閑話⑨:彼女への、一番の恩返しのはずだから
「だから、俺が床で寝るから」
「でしたら、私も妻として床でご一緒します」
「ふ、二人が床で寝るのに、私だけベッドでなんて、寝れないですよっ!」
――なんでこう、この子らは俺の言うことを聞かないんだ。
「俺はこう見えても、床で寝ることにはそれなりに慣れてるから平気なの。あと、女の子を床に寝かすような真似を、俺にさせないでくれよ」
「夫をないがしろにするような妻にさせないでください。わたしは、いつもあなたのおそばにいるって、あなたに誓ったんですから」
「わ、私も、リトリィさんと同じですっ!」
「……妻って、まだ結婚して――」
小首をかしげてみせるリトリィ。
――有無を言わさぬ、その笑顔。
「――なんでもありません」
おかしい。
どうしてこうなった?
控えめで、基本、自己主張よりも俺の意向に沿おうと努力する健気な娘、それがリトリィだったはずなんだが。
こうも「妻」であることを主張なんてしてなかったはずなのに。
いや、もちろん彼女を妻に迎えるのは当然の既定路線、それは間違いない。
そうじゃなくて、彼女が自分のことを「妻」だと明言することなんて、なかったと思うんだが。「妻」になる身としてこうありたい、とは言ったこともあるが。
「分かった分かった、じゃあ、こうしよう。くじ引きだ」
くじであたりを引いた一名が、どう寝るかを決める。一緒に寝たい人を決めてもいいし、どこで寝るかを決めてもいい。公平かどうかはともかく、とにかく線を引かないと、いつまでも間抜けな譲り合いが続いて、寝るに寝られない。
――かくして。
「……どうしてこうなった?」
当たりを引いたリトリィが指名したのは、俺と、マイセル。
俺を真ん中にし、両側から二人が絡みついてくるという、地獄。
「ふ、ふたりとも、早く寝ような? また明日から、作業が始まるんだから――」
「はい」
「うん」
それがもう、多分、半刻以上、続いている。
最初に絡みついてきたのは、リトリィだった。
これはいつものことだから分かる。
それを察したマイセルも、俺の腕にそっと絡みついてきた。
まあ、対抗心なのはわかった。
っていうか、マレットさん。……本当に、もらっちゃって、いいんですか、この子。
『俺自身が嫁さんを二人もらってるんだ。その俺が、娘を一人で迎え入れろ、なんていうと思うか? マイセルのほうが後で、年下なんだ。第二夫人で構わん。同じ扱いにしろ、などとも言わん。言わんが……幸せにしてやってくれ、
頼んだからな? そう言って肩がミシミシときしむくらいに強烈に掴まれながら、凄みのある笑顔で言われて、いりませんなどと誰が言えるものか。
しばらくすると、ごそごそと何かやっていたリトリィ、寝間着をはだけてくる。その圧倒的なボリュームの胸で腕を挟むように――さらに、俺の手を取って、その指を彼女の秘洞に滑り込ませようとする。ああリトリィ、うん、言いたいことは分かったからちょっと待って。
すると、露になったリトリィの肩を見てマイセルも察するものがあったらしく、なぜか対抗措置をとってくる。
すなわち、彼女も寝間着をはだけ、その慎ましやかな胸を腕に押し付けてきたのだ。
さすがにその
――二人が同時に俺を腕を取り合うの、勘弁してください。
で、頼むから
君、分かっているのかいないのか、ホント膝をこすりつけないでお願い。多分頭の中で何この硬いものとか考えてるんだろうけど、頼むからやめて。
で、そうこうしてるうちにマイセルの
何度、「もう寝ようか」と言ったことか!
――誰か助けて、このヘビの生殺し状態。
結局、鞘当てに勝利したのは、
今日の上棟式は、マイセルにとっては色々当てられるこの多い日だったのだろう。およそ一刻ほども繰り広げられた冷戦は、マイセルの寝息によって終息を迎えたのだった。
そっと身を起こし、マイセルの頬にキスをしたリトリィが、次いで俺の口の中を占領したのは言うまでもない。ベッドでは余計な振動で起こしてしまいかねないので、結局、二人してベッドを抜け出すしかなかった。
「ふふ、マイセルちゃんの寝顔、かわいいですね」
ベッドのほうを見つめ、腹を確かめるように撫でながら、リトリィが微笑んだ。
俺は、暖炉に掛けた鍋で沸かした湯をカップにそそぐ。
俺が白湯を汲んでいる間に、テーブルの上を拭き終わったらしいリトリィが、傍らにそっと立つ。
「ありがとうございます」
カップを受け取り、微笑む彼女の唇に、そっと自分の唇を重ねる。
「――赤ちゃん、できてるとうれしいな……」
お腹をさすりながら、リトリィがぽつりとつぶやく。
リトリィのような
「大丈夫。必ずできるから」
敢えて口に出したということは、それだけ不安でもあるんだろう。
初めて結ばれた夜の、あの不安定ぶりを思い出す。
「大丈夫だ。リトリィ、大丈夫」
結局、沸かした白湯にはほとんど口をつけず。
もうしばらく互いの舌の感触を楽しんだあと、ベッドに戻った。
ベッドに戻っても、結局、二人で、互いの体の温かさを、柔らかさを確かめ合うように、しばらく、互いの舌の感触を堪能し合った。マイセルが起きかけたときは、本当に二人で冷や汗をかいたものだった。
今夜は特例、明日からはまた、マイセルは自分の家に戻る。そして、マレットさんによる本格的な大工修業が始まるはずだ。そうすれば、もうしばらくは二人きりの甘い生活を堪能することができる。
とはいえ、いつかは、マイセルの身を引き受ける日が来る。それは、彼女とも肌を重ねる日がくる、ということでもある。
「……でも、リトリィは、やっぱりその……いやだよな?」
「なにがですか?」
きょとんとする彼女に、俺は一瞬、俺の考えが異端なのかと思ってしまう。
――いや、主語が分からなかっただけだろう。
「いやその……俺がその、……えっと」
言いよどむ俺に、リトリィは微笑んだ。
「あなたが、マイセルちゃんを抱くことを、わたしがいやがる、ということですか?」
ぐぅ……。
言いにくいことを、愛する女性に言わせてしまった。ヘタレな自分を嫌悪する。
「それは――たしかに、本当は、あなたを独り占めしたいです。お嫁さんはわたしなの、って」
そう言って、微笑む。
そりゃそうだ、当たり前だ。俺だって同じ状況――男二人で一人の嫁さんを共有することになったら、多分、もう一人と仲良くしていたら嫉妬する。するに決まっている。
「でも、あなたは、わたしを選んでくれた――そう信じてますから。だから、あなたの愛のなかにマイセルちゃんが加わっても、わたしを選んでくれた想いを、ずっと、信じられます」
ずしんとくる。
いつかも思った。
彼女は、重い女だと。
瀧井さんもおっしゃっていた。
獣人は情が深いと。
「本当はこんなこと言うと、あなたを困らせると思うから、言いたくないんですけれど、……わたしは獣人族ですから、何度あなたに抱かれても、仔ができないかもしれません。
それで、きっとわたしはこの先、何度も悩むと思いますし、何度も泣いて、あなたを困らせると思います。――本当は、今も不安で、泣きそうなんですよ?」
鼻を鳴らしながら、それでも穏やかに微笑む彼女。
「もちろん、あなたの仔を産みたいです。でも、こればっかりは、授かりものですから。
でも、もし……もし、仮に、わたしが産めなかったとしても……マイセルちゃんがあなたの子を産んでくれたら、わたしは、あなたの血をつなぐその子を、一緒に愛せると思うんです。
――
目尻に雫を浮かべながら、それでも微笑みを絶やすことなく、淡々と、胸の内を語るリトリィが、健気で、
だから、俺は。
「――さっきも言ったろ? 大丈夫、……大丈夫。俺は、初めて俺を愛してくれた君に、絶対にそんな寂しい思いをさせない。――絶対にだ」
遺伝子の違いから自然妊娠はできない、という仕組みならばあきらめもつく。
だが、できるのだ。
それならば、作る。
できるなら、作る。
できるまで、作る。
それが、俺に愛をくれた彼女への、一番の恩返しのはずだから。
* * * * *
「……ムラタ、さん……?」
リトリィと二人で思いっきりびくっとする。
しばらく動くのをこらえて、息を殺す。
マイセルの反応を、じっと待つ。
「こっちも、おいひいれ、すよ……」
むにゃむにゃと何やら寝言のようなことをいうマイセルに、心底、安堵する。
いや、いずれは彼女も娶る、そしてそもそもその親であるマレットさんからくれぐれも、と念を押されている。第二夫人としてもらってくれと。
だが、まだ、その踏ん切りが、ついていないのだ。
幸い、彼女は「男と寝る」ことの本当の意味を知らなかった。
故に、こうして、やり過ごすことができたのだが。
……しかし、それにしても高校生くらいの子供を持つ夫婦の夜の生活というのは、こんな緊張感の中で営まれているのだろうか。
戸建てならともかく、アパート暮らしのご夫婦のご苦労を、垣間見た気がする。
「……もう、やめておこうか?」
「もうすぐでしたでしょう? くださいませんか?」
「……いや、その……いまので――」
「大丈夫です。ください。わたしが、欲しいんです」
「……いや、その、だから、もう……」
「じゃあ、あとはわたしにお任せください。――わたしが上になりますね?」
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