第172話:ムラタの棟上げっ!(9/9)
ヒヨッコたち、大工の職人たち。
ナリクァンさんをはじめとした、俺とリトリィを支えてくれたご婦人方。
滝井さん夫妻。
そして、通りすがりに一緒に杯を交わし、棟上げを祝ってくれた人たち。
もう、何をしゃべったのかすら覚えていない。
どもるたびに茶化され、だが、笑顔で続きを求められ。
皆から冷やかしを受けながら、しかし、それでもなんとして感謝を述べることができた、それくらいしか、記憶にない。
俺は結局、事前に原稿を作って語るならともかく、即興でしゃべることのできない人間だった。
空は濃い紫がかってきて、星が瞬くようになっていた。
明日からの作業の打ち合わせも終わり、もう、皆は解散して、各々の家に帰ってゆく。
――各々の家、各々の家族のもとへ。
――家族。
「なあ、リトリィ」
「なんですか?」
傍らで微笑む彼女は、俺のことを、一体どれだけの想いで理解しようとしてきてくれたのだろうか。
何度か俺と手を合わせた、ただそれだけの感触を手掛かりに、俺の手にぴったりと馴染むものを作り上げる彼女は、俺と触れ合うその一瞬一瞬に、どれほどの想いを寄せてくれていたのだろうか。
――俺は本当に、彼女の伴侶としてふさわしい男であり続けられるのだろうか。
「……いまも醜態をさらしてきたばかりの俺だけど、リトリィは、本当に――」
そんな俺の口を、リトリィの薄い唇が、そっとふさぐ。
「ふふ……、いつもいつも、ふさがれるだけじゃないですからね?」
そう言って、俺に体重を預けてくる。
「あなたがいいんです。――わたしが、あなたの愛を望んでいるんです」
肩に、その重みと、そして温もりが伝わってくる。
――ああ。
俺も、君が、――君の愛があれば、この世界でも、やっていける。
きっと。
肩口で切りそろえられた栗色の髪の女性に抱きしめられていたマイセルが、そっと女性から離れる。
何か一言二言、言われているようだ。
遠目ながら、よく似た風貌だ。あれが、クラムさんなのだろうか。あの人がおそらく、マイセルの、実母。
マイセルはそれに何か答え、そして、もう一度母を抱きしめ、キスをする。
ネイジェルさんも、そんな二人を抱きしめる。
隣ではそっぽを向くように、だが、ちらちらとそんな三人を見るハマー。
マレットさんが、そんなハマーの頭をぐしぐしとかき回す。
「マイセルさんは……強い子ですね」
「強い子……そう、だな」
この世界の女性は、まだまだ社会進出が特定の分野でしか行われていないようだ。日本のように、実力と、障害をはねのけるタフさがあればのし上がれる、そういう世界ではない。
そんな世界で、大工をやろうというのだ。
まだまだ十六歳、若さゆえの不足もあるだろうが、しかし今日、地味ながら意外な立ち回りを見せてくれた。決して、口を開けて餌をねだっているだけのひな鳥ではないのだ。
「そうだな。強い、というか、意外なしたたかさがあるな」
そう言って笑ってみせると、リトリィも笑った。苦笑気味に。
まさかこんなこと――二人の女性から求愛され、そしてその二人の愛を抱えて、共に生きていくことになるなんて。
……この世界に来る前には、想像だにしていなかった生き方だ。
「はい。――でも、わたしだって、負けません」
そう言って俺を見上げ、微笑む。
「もっともっと自分を磨いて、あなたのお役に立つことができる女になります。ずっと、ずっとあなたの、おそばで」
――どこまでも、どこまでも君は。
もっと自分の幸せを求めるべきではないのか。
俺のためだけでなく。
「……いいえ? わたしは、あなたのために、生きたいんです。それがきっと、わたしの幸せです」
ふわりと揺れる尻尾、ぴくりと動く耳。
全身を覆う金の毛並み、犬のような
自己主張の強い、豊満な
こんなに艶やかで、美しい彼女を、しかし、純粋には認めない、この世界。
――ならば、俺は。
君の幸せのために……
「ちがいますよ?」
リトリィが、右の人差し指を、俺の唇に押し当てる。
「お待たせしました! ムラタさん、リトリィさん。もう、――だいじょうぶ、です……!」
こぼした雫の跡をぬぐいもせず、マイセルが駆けてきた。
「ムラタさん、私、頑張ります! えっと、一人前の大工になったら、必ず、必ず、ムラタさんの元に参ります! 私はムラタさんだけのもの――ですもんね!」
――――!?
リトリィが、目を細めて俺を見上げる。
「ムラタさん……? どういう、意味ですか?」
「あ……いや、その……」
アレだ、『俺と契約して専属大工になってよ!』、アレのことだな! いや、確かにあのときは悪乗りしてはいたが、しかし、あのセリフはあくまでも――
視界の端に映るリトリィの毛が、微妙に逆立っているのが分かる。
――リトリィ、怒ってる!?
「あとで、たっぷり、お話をお聞かせくださいね?」
リトリィの、耳元に寄せた声は小さく、冷静で、しかし、有無を言わさぬ雰囲気がびりびりと伝わってくる。まずい。大変まずい。
「でも、今夜だけは、お父さんからお許しをいただきました! リトリィさん、お口添え、本当にありがとうございました!」
きらきらとした目で、リトリィを見つめ、頭を下げるマイセル。
待ってマイセル。なにその追い討ち。
いや確かにマレットさんは今夜だけはって言ってたし、それは覚悟の上だったけどね?
でも、世の中には言うべきタイミングというものが……!
「ほら、ムラタさん」
内心の絶叫と冷や汗に気づいているのか、いないのか。
マイセルの礼を受けて、さっきの、ややもすると冷たい詮索の言葉をささやいたときとは打って変わって、リトリィは満面の笑顔で、俺を見上げた。
あまりの切り替えの落差に、何を、どう答えよというのか掴みかねて、返事が遅れる。そんな俺に、リトリィは再び、俺の耳に口を寄せた。
「――
「え? ――あ、ああ」
マイセルが、よく分からないといった様子のまま、笑顔で首をかしげるが、俺は、リトリィが、さっきの続きの話を引っ張ってきたことに気づいた。
そうだ。俺は、君
リトリィは、俺の選択の全てを受け入れる覚悟なのだ。
助言はしてくれるだろう。時には批判もくれるだろう。
だが、きっと、最後には。
――ならば。
「……そうだな。俺は、
この世界で、家を、建てていく。
( 第二部 了 )
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