第161話:いじわるなひと(1/2)

 久しぶりにリトリィと愛を確かめ合えたぶん、疲労の残る体を引きずるようにして歩きながら、馬鹿なことを考えている間に、現場に着く。


 今日のリトリィの服装は、以前も着たことがある地味なロングドレスだ。山の家で見慣れた、花と唐草を組み合わせた繊細な刺繍入りのエプロンも身につけている。


 あとはそれっぽいヘッドドレスでもつければ、いわゆるメイドさんの一丁上がり、といったところなのだろうが、三角巾というところがお掃除おばちゃん的というか、ちょっと残念ポイントである。まあ、そこは仕方ない。ある意味本格的、と言えないこともない。


 今日一日、彼女は明日の上棟式の準備のため、飾りやら料理の下ごしらえやらに追われることになっている。おそらく、そうした準備のついでに、街で生きるための様々なルールやマナーを、みっちり仕込まれるのだろう。


「いじわるされないか?」

「ナリクァンさんは、そんな人ではありません」


 おどける俺に、リトリィが微笑む。「とっても厳しいですけど」と言いながら、しかしリトリィはとても嬉しそうだ。


 俺にとっては、『ありがたくも半端なく怖い人』に見えるようになったナリクァンさんだが、リトリィにとっては、これが「祖母」というものなのだろう、と感じられる人なのだそうだ。

 彼女は孤児として、実の親の顔も知らぬ生き方をしてきたのだから、頼れる祖母ができた、というのはとても嬉しいに違いない。


 揺れる尻尾からも、ナリクァンさんに会いに行く、その喜びが伝わってくる。本人が喜んでいるのだ、俺がとやかく言っても、馬鹿馬鹿しい過保護な発言でしかないのだろう。


 ……尻尾?


 いや、リトリィなんだから尻尾はあって当然だ。あのふわふわな尻尾は、当然、腰のあたり、尻の上の方から出ていて――

 彼女の裸身を思い浮かべ、そして違和感の正体に気づいた。

 彼女のスカートから、尻尾がのである。


 以前、街に来た時には、尻尾など出していなかった。宿に戻ってきて服を脱いだ時、やっと尻尾を解放できたと喜んでいた。つまり今回、尻尾の穴をわざわざこしらえたことになる。


「……え? 尻尾ですか?」


 俺の質問に、リトリィは小首をかしげた。


「だって、わたし、もう、隠さなくてもいいですよね?」


 そう言って、にっこりと微笑む。


 どういう意味なのか分からず聞きなおそうとしたが、


「では、行ってまいりますね?」


 笑顔でを上げる。反射的に右手を上げると、リトリィは俺の右手に自身の左手を重ね、俺の顎にキスをし、そしてナリクァンさんの屋敷に向かって歩いて行ってしまった。

 一度だけ振り返り、笑顔を見せて、そしてまた、歩いてゆく。


 本当は俺もリトリィのそばにいたいのだが、こればっかりは何ともならない。我ながら捨てられた子犬が主を見送るように、ナリクァン邸に機嫌よく向かうリトリィを見送った。結局尻尾を出す意味は分からなかったが、帰ってきたら聞けばいいだろう。


 ――さて、少々早過ぎる到着でまだ現場には誰もいないが、資材の点検をしておくにはちょうど良かった。上司が早すぎる出勤・遅すぎる退勤をする職場はブラックと言えるが、まあ、今回はたまたまだ。


 積み上げられた垂木たるき用の資材。今日はそれを使って小屋組みを行う。本当は一日で仕上げてしまいたいところだが、マレットさんによると今回は資材の加工が必要だから、仕上げることは仮にできたとしてもかなり遅くなるだろうとのこと。


 それなら半完成にとどめておいて、明日、午前中に「上棟式じょうとうしき」をやるほうがいい、という話だったか。


 太陽が出ている東の空はまだ大丈夫だが、頭上は雲で覆われている。雨が降る前に屋根をかけたいところだが、天気ばかりはどうしようもない。マレットさんが、上棟式は明日が良い、と言ったのだ。きっと天気のことも考えているはずだ、大丈夫だと信じたい。

 出来れば降らないことを、降っても小雨程度で終わることを祈るしかない。


 とりあえず、なるべく早く作業が進むように、垂木の、壁の「頭繋あたまつなぎ (壁の最上部の材)」に乗せる部分に刻むの墨付けを行っていく。


 加工はおそらくマレットさんと、マレットさんのお眼鏡に叶ったノコギリ使いのヒヨッコが行うことになるのだろうが、ここがきちんと揃っていないと、屋根が波打ってしまうことになる。だから墨付けも、狂いがないように慎重に行わなければならない。


 日本なら、こういう部分まですべて製材屋で事前加工プレカットしておいてもらえるから、いちいちこんなことを現場でする必要はないのだが。


 現代文明に支えられた日本という世界は、本当に、快適にモノ作りができる環境だったと思う。分業万歳だ。製材屋に、今度丸鋸を提案してみよう。今の水平引きよりも絶対に効率が上がるし、製材の自由度も上がるはずだ。


「ムラタさん――」


 十二本目の材に墨付けをしている時だった、その声を聴いたのは。


「……あの、いま、いいですか?」


 ――マイセル、だった。




「おはよう。随分早いんだな」

「……ムラタさんのほうが、早いじゃないですか」


 マイセルが、材を押さえながら答える。


「ありがとう。――まあ、前にも言ったかもしれないが、山暮らしをしているうちに、夜明けで起きる習慣がついちゃってな」


「あの……昨日はごめんなさい」


 マイセルが、聞こえるか聞こえないかの声で、口を開いた。


「き、昨日はその……ムラタさんから何度か話しかけられてたのに、その……避けちゃって」


 ……ああ、やっぱりそうだったのか。まあ、偶然でそう何度もすれ違うわけがないよな。

 しかし、なんと返してよいか分からず、黙って墨付けを続ける。


 しばらく、二人で黙って墨付けの作業を続けていた。

 俺が寸法を測り、墨付けをし、それが終わった材を、マイセルと二人で別の山に積み上げる。


「あ、あの……!」


 そんな作業が五本ほど続いたあと、マイセルが突然、話しかけてきた。


「ムラタさんにはその……す、す……好き――ええと! そ、尊敬する人って、いますか!?」


 突然の言葉に、手が、止まる。


「……尊敬する人?」

「は、はい! えっと、その、な、なんでもいいんですけど! ……ムラタさんって、どんな人が、す――尊敬できるのかなって!」


 ――尊敬、ねえ。

 さっきから漏れ聞こえてくる、つい言いかけてしまう言葉から、彼女も大して嘘をつけない人なのだと分かる。そう言えば、これまでもずっとそうだったか。


「尊敬する人物というのなら――」


 頭の中で反芻し、はたと困る。


 この世界に、彼女の知っている人間はいない。俺が知っている著名な建築家の名前ならいくつも挙げることはできるが、その人たちはみな、この世界にはいない。

 だから、それらを挙げたところで、彼女に利益などないだろう。


「聞いて、どうするのかな?」

「え? え、えっと……」


 うつむき、少しの間もじもじしていたが、そのまま、沈黙してしまった。

 再び、無言の作業が続く。


「――あの、ほんとは……」

「うん?」


 言いかけて、また口を閉ざしてしまうマイセル。

 また一本、墨付けを仕上げてから、俺は聞いた。


「――ほんとは、なんだい?」


 我ながら、いじわるな質問だったと思う。言いづらいから、言い出せないのに。

 ちらちらと俺を見て、目が合いそうになると目をそらし、そしてまたこちらを見ようとする。

 それを繰り返す。


「……マイセルちゃんは」


 こちらから水を向けることにした。そろそろ他の作業員もやってくる時間だと思う。言いたいことがあるなら聞いてやりたい。


「マイセルちゃんは、好きな人が、いるんだよな?」

「ひぅっ!?」


 びくりとマイセルの背筋が伸びる。――しまった、ダイレクトアタックすぎた。


「ええと――その、なんだ。確かめておきたいことがあって……」

「た、確かめたい、こと……ですか?」


 こちらの顔色を窺うような上目遣いのマイセルに、俺は胸がしめつけられる。

 ……俺は何を言っているんだ。

 そんなことなど一つしかない。


 あえて、彼女にそれを聞くのか。

 あえて、彼女の口から言わせるのか。

 ……それは、なんと残酷な仕打ちなのか。


 口ごもり、手が止まってしまった俺を見て、いろいろと察したのだろう。

 マイセルは、一度地面に目を落とし、そしてまたこちらに顔を向けると、寂しげに微笑んだ。


「……ムラタさんは、いじわるですね」


 いじわる……か。


「――かも、しれないな。自覚はなかったんだけどね」

「いじわるな人です、そういうところも含めて」

「……そうか」


 何と答えていいか全く分からず、間抜けな一言を返してしまう。

 マイセルはそんな俺を見て、もう一度、力なく笑うと、視線を落とした。


「そういうところが、ずるくて、いじわるなんですよ……?」

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