第185話:未来の姉妹妻

 リトリィが、マイセルと並んで、マレット家のキッチンに立っている。

 さらに、マレットさんの奥さんであるネイジェルさん、そして今日は体調がいいのか、クラムさんまで、その傍らに立っている。


 マレットさん一家、特に女性全員が揃った中に、なぜかリトリィが、ほぼ真ん中に陣取って、夕食を作っているのだ。

 どうしてこんなことになったのか。


 マイセルは実に楽しそうにリトリィに話しかけ、リトリィはリトリィで、穏やかに微笑みつつ、マイセルにあれこれ「おねがい」をしながら鍋を管理している。


「え、お姉さま、ティコの実をゆでるんですか? 苦くならないの?」

「ふふ、そう思うでしょう? 食べてみてのお楽しみです。そちらのお鍋で一度茹でて、アクをとってから、あらためて、そこに取っておいてある煮汁で煮ましょうね。あ、お塩ひとつまみ、忘れないで」

「はあい」


 そしてそんなやりとりを、ネイジェルさんとクラムさんが、微笑みながら見守っている。


「……ええと……いいんですかね、アレは」

「ん? 何か問題でもあるのか?」

「いえ……その……」

「いずれ女房になる女が二人、自分のために飯を作る。幸せじゃねえか、この野郎」

「……いえあの、マレットさんがそれでいいとおっしゃるなら、いいんですけんど……」


 どうにも身の置き場に困る。

 マレット一家の女性たちの中に、リトリィが一人。俺が心配しすぎなのかもしれないが、その強烈なアウェー感。リトリィのよめぢからが試されているかのようなキッチン。


 ところが、当の本人はむしろ楽しげだ。さすが鍛冶屋、なかなかに肝が据わっている。


「マイセルちゃん、オライブの油って、ありますか?」

「はい、お姉さま! ……こちらに」

「ありがとう。お塩とお酢を、目分量でいいですから、油を五さじに、一さじほどずつの割合で、混ぜていただけますか?」

「はい、お姉さま」

「ふふ、助かります。マイセルちゃん、ありがとう」


「……仲、いい、ですかね?」

「リトリィさんが、うまいことウチの娘を使ってくれているようだな。どこで覚えたのか、人の使い方も悪くない」


 無精ひげだらけの顎を撫でながら、マレットさんが目を細める。


「いずれ、あんたの家の台所で、ああなるってこったな。ありがてえこった」


 ……そういうものなのだろうか。

 あらためてリトリィを見ていると、なるほど、母や叔母に見守られつつ、年下の妹をおだてながらうまく使っている姉、というように見えてきてしまうから不思議だ。


 さっきまでは、リトリィの価値が見定められる戦場にしか見えなかったのに。思い込みというのは、実にいい加減なものだ。


「大工仕事を仕込みながら思うんだけどよ。マイセルのやつぁ、我が娘ながら物覚えがかなりいい。うまく仕事を仕込んでやりゃあ、きっとあんたをよく助けてくれるはずだ。……可愛がってやってくれ」

「もちろんです。いずれは、ムラタ設計事務所の看板娘に育ってもらうつもりですから」




 テーブルに料理が並べられていく。

 俺もそのくらいは手伝うつもりだったのだが、リトリィに「旦那様は、妻のお仕事を取らないものですよ?」と、ナリクァン夫人のような物言いで着席を命じられ、すごすごと座る羽目になった。……だいぶ染まってるな。


「手伝うくらいは――」


 食い下がる俺を、マレットさんが笑いながら制止した。


「亭主は黙って控えてろ。『客』の前では、『主人』はあくせくしねぇもんだ」

「い、いや、客は私の方で――」

の見栄の張りどころだろう? いいから、黙って見ていてやれ」




「なあ、ムラタさんよ」


 リトリィとマイセルが皿を、料理を並べていくのを眺めながら、マレットさんが口を開く。


「リトリィさんには、親がいないんだったな?」

「そのはずですが」


 親がいない、それが何らかの懸念材料にされることはよくある話だ。俺も母親を中学で亡くし、以後父子家庭になったから、そのことについて、外野がいろいろと、ありもしない懸念を言ってきたことはよくあった。


 なんだろう。――まさか、リトリィが売春で生き延びたことなど知られてはいまい。だが、ストリートチルドレンだった過去は知られているのか? それに対する懸念? いったい、何が気になるんだ?


 忙しく脳みそをフル回転し始めた俺に、だがマレットさんは、ほっとため息をもらす。


「……いや、よくある、嫁姑よめしゅうとめ問題みたいなものは、つまり起こらないってことだな、と思ってな」


 いったい、リトリィのどんなすばらしさを語ればマレットさんが納得するだろう、そう考えて臨戦態勢を整えようとしていた俺は、意表を突かれて肩が落ちる。


「……まあ、あり得ない、ですね」

「なんだ、えらく拍子抜けしたような顔をしやがって」

「……いえ、てっきり、親のないことの問題点をいろいろ指摘されるのかと思って、身構えてしまっていたところだったので」

「なんだそりゃあ。リトリィさんがいい娘さんだってのは、少なくともあんたよりも早く、長く知ってるんだぜ?」


 大笑いするマレットさんだが、彼女の養母もすでに亡くなっているし、まさかジルンディール親方が山から下りてきて同居する、なんて考えてもなかっただろうに。

 嫁姑問題なんて、起こるはずのない問題――まさに杞憂だったはずだ。


「なんだその呆れ顔は。いいか、どんなに低くたって、可能性ってのは、起こりうるから可能性っていうんだ。今日、この目で確かめるまで、リトリィさんが口うるさい小姑になる恐れだって、こっちは抱えていたんだからな」

「何を言ってるんですか。彼女の人となりは、少なくとも、んでしょう?」


 俺の言葉に、マレットさんは鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をする。ややあってきまり悪そうにばりばりと頭をかきながら、しかしニヤリと笑ってみせた。


「じゃあ、ああやって二人の仲さえ良ければ、あんたの家は万々歳……ってところだな?」

「……かもしれませんね?」

「なら、安心なんだけどよ」


 そう言ってマレットさんは運ばれてきた、木の実をゆでたか煮たかしたようなものを一つ、つまんで口に放り込む。

 目を見開いた彼は、不思議そうにもう一つつまみ、しげしげと眺めながら、続けた。


「……いや、な? ウチの娘の処遇についてはひとまず安心できたんだが、あんたの今度の仕事――シヴィーさんの家の話だ。あそこはちょっと、……その、なんだ。面倒くさいかもしれん」

「面倒くさい?」


 再び木の実を口に放り込んだマレットさんの言い回しにひっかかり、聞き返す。


「面倒くさいとは、どういう――」

「昔はそんなこと、なかったんだが……ホプラウスのヤツがな……」

 言いかけて、マレットさんは口をつぐんだ。


「シヴィーさんの旦那さんが、どうしたんですか?」

「……いや、俺が言うべきことじゃない。知りたかったら、本人に聞いてくれ。とにかく、アレだ。調整をがんばりな」

「調整……ですか?」

「ああ、調整だ」

「お父さん、そこまでです」


 いくつつまんだところだったか。マイセルにつまみ食いを見つかったところで、マレットさんが制裁を受け、話はそれで、おしまいになってしまった。


 ――調整か。どういうことだろう?




「今日はありがとうございました!」


 楽しい夕食会も終わり、帰りがけ、玄関まで見送りに来たマイセルが、リトリィの手を握ってぶんぶん振り回す。

 ……なんというか、すっかり懐いた子犬のような感じ、といったらいいだろうか。


「ティコの実が、あんなにおいしくなるなんて、びっくりしました! 私、今まで、ティコの実って、苦いだけだって思ってました。お父さんも気に入ったみたいだったし、今度、私も作ってみます!」


 マイセルの言葉に、最初は目を白黒させていたリトリィも、にっこりと微笑む。


「ふふ、じゃあ、次はマイセルちゃんの得意な料理を教えてくださいな」

「はい! お姉さま、一緒に作りましょう!」




「……仲、いいんだな?」

「だって、やっぱりマイセルちゃん、かわいいですから。一生懸命ですし、勉強熱心ですし、よく動いてくれますし」


 料理中の姿でも思い出したのだろうか。ふふ、と、笑う。


「マイセルちゃんがうちに来たら、きっと、もっと毎日が楽しくなりますよ?」

「……そう、かもな」


 窓から見える月を瞳に映し、リトリィはじつに、楽しげだ。ずっと、今日の、キッチンでのマイセルの様子を語り続けている。まるで、妹を自慢する姉のように。


 俺としては、先日、俺をとられたくないと泣いた彼女が頭に浮かんでくるから、どうもそこまで楽観視できない。けれどリトリィのほうは、今日、一緒に夕食を作ることで、その不安をいくらか解消できたのかもしれない。

 聞いてみたかったが、別の地雷を踏みそうで、ぐっとこらえる。


「……マイセルはいいとして、シヴィーさんだな。マレットさんはなにか含むものがあったみたいだし、もう一度会って家を訪問して、話を進めよう」


 幸い、マレットさんから、シヴィーさんの家の場所は聞き出せた。

 明日、様子を見に行くだけでも、得られるものはあるかもしれない。


 俺の言葉に、リトリィがうなずく。そして、話題を敢えて変えた意図を、察してくれたらしい。

 微笑み、目を閉じると、そっと体を寄せてくる。


 唇を寄せると、いたずらっぽく目を開き、そして、チロリと、舌を伸ばしてきた。その挑発、受けて立たんとばかりに、舌をぱくりとくわえてやる。


 ――夜の、始まりだ。

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