第187話:姑
「ええと、ずいぶんと時間が経ってしまいましたわね。考えてみればお茶も出さずに、わたくしとしたことが、とんだ失礼を」
ばあさんのことはリトリィに任せて、庭を巡りながら家の構造を考えていた。
玄関は家の正面中央。中が見えないので分からないが、おそらくエントランスホールを挟んで、両サイドにそれぞれ部屋がある。片方はおそらくリビングルームで、もう片方はなんだろうか、客間かなにかだろうか。
リビングの奥の部屋は、おそらくダイニングキッチンだろう。ダイニングキッチンの隣の部屋は何かは分からないが、寝室はすべて二階、と言っていたから、洗濯部屋か何かではないだろうか。
そんなことを考えながら庭をほっつき歩いていたから、ばあさんが突然謝罪を述べたときも、実は何の謝罪なのか、理解が追い付かなかった。
「まったく、お客様がいらっしゃるというのに、こんな時に出かけていていないだなんて、本当にうちの嫁は」
ぶつぶつ言うので、シヴィーさんが留守だということは分かったが、そもそもアポイントメントを取らずに勝手に来たのは俺たちなわけで、ますます申し訳なくなってくる。
「シヴィーさんは、いま、どちらに?」
リトリィの言葉に、ばあさんは「孫娘のところですよ」と答えた。どうも、お孫さんが今、三人目の子を妊娠中とかで、ちょくちょくその世話に行っているらしい。
三人目、というなら、一番上の子は手伝える、もしくはある程度身の回りのことができる年頃ではないかと思ったが、二人というのは双子なのだそうだ。
で、一歳半ほどの歳になる双子はそこらじゅうをちょろちょろと這い回り歩き回って目が離せず、お孫さんは、大きなおなかを抱えつつ、二人の子供たちの世話でてんてこ舞いなのだという。
「孫が子宝に恵まれるのはいいのですけれど、母親だからと言って、お客様を放り出していくのは、筋が違いますからね」
「い、いえ、今回私どもは、たまたま寄っただけでして。正式にお招きいただいたわけではございませんから――」
「それにしたって、お仕事を依頼したならば、いつかは必ずいらっしゃるはず。そのことを踏まえぬ嫁が至らぬのでございます」
……だめだ、このばあさん、どうしてもシヴィーさんを悪く言いたいらしい。
「事前にお知らせもせず、突然訪問いたしました私に、そのようなもったいないお言葉、ありがとうございます。ただ――」
シヴィーさんは、あんたのために家の改装を考えているんだ。
それを言いたいが、言っても理解はしてもらえまい。
「――双子の赤ん坊の世話は大変だと思いますから、母親として、その手伝いをしに行きたいと思うものかもしれませんね。わたしも、いずれ子に恵まれましたら、妻だけに子育てを任せず、ふたりで努力したいと思います」
「まあ……」
決して営業成績が良かったわけじゃないが、日本のビジネスパーソンとして、最低限のスキルは身につけてきたつもりだ。
大体、家を建てる、弄る時というのは、動く金額の大きさ、そして長く利用するものであるため、家族の様々な願望がぶつかり合う。そのため、希望と現実とのすり合わせの過程で、程度の差こそあれ、大抵の家庭がモメる。
だから、話を空中分解させないよう、穏便に調整する力も、営業成績を落とさないためには必須だ。
「殿方は外で働くものですよ? 子育てになど、関わってはいけません。子育ては、大昔から女の仕事。誰もが同じようにやってきたのですから。嫁など、孫のためとはいえ、娘の子育てにいちいち手を挟むのも、感心しませんのに」
う~ん、手強い。そんなにまでして、シヴィーさんを認めたくないものなのか。
きっとこのばあさんも、若いころの子育てには、親の手を借りていただろうに。仕掛けてみるか。
「はは、わたしも祖母や曾祖母の記憶はなかなか鮮明にございまして。いえ、幼少期に世話になったことは、大人になっても忘れ難いものでして。父にも、よく遊んでもらったものでした」
子育ては、母親だけがするものじゃない。核家族化、そして地域のつながりが薄くなり、
父親の育休も、ようやく話題になり始めてきていたっけか。
『子育ては、母親だけでなく、みんなでするもんだ。そもそも、子供が可愛い盛りに、子育てに関われないというのは大きな機会損失だ!』
娘さんに臭いモノ扱いされていた所長が、そんなことを言っていたっけ。俺のようになるなよ、と。
独身ばかりだったから、だれも、あまり真剣に受け止めていなかったけれど。
……ていうか、そんなこというならまず、職員のタイムカードを勝手に切るんじゃねえよ。
「……私は、母を子供の時分に亡くしましたが、母には本当に世話になりました。その愛は、今でも私の胸に息づいています。
命には限りがありますから、私も、我が子が生まれたら、お前を愛している――それを存分に伝えるために、少なくとも幼い時分には、できるだけそばにいてやりたいと思っています」
終日の休みをとってまで、とは思わないが、せめて仕事を早く切り上げることに理解を得られる社会環境が、日本でも、早く整うといいと思う。
――二度と、帰ることのできない故郷だが。
ばあさんは、しばらくじっと俺の顔を見つめていたが、ため息をついて目をそらした。
「……そうね、そうかもしれないですわね」
そして、リトリィを見遣る。
花に顔を近づけて、匂いをかぎ、楽しげに尻尾を揺らしている彼女を。
「子は宝ですからね。お嫁さんはお乳もお尻も大きいことですから、お産もおっぱいも、きっと問題ないでしょう。よい子を産み、育てることができますとも。お嫁さんが
……お嫁さんって、リトリィのことか?
……いや、まだ、正式には結婚したわけじゃないんだが、俺が、『子供ができたら』なんて話をしたから、そう判断したのだろうか。
……うん、リトリィさんはおっぱいもお尻も大きいです。俺の宝です。そこに不安はありませんとも。
……いや、そーいう話じゃない!
だが、さきほどまでの、無感動な目でシヴィーさんの愚痴を言っていたときの様子ではない。少しは、分かってもらえたのかもしれない。
おっと、本題に入らないと。
内心でずっとばあさんと呼んでいたこの女性、名をゴーティアスさんというらしい。
マレットさんの話だと、シヴィーさんとは面倒くさい間柄になっているという話だった。シヴィーさんのことをやたら低く評価するところからみても、
しかし、そんなことを聞くわけにもいかない。とりあえず、ばあさんとシヴィーさんの話がどこまで通じているのかを確かめるのが一番だろう。
「シヴィーからですか? 何も聞いておりませんが。テラスの修理の話ではないのでしょうか?」
ゴーティアスさんの言葉に、シヴィーさんが独断でリフォームを考えていることに気付く。
……なぜだ? こういう話は、家族で相談して、そのうえで業者に話を持ち込むものだろうに。
シヴィーさんは、どういうつもりで、リフォームの話を持ってきたのだろう。
その意図を聞くまで、ゴーティアスさんには伝えないほうがいいのだろうか。
……どうする?
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