第220話:メリットを語るリスク

 冒険者ギルドを出た俺は、改めてナリクァンさんの屋敷を訪れた。


「……その案が、おっしゃる通りになるとは思えませんが?」

「ええ、すぐには実現しないでしょう。少なくとも、数年かそこらでは」


 彼女は顧客。

 俺に提示できるモノはない。

 ならばプレゼンできるのは、想定できる未来。

 今回の事件で、人身売買グループの暗躍を許さず、獣人を保護する姿勢を明示したときのナリクァン商会に生じる長期的なメリットを、俺は訴えたのだ。


「ですが、必ずいずれはそういう時代――獣人も、ひとも、姿が違うだけの良き隣人となる時代が来る――そう確信しています」

「門外街ならば、そういう時代を夢見ることもできるかもしれません。ですが、城内街がそうなるとはとても思えません」


 俺の言葉に、ナリクァンさんは全く動ずることもなく、静かに首を振り続ける。まあ、そりゃそうだろう。彼女は商人として、それこそ俺が生まれる前からこの街を中心に、獣人が蔑まれ続けてきたのなかで生きてきたのだから。


「ですから、すぐにとは申しません。ですが、次の世代ではどうでしょうか。その次の世代は。純血の獣人は珍しいそうですが、混血の獣人は確実に増えている、という話でした。ならば、今後はもっと増えてゆくでしょう」

「ですが、それとこれとは……」

「私の祖国では、つい五十年ほど前まで、混血の人間はほとんどいませんでした。ですが、今ではどの地方に行っても混血児が増えています。この街でも同じだとするならば、今後も、その流れを押しとどめることなどできないでしょう」


 そうだ。日本も戦後、豊かな国であるというイメージが定着して以来、定住する外国出身の人も増えたし、カップルも増えた。もちろん、その子供たちも増えている。

 すぐには進まなくとも、俺や瀧井さん、そして門衛騎士だったホプラウスさん、フィネスさんのところのように、ひとと獣人で愛を育むケースは増えていくはずだ。

 それが、「普通」になれば。


「『国も街も守ってくれなかったのを、ナリクァン商会が盾となり、矛となって守った』――その実績は、すぐには形に現れないでしょうが、長い目で見たときに、必ず商会に大きな恩恵をもたらすはずです」


 だが、ナリクァンさんは静かに首を振った。


「残念ながら、この門外街であっても、獣人に嫌悪を示す人々は少なくないのです。我がナリクァン商会が獣人を直接保護したとあっては、我々をと見なし、取引を引き上げる方も出てくることでしょう。それは、大きな痛手となると思いませんか?」

「違います。『獣人を守る』、ではなく、『ひとを守り、ひとを豊かにする』です」


 俺は、ゆっくり、力強く言い切った。


「人の暮らしを支えるナリクァン商会、人の不幸を食い物にしないナリクァン商会。清らかな印象は、どの時代も、どんな人も、望んでいるものではないですか?」


 まっすぐナリクァンさんの瞳を見つめる。

 俺自身が確信している、その意志をこめて。


 ナリクァンさんはしばらくそれを受け止めていたが、目を伏せ、紅茶のカップを手に取った。


「ですが、政治はそればかりでは成り立ちません。――お分かりですね?」


 ナリクァンさんは、目を伏せたまま、カップを傾ける。

 ゆっくり、静かに、何かを俺に語り掛けるように。


 政治……。

 商売に有利な政策を打ち出す為政者にくっついていた方が、商会としては儲けを出しやすいだろう。たとえその結果を得るために、少々表沙汰にできないカネをばらまくことになったとしても。


 さらに、政治に関与できるのは基本的に上流階級。いわゆるセレブという奴らだ。奴らは当然、自分の利益になるように政治を動かすだろうし、まあ、それが当然だとも思っているだろう。

 ナリクァン商会も、そういった連中に「投資」することで、自分たちがより商売しやすい街を作ってきたに違いない。水心あれば魚心。持ちつ持たれつ。まあ、よくある話だ。


 それに対して獣人は、基本的には社会的な弱者だ。おそらく収入も少ないのだろう。この門外街はまだマシなほうらしいが、城内街の、獣人に対する扱いは、すでにもう目にしてきた。だがおそらく、それでも差別の片鱗に過ぎないのだろう。

 王都とかいうところは、リトリィが苦しい幼少自体を過ごした街だったらしいし、程度の差はあるだろうが、獣人族ベスティリングへの差別はあって当たり前、というのがこの世界の常識のようだ。


 つまり、いくら彼らから支持を得たとしても、ナリクァン商会の儲けにはつながりにくいだけでなく、商会の発言力も高まることはない、と言いたいに違いない。

 現在の顧客のうち、獣人を快く思わない大口の顧客を確実にいくらか失い、代わりに資金力も社会的影響力も弱い地盤を得たところで、商会の利益にはならない、ということだ。


「ええ。分かりますよ。ですが――」

 俺はまっすぐナリクァンさんを見つめた。


 『損して得取れ』――俺のクソ親父が言っていたことを思い出す。

 「得」は「徳」に通じるのだそうだ。一時的な損失を出したとしても、その心意気が広く認められることの方が、長期的に見て、長く付き合える支援者を得ることができる――そんなような内容だったか。


「政治家も、どちらかといえば為政者として清廉潔白な印象を誇示したいのでは? そして、ナリクァン商会が支えるのも、そういった『清廉』な印象のある政治家である、それが民衆のためになると太鼓判を押す――

 消費者は、なんと思うでしょうかね?」


 ナリクァンさんはしばらく俺を黙って見つめていた。俺の意図を図りかねているのか、それともそれによって得られる利益を計算しているのか。


 確かに、獣人を快く思わず、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというような過激派がナリクァン商会を利用しなくなれば、一時的には損失を被るかもしれない。


 だが、ナリクァン商会が、多少損をしてでも民衆のために動くというクリーンな印象を民衆が持ち、それが多数派となるなら、やがてはユーザーの裾野が広がっていき、利益につながるだろう。


 そうなれば、ナリクァンさんを取り込みたいと思う政治家も現れるはずだ。そうしたら、より民衆のために動こうという政治家のスポンサーになればいい。


 俺は、あなたにも利益があるのだと伝えるため、あえてニッコリと微笑んでみせた。


 ところが、ナリクァンさんは、大きく目を見開いた。そして、険しい目で俺を睨む。


「なるほど? あなたは私に、慈善家の顔をしてこの街を裏から支配しろと、そう言いたいわけですね?」


 ――――!?


 何も言えずに、固まる。

 なんだ? どういう意味だ?


「そのぎこちない微笑み――私に何を期待したかなど、お見通しですよ?」

「い、いや、お見通しとは……」


 そうじゃない、こっちはナリクァンさんの突飛な発言に固まってしまっただけだ。返答しづらくて、つい、乾いた笑いを返すことしかできない。

 だが、それをナリクァンさんはどう受け取ったのか。悟ったようなため息を一つ、そしてカップを手に取り、傾ける。


「……清廉な政治家など、いるはずがありませんものね。その言葉の意図はつまり、我がナリクァン商会にとって都合のいい政治家を、我が手で選別せよということ。

 そのための土台づくり――民衆人気を得るために、今度の荒事を利用せよと、そう言いたいわけですね?」


 ――ちょっと待って、むしろそれって、どういうこと?

 思わず聞き返したくなったが、返答の中身が斜め上すぎて声が出ない。


「ただのお人好しかと思ったら、なんとまあ、黒いお顔をお持ちですこと。それに、顧客のことを『』? そんな、割り切った言い方ができるかただとは思いませんでしたわ」


 え、そっち!? そんなに黒い発想じゃなかったよな、普通だよな? それに「消費者」が冷たい言い方!? 俺、何か間違ったこと言ったか!?


「そんな発想ができるあなた……。『建築士』などと聞き慣れぬお仕事を自称して、本当は、何が生業なりわい? この街に来たのは、何が目的なのかしらね……?」

「目的……ですか?」

「ええ、目的」


 チリリン、と、手元の小さなベルをナリクァンさんが鳴らすと、戸の奥から黒服の男たちがずらずらと現れた。


「――え? ……ちょ、ちょっと……!?」

「有力な商人が冒険者ギルドと手を結び、悪徳商人を退治。虐げられていた獣人を保護し、獣人もひとも隔てぬ商売で人気を取る。

 その噂にすがってほうぼうから街に集まってきた獣人、賛同する民衆を背景に、勢力を握る。

 果ては政治資金の拠出をちらつかせ、意のままに動く政治家を台頭させて、街を裏から支配……」


 ナリクァンさんは、俺の言葉など聞こえていないかのように、テーブルを見つめたまま、謎の微笑を浮かべて、独り言のように続けた。


「……そんな、安い芝居のような筋書きを描いたお方――あなたの背後に立つお方は、どこの、どなたなのかしらね?」

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