第186話:思い出の庭で

「そこで、何をなすっておいでですかな?」


 背後から突然声を掛けられ、俺はもう少しで声を上げるところだった。


 思わず伸びた背筋をそのままに、ゆっくり――あえてゆっくり振り返ると、そこにいたのは、歳のころ七~八十かそこらの、腰の曲がったおばあさんだった。右手には、上品かつ繊細な細工の杖が握られている。


「あ、ええと、ですね。素敵なおうち――お庭だなと」


 嘘ではない。

 マレットさんに教えられた区画にやって来たものの、表札という文化がないこの世界では、どの家がシヴィーさんの家なのかが分かりづらく、しばらく、様子を見てうろうろしていたのだ。


 おまけに、城内街というのも、居心地の悪さに拍車がかかる。リトリィの方に、チラチラとぶしつけな視線が向けられるのを、俺も感じていた。


「ええと、実はですね、シヴィーさんのお宅を探しておりまして」

「シヴィー? うちの嫁が、なにか?」


 首をかしげるおばあさん。

 だが、その言葉に俺は思わずたじろいた。

 ちょっと待て、うちの嫁・・・・……?


「ええと、シヴィライゼス・モリニューさんの……?」

「はい、うちの嫁でございますが、あなた様は?」


 そうか、この人が。

 シヴィーさんの義母。




「まあ、シヴィーが。あの嫁も、たまには役に立つのですね」


 シヴィーさんの紹介で――と答えたらこれである。この一言で、大体、シヴィーさんの立ち位置が伺えた。なるほど、これはシヴィーさん、苦労していそうだ。


「わあ、かわいいお庭ですね!」


 リトリィはレンガの門をくぐってすぐ、目を輝かせた。


 門を通り抜けて少し奥に行くと、こじんまりとした空間にたどり着く。そこには、冬だというのに、花壇には色とりどりの可憐な花が咲き、飛び石のようにまばらな石畳が独特の模様を描く、緑豊かな庭が広がっていた。


 家はそれほど大きくないが、よく手入れがなされている昔ながらの石造りの家で、緑の庭に重厚な白い石の壁がよく映えている。

 玄関を挟んで左右対称の構造だが、右側の窓のほうには、玄関から延びる通路からつながるように、木造のテラスが設けられていた。


 なるほど、これが、マレットさんが基礎を手伝ったというテラスか。なんというか、おしゃれで可愛らしい庭なのに、そこだけ妙に角ばっていて無骨ぶこつな印象を受ける。

 マレットさんの話によればこの家の主の手による手作りらしいから、その辺は本人の気性が反映しているのか、あるいは技術的な限界か。


 それでも、テラス自体の大きさは、ざっと見た感じは、通路を含めた全体の幅がおよそ十五メートルほどか。狭い通路部分は奥行き三メートル、広い場所になると奥行き十メートル、といったところだろう。

 中央には丸いテーブルが設けられ、可愛らしい意匠の椅子が四脚、据えられている。


 マレットさんの言葉にあった通り、たった一人でこの規模のテラスを作ったのだとしたら、称賛されてしかるべきだ。


「ムラタさん、とおっしゃいましたか。どうです、テラスは修理、できそうですか?」


 老女に尋ねられ、俺は、ひきつった笑みを浮かべ、「修理自体は可能だと思われますよ」と答えるしかなかった。


「お恥ずかしい話ですが、いつもわたくしが、庭を見てはこぼしておりましたもので。あの気の利かぬ嫁も、動かざるを得なかったのでしょうねえ」


 ……どうにも居心地が悪い。シヴィーさんは、話こそ長かったものの、悪印象などなかったのだ。義母――このおばあさんのことも、別に悪く言っていた記憶はない。

 むしろ、歳を経るごとに関節痛を抱えるようになった義母のことを、大変案じていた。今回のリフォームの依頼も、それに端を発しているはず。


 にもかかわらず、このばあさん、どうもシヴィーさんのことが好きではないみたいだ。話がしづらい。

 おまけに、俺のことを外構がいこう屋か庭師かと思ったのだろうか、テラスの修理?


 シヴィーさんの話と、このばあさんの要望が食い違っている。だから、返事がしづらくって仕方がない。シヴィーさんのいないところで下手な返答をして、食い違いが拡大するとろくでもないことになるに決まっているから、うかつに答えられないところがまた、難しい。


 そういえば、マレットさんの話の中にあったっけか。このばあさん、シヴィーさんと、その旦那さん――ホプラウスといったか。たしか、結婚に反対していたんだよな?


 あれだろうか。やっぱり、シヴィーさんが獣人族ベスティリングだから、こんな冷たい言い方になるんだろうか。だとしたら、これはかなり厄介そうな依頼かもしれない。


 ……というか、リトリィ、大丈夫なのか!? あんなに庭を嬉しそうにあちこち花の匂いをかいで回っているが、このばあさんの怒りを買う前に……!


「ええと、リトリィさん、でしたか。わたくしどもの庭は、お気に召されましたか?」

「はい! とっても! この季節にこんなに花を咲かせることができるなんて、とっても素敵です! どうなさっているんですか?」

「ほ、ほ、ほ……大したことはございませんのよ」


 ……ばあさん、めちゃくちゃ機嫌がよさそうだ。リトリィ、グッジョブ……!!


「わたくしの知り合いが庭師をしておりまして、ついでにやってもらっているのですよ。ついでと言いつつ、なかなかのものでしょう?」

「ついでだなんて、そんな! だってこのプライムルのお花なんて、あとひと月は先のお花ではありませんか?」

「ふ、ふ……あなたは、たいへんお花好きな方に育てていただけたのですね?」




 その後、どうやら気に入られたらしいリトリィは、庭中の花について、ばあさんから説明を受けていた。リトリィの方も大変嬉しそうに、その話を聞いていた。

 ばあさんだからか、全く同じことを繰り返すことも何度かあったが、リトリィは、話を聞けること自体が楽しいのか、ばあさんの話に、飽きもせず、ずっと付き合っていた。


 それを横目にしながら、修理を頼まれた、例のテラスを見て回る。


 やはりというか何というか、十年近く経つ木造のテラスは、雨ざらしになる部分がかなり傷んでいた。

 この緑豊かな庭だ。湿度も高くなりがちだろうから、木材が痛みやすくなる条件がそろっている。塗装をしているわけでもないようだし、もちろん、日本でよく売られているような防腐処理材でもない。

 だから、この傷みはどうしようもないことなのだろう。


 ただ、よく見ると、雨ざらしの部分は腐ってかなり傷んでいるが、それでも、なかなか細かい装飾が入れられているのが分かった。特に手すりの部分には、すべてではないが、素人作業とはいえ、唐草風の彫り込み装飾が入れられている。


 きっと、彫刻刀か何かで、ひとつひとつ、じっくりと刻み込んだのだろう。長年の風雨による腐朽であちこちぼろぼろになっているが、それでも、このテラスを作った人物の性格が見て取れる。


 しかし、ここ最近で、テラスが、備え付けのテーブルセットが、使われたような形跡は見当たらない。まあ、テラスの傷み具合と安全とを考慮すれば、仕方ないのかもしれない。


 ただ、ばあさんがテラスの修理が可能かどうかを聞いてきたということは、このテラスを使いたいのだろう。おそらく、ホプラウスさん――何年か前に病死したという、息子さんが造った、このテラスを。


「そうなんですか? じゃあ、このお庭、息子さんと、お嫁さんでこしらえたようなものなんですね!」

「嫁など、ほとんどなんにもしていませんよ。種を植えて水をやるくらいです。この花壇も、あのテラスも、みんな、息子が手掛けたのですよ」

「お優しい息子さんなんですね。お庭をお花でいっぱいにしたかった、お母様と、お嫁さんのために、こんな素敵な庭を――」

「そうなんですよ。優しい息子で……。あのテラスで、嫁と、息子と、孫たちと一緒にお茶をしていたことが、本当に、本当に――」


 リトリィと、ばあさんの会話が漏れ聞こえてくる。


 テラスの修理を真っ先に持ち出したばあさん。

 きっと、思い出の詰まっているであろう、このテラスで、また、お茶を飲みたいのかもしれない。


 シヴィーさんの依頼があろうとなかろうと、できれば、手掛けたいな。

 この家族の、思い出の、再生を。

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