く、あなたの背後のお方について思い出していただけると、体の部品が
「しっ……!?」
「さすがに小さくなりすぎますと、リトリィさんに見せて葬儀を出すこともできなくなりますからね? 判断は、お早めに」
『
――待ってくれ、俺、死ぬのが前提なのか? こ、殺されるのか!? ナリクァンさんに!? そんな馬鹿な、どうして!?
必死に体を動かそうとするが、まるで岩に押しつぶされているかのように、びくともしない……!
「な、なんの話だ、何を言えばいいんだよ! 本当に俺は独り身で、雇い主なんていなくて……!!」
「そうですか。では、『建築士』さんなら、耳よりも指から無くなるほうがお辛いでしょうから、左の小指からに致しましょう」
薄く開かれた目が若干動く。
黒服が、ナリクァンさんからうやうやしくナイフを受け取った。
ひやりとしたナイフの尖端が、左の小指に押し当てられたのを感じる――!
「ま、待ってくれ! 本当に、なにを話せば信じてもらえるんだ! 俺は、四カ月前にこの世界に落っこちてきて――!!」
「正直にお話しされるまでは、舌を抜くような真似はいたしませんから、安心してくださいね? 体の部品はたっぷりありますから、急いで思い出す必要もありませんし」
「本当なんだ! 日本って国に住んでいて、それで!!」
必死に訴える俺に、ナリクァンさんが、ほほ、と笑った。
薄く開いた冷たい眼は、全く動かずに。
「あらあら、お可哀想に。では爪からどうぞ」
「ホントなんだ、信じてくれよ! そ、そうだ、瀧井さんだ! 瀧井さんを呼んでくれ! そうしたら――」
その直後、左の小指と爪の間にこじ入れられたナイフの切っ先の感触は、絶対に忘れられない。
ナリクァン夫人は、本当に恐ろしい人だった。淡々と命じたあの姿、表情。
助けてくれと絶叫し、思いつく限りの日本に関連するのものを喚き散らし、そしてナリクァンさんが目を丸くしたのが、「カレー」だった。
「……いま、なんとおっしゃいましたか?」
「ラーメン!」
「違います、その前の、前の、前」
「覚えてないよッ! 唐揚げ、しゃぶしゃぶ、牛丼、カレー、天ぷら……」
「もう一度言いなさい」
「唐揚げ、牛丼、天ぷら、カレー、しゃぶ……」
「カレー……カレーと言いましたね? それは、何ですか?」
「ご飯だよっ! 日本人の国民食だ! 熱々のご飯の上に茶色のウマ辛いタレかけて食うんだよ!」
その瞬間の、立ち上がり目を大きく見開いたナリクァンさんの顔は、多分もう、二度と見られないだろう。あれほど分かりやすく「驚愕」の二文字を顔に浮かべたナリクァンさんなんて。
「
「だから! そう言ってるじゃないかさっきから!!」
泣きわめく俺に、ナリクァンさんがゆっくりと椅子に腰かけながら、拘束を解かない程度に手を緩めるように言う。
左小指の先がジンジンと傷む。もう少し――もう少し遅かったら、爪をすっかりはがされていたのだろうか。
「……まさか、本当にタキイさんと、同郷の人だったとはね……」
いまだ信じられないといった様子で首を振ったナリクァンさんは、黒服に、俺を椅子に座らせて指の手当てをするように命じた。
「……やっと、信じてくれる気になりましたか」
「……半信半疑ではありますけれど、ね?」
とか言いながら、真っ直ぐ俺を見つめてくる。
すごい胆力だ。普通、疑いをかけて拷問にかけようとして、それが間違いだったと判明したら、相手の目なんて見られるか? もし俺が同じ立場なら、後ろめたくて絶対に目なんて合わせられないぞ?
うぐぐ……ほんとに、めちゃくちゃ、痛い……!!
「あなた、タキイさんがどういうひとか、ご存じ?」
「旧日本軍――あ、いや、大日本帝国陸軍の軍人だったひとです、よ……! 中国戦線で戦っていたら、こちらの世界に落ちてきた、とは伺い、ましたが……っ!」
左小指を右の手のひらで包み込むようにして、傷みを紛らわすためにせわしなく両足を踏み鳴らす。ああ、痛い痛い痛い!!
そんな俺の様子を、目をそらさずに観察するようにしながら、ナリクァンさんは質問を続ける。あんたほんとに鋼の精神力だなオイ!
「ダイニホン帝国陸軍軍人……チューゴク戦線……それは、どこのいくさ場ですか? 今も戦いは続いているのですか?」
瀧井さんのことを知っているのだから、彼がどういう人だったかも知っているはずだ。そして、瀧井さんが知る以上の日本の知識はないはず。
その確認をしたいのか、それとも、知らないから確認したいのか。
……悩んだが、俺は正直に答えることにした。
「戦争は、八十年近く前に終わりましたよ。にほ……大日本帝国軍は参戦してきたアメリカに負けました。今はもう、平和になっています」
「タキイさんがいた軍は、負けたのですか?」
「中国戦線では負けてなかったらしいですよ。でも、アメリカと戦った海軍は、もうまともな船が残ってないくらいに負けたらしいです。俺が生まれたのは戦争が終わってから五十年くらいたってからですから、学校で勉強したことくらいしか知りませんが」
……ただ、学校の先生の話は、随分偏っていたみたいだったけどな。瀧井さんと話をして感じたことだけど。まあ、今となってはもう、聞いたことを突き合わせて確認したくてもできないが。
「ああ、それからこの世界と俺のいた世界では、時間の流れに食い違いがあるみたいです。瀧井さんはこの世界に来て五十年たった、と言ってましたけど、俺の世界の時間では、瀧井さんがこの世界に放り出されてから、八十年経ってますから。移動したときの通り道に、時間のねじれが生じているのかもしれませんけど」
ここらへんの話はさすがに難しかったみたいで、小首をかしげるような仕草をして見せるナリクァンさん。なんだか可愛らしい。くそぅ、婆さんのくせに。さっきまで俺を拷問にかけようとしていた恐ろしい人物と同じ人間とは、とても思えない。
「……それより、どうして、俺を信じてくれる気になったんですか?」
ジンジンとした傷みが、今は脈拍に合わせてずくん、ずくんという痛みになってきた。ああ、もう、だめだ座っていられない!
痛みを紛らわそうとして、立ち上がってうろうろする俺を止めようとした黒服を、ナリクァンさんは制して言った。
「あなたが、『カレー』なるものを知っていたからです」
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