第184話:変人なのは
「オレはたまたま、ジルンディール親方を知っているから、リトリィさんも知っていたし、別になんてことないとも思っている。だが現実問題として、獣人族に対する無理解は、門外街でも解消されているとは言い難い」
マレットさんは、リトリィをちらと見てから、言いにくそうに、だが、続けた。
「あんたはこの街に来て日が浅い。今まで立ち寄って来た街に比べれば、きっとこの門外街は、
――残念ながら、俺はこの街以外に知らない。
そして日本は、少なくとも、表向きは他人種、他民族への差別は悪とされていたし、共生をうたう社会だった。
だが、それを言っても仕方がない。この世界と日本とでは、文化の土台が、根本的に違うのだ。
「確かにそうだ。この街の、いわゆる
オレも仕事柄、王都にだって行ったこともあるが、この街の人間は、獣人族に対して比較的寛容だ。街の成立の頃から獣人と共に暮らしてきただけあって、城内街と違ってな」
「……
俺の言葉に、マレットさんは、うんざりした様子で答えた。
「察しが良くて助かる。何が事件――盗みやら火事やらがあると、真っ先に疑われるのが、獣人族だ」
リトリィの手に、緊張が走る。
その手を撫でさするように握り直すと、リトリィがまた、こちらを見上げてきた。そっと微笑んでみせると、うつむき、そしてまた、ほんの少し、肩を寄せる。
「ま、そんなわけで、オレたちも、ホプラウスが『シヴィーさんとなんとしても結婚するつもりだから協力してくれ』と言ってきたときは、正直、無理だと思ったのさ」
「親の反対を説得できない、ということですか?」
「そういうことだ」
そう言って、カップを空ける。俺もつられるようにカップを手に取る。
中身は、すっかり冷めていた。ぬるくなった茶を、一息であおる。
「……では、私がリトリィを娶るということは、やはり
リトリィが、弾かれるようにこちらを見上げたのを感じるが、俺はまっすぐマレットさんの目を見つめる。マレットさんは眉を上げ、そして、軽く目を伏せた。
「……そのおそれは、無い……とは、いえないな」
「では、そんな俺にマイセルを嫁がせることに、マレットさんはためらわないのですか?」
がちゃん、と、キッチンの方から音がした。
おそらく、キッチンの方で控えているマイセルの、動揺の表れだろう。
マレットさんは、ばりばりと頭をかいた。
「……本当に言いにくいことを、ズケズケと聞いてくるな、あんたは」
「マイセルを娶る覚悟をきめた以上、知り得ることは知っておきたいですから」
俺の言葉に、マレットさんは、頭をかき続ける。
「……正直言うとだな、ためらいがないとは言わねえ」
ややあって、しかしマレットさんは、口を開いた。
「あんたがどうこう、じゃねえ。それは誓っていい。だが、親としてはやっぱり、平穏な道を歩んでほしいとは思う。あんたがダメとかじゃない、
やはりそうか。
だが、面と向かってきちんと言ってくれるマレットさんには、かえって好感が持てる。つまり、平穏でないかもしれない生き方を選んだ娘を、しかし、覚悟を以って送り出そうとしている、ということなのだから。
「皮肉なもんだ。ホプラウスの結婚には、無理かもしれんと思いつつも、なんとかヤツと、シヴィーさんの幸せを願っていろいろ工作したオレたちだが、いざ自分の娘がその道を歩もうとしているのを見ると、本当にいいのかと悩んでしまう」
「では、やめておきますか?」
「……馬鹿野郎、娘が選んだ男、それも変人なりに筋を通そうとする面白い男だってのに、周りの目が怖いから話を潰す、なんて真似、この
――変人。なるほど。マレットさんは俺を、そういう目で見ていたんですか。
涼しい顔をしてみせながらチクリと刺したつもりだったが、マレットさんも涼しい顔で返す。
「変人は変人だ。自分をまともなどと、思うなよ?」
からからと笑ったあと、しかしマレットさんは再び真面目な顔を作り、口を開いた。
――あえてだろう、言葉を、慎重に、胸を抉る方向に選びながら。
「自分を変人だと自覚しろよ? 二本足の犬を、女と見立てて、その犬にドレスを着せて、生涯を、添い遂げようとしている自分を」
――だから俺も、皆まで言わせず、椅子を蹴り立ち上がり、テーブル越しに、マレットさんの胸倉をつかみ上げる。
愛しい人の悲鳴を背に、愛らしい少女の悲鳴をマレットさん越しに聞きながら。
「……あえてそれを言うあなたに、私は敬意を払う。だから、――それ以上は、二度と」
「――言わねえよ」
マレットさんは、俺の手を軽く払う。
「その覚悟や良し、だ。だが、もっと力が欲しいな。あんた、その細腕でつっかかっても、一瞬で返り討ちだぞ。せめてもう少し、冷静に――」
しかし、マレットさんの言葉は、最後まで発せられることはなかった。
駆け付けたマイセルが、木のお玉の柄がへし折れる勢いで、マレットさんの頭をかち割ったからである。
「お姉さまを好いているムラタさんが変人だという、お父さんのほうが変人です!」
「いや……だから、マレットさんはだな、俺の覚悟を確かめるために――」
「ムラタさん! お父さんの味方をするんですか!? だったら、ムラタさんもお姉さまの敵ですから!!」
リトリィを左腕で抱きしめ、柄が折れ、杓子部分がぶら下がるお玉を右手にして突きつけるように、マイセルが立ちはだかる。
……いや、マイセル、君の意気込みは分かるんだけどね?
当のリトリィが事の成り行きについていけずに、目を白黒させているんだけど、マイセル、気づいているか?
「お姉さまが素敵なひとだっていうのは、ムラタさんが一番分かってるんじゃなかったんですか!? 分からないっていうなら、私が一人ででもお姉さまを守ります!!」
――ええと、マイセルちゃん? だから、俺も、マレットさんも、リトリィのことを悪く言う気も、まして差別する気もですね?
ていうか、ネイジェルさん。そんな、キッチンの奥で、にこにこと、マイセルの暴走を見守っていないで、ちょっとは声をかけてくださいませんか?
「とにかくだ」
できたこぶを濡らした手ぬぐいで冷やしながら、マレットさんは努めて冷静に、ゆっくりと続けた。マイセルを牽制するようにしながら。
「家の現場に獣人族の作業員を入れることを嫌がる施主は、やっぱりいる。あんたがどういう姿勢で、今後、仕事をするにしてもだ。リトリィさんを目の前にして、こんなこと、何度も言いたかねえが」
「お父さんが黙らせればいいだけでしょう!」
相変わらずリトリィを抱きしめるようにしているマイセルは、リトリィ自身から何度なだめられてもたしなめられても、離れようとしない。
「お姉さまご自身がムラタさんを独り占めしたいって思ってらっしゃるのに、それでも私に、ムラタさんに好いてもらえるように助言をくれた、そんな優しいお姉さまのことを守れないお父さんなんて、大っ嫌い!」
……だそうである。すみませんマレットさん、完全なとばっちりですね。
「つまり、今回の工事で獣人族の大工が一人もいなかったのは、それが理由ですか?」
「いや? 俺の手勢のなかで、工事の期間中に、たまたま空いてる奴がいなかっただけだ」
ひと月で家が建つってのが早すぎるんだよ、と、マレットさんは笑う。
「それに忘れてるようだが、一応、基礎工事の時には一人、いたんだぜ? 帽子の中に耳をしまいこんでいたから、気づかなかったのかもしれねえが」
……そうだったのか。そういえばそのころはまだ、獣人といったらリトリィやペリシャさんのような、獣らしい顔つきの人たち、というイメージがあったはずだ。だから、気づかなかったのかもしれない。
「まあ、なんにせよだ。今度は成り行きでなく、あんたに依頼された初仕事だ。オレも、あんたに協力できることはしよう。がんばりな」
そう言って笑ってみせると、マイセルに向き直った。
「だから、言い過ぎた、悪かった。変人はオレでいいから、いい加減そのお玉を下ろせ」
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