第210話:リファルの咆哮

「まったく、新人のくせに約束を守れない組員など、初めて見たよ」


 午後からギルドに行った俺は、ねちっこく嫌味を言われまくることになった。

階級章はデスクの上に置いてあり、手を伸ばせばすぐ取れそうな位置にある。


 それを目の前にしての、このねちねちとしたお説教タイム。ああ、うざったい。

 ただ、このギルド長のおっさん、妙に落ち着きがない。

 俺の方をじろじろ見ていればいいものを、なぜか両隣の女性――リトリィとマイセルの方に視線が泳いでは、俺の方に戻す、を繰り返しているのだ。


 アレか。女連れで来たことに対して嫌味の一つもぶつけなきゃ気が済まないから、このお説教タイム――そう言いたいのか。


 リトリィの方は、ややうつむき加減――神妙な様子で、ギルド長の話を聞いている。


 それに対して、マイセルは両手をおなかのあたりで重ねて背筋をピンと伸ばし、堂々とギルド長を見つめている――というか、むしろ見下ろすかように、真っ直ぐ見据えている。

 強いな、マイセルは。


「……で、あるからして。今後、この階級章は肌身離さず持っておること。自身の身分を証明する、命の次に大切なものと心得るべし!」


 ああ、ハイハイ。社員証みたいなものね。こいつの信用は絶大らしく、この階級章があれば、結構いろんなところで融通が利くらしい。

 マイセルの話だと、融資を受けるにも、この階級章のあるなしでは天と地ほども受けやすさが違うそうだ。


 要はそれだけ、ギルドというものの存在が広く認知され、皆がそれに信頼を寄せている証なのだろう。


 俺が階級章に手を伸ばすと、数舜早く、ギルド長がそいつを手に取って言った。


「まだ話は――」

「ギルド長」


 それまで黙って控えていたマイセルが、にこやかに一歩、前に出る。

 なぜかギルド長、のけぞる。


「わたしの師であるからのことづけです。よろしいでしょうか?」

「な、なにかね?」

「『余計な口出しはするなよ』――以上です」




 やっとギルド長から解放されたあと、一階の受付で改めて事務手続きを進める。


 情けない話だが、文字にまだ不慣れな俺は、勝手知ったるマイセルに読んでもらいながら、書類を作っていた。リトリィも、隣で見守ってくれている中で。


 字が読めない人自体は多い、というかよくある話のようだ。事務のおばちゃんが、当たり前のように読めるかどうかを確認し、読みあげようとしてくれた。

 しかし、それをマイセルが断り、読み上げ始めたのだ。


 三十手前の人間が、十くらい年下の女の子二人から、字を読んでもらいながら事務書類を作成する。


 ……なんとも、その……気恥ずかしい!!


 おばちゃんも、いい年して女のコに書類を読んでもらいながら四苦八苦している俺を、生暖かい半目で見つめている。


 ……早く字を読み書きできるようになろう、できるだけ早く!!


 改めて心に誓いつつ、マイセルに聞きながら書類を埋めていると、見知った顔が現れた。


 ――二度と会いたくない顔が、噛みつかんばかりの顔で。


「……てめえ……。犬女だけじゃなくて、今度はジンメルマンさんとこの娘さんに手を出そうってのか?」


 リトリィをたった今「犬女」呼ばわりした、そのつらなど二度と拝みたくないクソ野郎――リファル。


「――関係ないだろ、お前には。それから犬女じゃない、リトリィだ。もう忘れたのか、脳が老化してるぞ」


 途端に目を剥いたリファルが、ドカドカと足音荒く詰め寄ってくる。私闘はご法度、この事務受付ではさすがにやらかさないだろう――そんな俺の目論見は、奴に通用しないようだった。鼻息も荒く俺に手を伸ばしかけた、そのとき。


「リファルさん、お久しぶりです。お仕事は、はかどっていますか?」


 マイセルがするりと、俺と奴の間に割って入る。


「ま、マイセル――」

「先日の備蓄倉庫の屋根修理、お疲れさまでした。棟梁の補佐としてご活躍なされたと伺っております」

「あ、ああ、それは――」

「父も随分立派になったと、感心しておりました」

「そ、そうか、ジンメルマンさんが――」


 よどみなく立て続けにまくしたてるマイセルに、リファルがやや、のけぞる。ただ、マイセルの父――かばねもちという、権威ある大工に認められたと聞いて、すこし、顔が緩んだように見えた。

 しかし――


「はい。『天井裏から落ちそうになったとき、打ったんだったか、へたくそに飛び出た釘に下履きが引っかかって、膝まで脱げかかった状態で逆さまにぶら下がった有様で泣いていた坊主が、無事に成長したもんだ』と――」


 これには俺がマイセルを二度見する。今、それを言うか!?

 リファルも、おもいっきりひきつっている。


「い……あ、そ、それは……」

「『ウチの娘婿むすめむこに手を出そうとしなけりゃ、うちで鍛え直してやるんだが』とも申しておりました。こちらのほうは意味がよく分からなかったのですが、どういう意味でしょうか?」

「……なん、だと……!?」


 今度はリファルが、俺を二度見する。


「ちょ、ちょっと待て!! い、今……今、てめえ! おい! 婿ってどういう意味だ!!」

「私の夫になる方のことですけど?」

「ま、マイセル、おめえに言ってるんじゃなくてだな……! おい、このクソ野郎!!」


 顔を赤くしたり青くしたり、忙しい奴だな。

 いや、俺の後ろでは事務のおばちゃん、ぽかんと口を開けっぱなしにしてるけど。


「おい! てめえこの前、犬女のことあれだけ見せつけといて、さらにマイセルにまで手を出すだと!? てめえコラふざけんじゃねえぞ!!」

「リファルさん、落ち着いてください。そんなことより、私の夫になる方に手を出そうとしたっていう話についてです。手を出してますけど、どういうことですか?」

「い……いや、その……おい、だからクソ野郎! てめえ、あきれたような顔してんじゃねえっ!!」


 ……いや、どうにも、うん、まあ、ごめんリファル。お前が何を言いたいのか、理解できた。


 マレットさん、マイセルの嫁ぎ先を心配してたけど、なんだかんだでやっぱり相手はすぐ見つかったかもしれないぞ?

 だからと言って、俺の方もいまさらマイセルをくれてやる気はないからな。


「上等だコラ! てめえ、大工としてどっちがマイセルにふさわしいか、勝負し――」

「……受付で騒いでいる輩がいるというから来てみれば……また、あなたがたですか」


 事務室の奥の扉から、狭苦しそうにぬっと顔を出してきたのは、ムスケリッヒさんだった。途端に、リファルの顔が青くなる。


「いえ、なんでもありません。お騒がせしました」


 彼は彼で仕事があるだろうに、こんなくだらないことで手を煩わせても申し訳ない。俺の方から、先に頭を下げておくことにする。


「あ!? てめえ卑怯だぞ! 自分は関係ねえみたいな顔しやがって!」

「実際、関係ないだろ」

「あるだろコラ! おい、てめえ!」


 まだ何か言おうとしていたリファルだったが、「……まったく。また私闘ですか?」という、ムスケリッヒさんの暑苦しいポージングの前に沈黙する。


「……覚えてろよ?」


 悔しそうに奥に引っ込んでゆくリファルだが、とりあえずそちらは放っておく。


「マイセル、すまない。また助けられちゃったな」

「いいえ! ムラタさんの役に立てたなら、嬉しいです!」


 ややうつむきながら、はにかむ様子が可愛らしい。うっかり頭をなでてしまい、マイセルからも、事務のおばちゃんからも驚愕される。


 ……しまった、やっちまった。

 見上げるマイセルはものすごく嬉しそうな笑顔を見せてくれたので、とりあえずホッとする。

 が、ふとリトリィのほうを見ると、これまた悲しそうな、恨めしそうな目でこちらを見ていた。


 目が合った瞬間に、笑顔を取り繕ってみせたけれど、あの、泣きそうな目をさせてしまった俺の無思慮が情けなくなる。

 あとでちゃんと十分にフォローしないと泣くな、間違いなく。

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