第177話:フィネスさん(1/2)

「はあい、まだまだいっぱいありますからね? 温まっていってくださいな」


 エプロン姿のナリクァンさんの、よくとおる声が響く。


 俺の、当面の事務所兼自宅となった小屋での、最初の炊き出しだ。

 今回の味の担当は、なんとリトリィ。これまでに経験のない、大量のスープを、目を白黒させながら作る羽目になった。


「この間のまかないが、素朴ながらよいお味をしていましたから」


 ナリクァンさんの、にこにことした、しかし有無を言わさぬ主張によって、朝っぱらからすごいことになった。


 これまでは、ナリクァンさんが家で手ずから作ったスープを、使用人にここまで運ばせ、そして配っていたのだという。

 ところがである。


「ほら、このおうちにはこんなに素敵なものがありますから」


 というわけで、今後の炊き出しはうちで作ることが決定した、というわけだ。


「せっかく素敵なものがあるのに、あなた方二人暮らしだと、ほとんど使うことはないのでなくて? あるものは使わないと」


 ……いや、そりゃ、たしかに、ここで炊き出しをする前提で設計はしましたよ?

 大量の炊き出しがしやすいように、キッチンには余裕をもたせて、広々としたつくりにしましたよ?

 専門の職人たちがかまどを造り、最上級の耐火レンガでオーブンを造り、仕上げにも内装の匠を呼んで、きっちり仕上げましたとも。


 さらにかまどの上には、俺特製のレンジフード。正確には、設計は俺で板金加工はリトリィの、夢の共同制作。

 作っている最中は、作業に関わった誰もが首をひねりながら、その存在の意味を理解しかねていたようだが、かまどの上を覆うように設置すると、みなが歓声を上げた逸品。


 換気扇のない、ただの誘導板にすぎないが、何も無いよりは、発生した煙や蒸気を効率よく煙突に導いてくれるはずだ。

 ニスも塗らない手抜き――もとい! シンプルな白木しらきの壁に囲まれた中に、石とレンガ造りのキッチン、天井には巨大なレンジフード。違和感を覚えない者はいないだろう、なかなかの迫力だ。


 まあ、この家を造っている最中は、それを、自分たちの生活に使うなんて思ってもみなかったのだが。


 前日までに運び込んでおいた大量の酢漬けの菜っ葉ザワークラウト、イモ、カブなどの根菜類。そして、業務用スーパーでもお目にかけない巨大なベーコンの塊。

 それらを夜明け頃からひたすら切り刻み、鍋に放り込み、ことことと煮込むこと実に二時間。


 素敵なごった煮スープアイントプフが出来上がりましたとさ。野菜と肉のうまみをご賞味あれ。


 で、エプロンを身にまとったリトリィが、そのままスープを配る係になっている。夜明けからずっと働きづめで、やっと息をつくことができるかと思ったら、このざまだ。人使いの荒いご婦人がたである。


 ……にもかかわらず、一人ひとりの器――さらに、それを持つ一人ひとりの手――に手を添えて、リトリィはスープを配る。


「どうぞ、温まってくださいね」


 とびきりの笑顔まで添えて。

 俺はというと、朝っぱらから、例の、城内街のドライフルーツの屋台に使い走りをさせられた。ナリクァンさんの手形を持たされて。


「あら、わたくしの・・・・・可愛いリトリィさんを、よりにもよって|呼ばわりしてくださったのでしょう? ですから、くらいは、協力していただかないとね?」


 まったく目元が笑っていない笑顔で手形を渡されたときは、本当に背筋に冷たいものが走ったものだ。


「……ですので、以前を見せていただけることを期待なさっているようです」


 手形を渡しつつ、微笑みながらそう言うと、店主の女が「ヒッ……!?」と震えあがったのが、ものすごくよく分かった。


 ――あの、リトリィへの差別的な言動を、面と向かってぶちかましてきたオバサンが、青ざめ、ひきつった笑顔でペコペコしながら、山のようなドライフルーツを差し出してくる。


 それを見て、今さらながらナリクァンさんの影響力のほどがうかがい知れた。逆に言えば、ナリクァンさんを失望させたら、俺も、このオバサンのような立場に追い込まれるということをも示しているわけだ。

 とんでもない人と縁をもってしまったのだなあと、改めて実感したものだった。


 そうやって手に入れたドライフルーツを、リトリィの隣で配る。それを入れる大量の包み紙も、紙の束だけ渡されて、俺が作ったのだ。本当に人使いの荒いご婦人方である。ナリクァンさんたちは、俺たちを住み込みの使用人夫婦くらいに思っていないか?


 ――いえ! 夫婦と認めていただけるだけでも、俺は幸せ者です!

 幸せですからナリクァンさん、どうかその、何を察知したのか『何か文句でもおありかしら?』とでも言いたげな怖い笑みを貼り付かせて俺を見つめないでください!




 幼い子供を連れた獣人の女性に、ドライフルーツの紙包みを渡す。共にロップイヤーのような耳をしていたから、多分ウサギの獣人なのだろう。


「おじちゃん、ありがとう!」


 亜麻色のふわふわに包まれている、長く垂れた耳を頭に乗せた少女が、右手を挙げて嬉しそうに礼を述べる様子に、こちらも思わず微笑みを浮かべて右手を挙げてみせる。

 可愛らしい――が、おじちゃんじゃなくてお兄ちゃん、な?


「うん分かった、ありがとう、お兄ちゃんのおじちゃん!」


 何度も頭を下げながら去っていく二人を見ながら、俺は、リトリィと共に苦笑いを浮かべる。まあいいさ。

 ただ、今の親子を見て、ふと思った疑問を口にした。


「……この街ってさ、意外に獣人族ベスティリングのひとたちがたくさん住んでいるんだな」

「そう、ですね──」


 うなずくリトリィ。だが、その態度はどこか、奥歯にものが挟まったような、はっきりとしない違和感を覚える。


 その違和感について尋ねようとしたとき、狐属人フークスリングのフィネスさんが口を開いた。


「そう、見えますか?」

「違うんですか?」

「……わたしたちは」


 フィネスさんは、一拍、間を置くようにしてから答えた。


「貧しい方が、温かい食事を食べられるように、炊き出しをしているのですよ?」

「はあ……」


 言わんとしていることをはかりかねて、間の抜けた返事をしてしまう。


「わかりませんか?」


 まっすぐ見つめられ、俺が戸惑っているうちに、リトリィが表情を曇らせた。


「──貧しい方の中に、獣人が多い、ということですか?」


 フィネスさんが、リトリィの言葉に目を伏せてうなずくのを見て、俺はやっと、自分の間抜けぶりに気付く。


 ……そうだ、そういうことなのだ。

 フィネスさんが言いたいこと、それは、この街に獣人が特別多い、というわけではないということ。炊き出しで獣人の姿を多く見るのは、つまり、ということなのだ。


「この街は──門外街はまだ、ましですのよ。城内街のように、理不尽な扱いを受けることは少ないですから。ただ、それでも──」


 それでも、「城内街よりマシ」というだけで、門外街でも、働く場所は限られているのだという。

 そのうえ、多くの雇用主は、獣人を、安く使える労働力として扱うのだそうだ。あからさまに、ヒトと獣人で、待遇を変えるらしい。


 ということは、この世界には労働基準監督署はもちろん、労働基準法などの「労働者の権利」を守る法も、ないか、あっても日本ほど手厚いわけではないということだ。


 つまり、獣人の生活は、どうしても厳しいものにならざるを得ないのだろう。この炊き出しで多くの獣人を見かけたのは、つまりなのだ。


 フィネスさんが、ドライフルーツを紙で包みながら続ける。


「……私が炊き出しを始めたのは、そんな苦しい生活を送っている仲間を、放っておけなかったからです」

「……え? この炊き出し、フィネスさんが始めたってことですか?」


 フィネスさんが、にっこりとうなずく。


 驚いた。

 俺はてっきり、この中で一番の金持ちであるナリクァンさんが、商会の会長を引退後したあとに、道楽で始めたと思っていたからだ。

 ついでに言うと、こんな上品な女性が、屋台のオバちゃんをやっていた――そのことが、頭の中で結びつかないというか。


「ふふ……お世辞をいただいても、何もお出しできませんよ?」


 フィネスさんの耳がぴこぴこと動き、尻尾がふわりと跳ねる。

 その尻尾は、基本的にはレースの布で覆われているが、透けて見える狐らしい尻尾は、ふわふわで柔らかそうだ。う~ん、もふもふ。じつにいい、目の保養になる。


「……ムラタさん?」


 リトリィの目が、ほんの少し、険しくなった気がする。

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