第143話:気になる人(2/6)
「バーザルトは、なかなか筋がいいんだ。神学校を中途でやめて、やっぱり大工がやりたいと言って来た男だ」
シュタインはせっかく神学校に入れたのに、と嘆いていたがな、と笑う。
「
なるほど。神学校中退か。あの穏やかな雰囲気だけを見れば、たしかに神父さんとか牧師さんとか、そういう人に向いているように見える。それでも、父親の跡を継いで大工になりたいという思いが捨てきれなかったのか。
そういう経歴だと、たしかにマイセルの願いを受け入れて支えようとしてくれたというのも納得だ。おそらく、神学校というものがある以上、それにかかわる人々はいわゆるエリート層になるのだろう。もちろん、出資した親の期待も大きかったはずだ。
見習いたちは、おそらく普段はここまで肉料理を食うことなどできないのだろう。大騒ぎをして次から次へと平らげている。
そのなかで、
その道を捨て、なぜ大工になろうとしたのか。
ふと、とあるドイツ文学を思い出す。神学者としての未来を嘱望されていたにもかかわらず、ドロップアウトし、水死した少年の話。
……だめだ、気になって仕方がない。だが、人の生き方にいちいち
見習いどもが解散していなくなるのを見届けてから、俺も帰途につこうとした時だった。
「お父さん。ムラタさんは、今夜もうちでお休みされるんですよね?」
「ばっ……! 余計なことを言うなよ!」
マイセルの言葉に、ハマーが目をむく。だが、マイセルの言葉にマレットさんもうなずき、俺に声をかけてきた。
「――おう、そうだったな。言い忘れてたムラタさん、今夜もうちに泊まっていくんだろう?」
正直、魅力的な提案だった。なんといっても、マレット家の朝食は美味しかった。
……しかし、さすがに二日連続は気が引ける。
「いえ、さすがに昨日に続いて今日もご迷惑をおかけするわけには……」
「なに、構いやしねえ。迷惑だなんて思ってねえよ。それにアンタが来てくれた方が――」
そう言ってマレットさんは、マイセルの肩をポンと叩く。
「コイツが喜ぶ」
「お、お父さん……!」
マイセルが頬を染めて抗議する――いや、もうすでに顔は真っ赤だったか。
「と、父さん! 一晩ならともかく、二晩連続だなんて絶対に母さんが――」
「お前はくだらない心配なんぞする暇はない、マイセルより釘打ちが上手くなれ」
……マレットさん、その一言はきっと、ハマーにとってかなり重い一撃だと思います。ほら、ハマーのヤツ、しゃがみ込んでしまった。
とはいえ、ハマーが口にしかけたが、実際問題、一人分余計に食事を作らなければならない手間を負うのはネイジェルさんだ。一応、客を招いた以上、普段よりも手の込んだ料理を作らねばならないという思いにもさせてしまうだろう。
「いえ、やはりお手を煩わせてしまいますから。お気持ちだけ、ありがたくいただいておきます」
するとマレットさんは眉根を寄せた。
「気持ちを受け取ったんなら、当然行動もそれに準ずるべきだろう。どういう意味だ」
――あ、しまった。こういう言い回し、通じなかったか。
「あ、いえ、ですから――」
「どうせアンタ、宿に帰ってもすることなんかねえんだろう? それとも、気に入った嬢のいる店でも見繕ってあるのか?」
……待て。
年頃の娘さんの目の前でなんちゅうことを!
「い、いや、そんなことはもちろんなくて――!」
「じゃあウチに泊まっていくことに何の問題もねえじゃねえか。おい、マイセル」
「は、はい!」
マイセルはそう言って、俺の手を取る。
「む、ムラタさん! お父さんもああ言ってますし、うちに来てください! ムラタさんのお話、私も聞きたいです!」
いや、でも――
言いかけて、マイセルのキラキラした目がまっすぐこちらを見上げているのを見ると、出かかった言葉が勝手に飲み込まれてしまう。
さすがにここまでぐいぐい来られると、どうにも断りにくい。宿に帰っても誰もいない、何の予定もないというのも、また断りづらさに拍車をかける。
「こういう時は年長者の言葉に従うもんだ。仕事上の立場はアンタの方が上だが、現場を離れちまえば立場なんざ関係ねえ」
「いや、そういう問題じゃ――」
「大丈夫だ。当主が問題ないと言っているんだ、だから問題ない」
なぜだかマレットさんは上機嫌だ。
「……すみません、二日連続でお世話になります」
頭を下げる俺に、ネイジェルさんがにこにこと答える。
「いえいえ、これから長いお付き合いになるんですから」
……ネイジェルさんも上機嫌だ。
設計者と大工。言われてみれば確かにそうだ、今後、長い付き合いになるのは間違いない。少なくとも、この街でやっていくのなら。
「今日はマイセルが現場に立たせてもらったそうですが、お役に立ちましたか?」
「もちろんです。とても頑張ってくれましたよ」
俺の言葉に、ネイジェルさんは微笑んでうなずいた。
「まだまだ至らぬところの多い娘ですが、ぜびムラタさんの手で導いてやってくださいね」
う……、責任重大だ。これはつまり、彼女の大工としての道を推した以上、彼女の進路に責任を持て、ということなのだろう。
ネイジェルさん、穏やかな微笑みでありながらきっちりと釘を刺してくる。棟梁の家をまとめるだけのことはある、と言うべきか。
「今夜のお部屋も、もう整えてありますから。ムラタさん、汗を流してきてくださいな」
さすがネイジェルさん。マレットさんが口を開く前に、もう先手を打ってあるとは。
だが、さすがに当主や娘さんを差し置いて俺が先に水を浴びるのは気が引ける。まずはそちらだろうと思ったが、「客は客らしく振舞えって言っただろ」と、マレットさんによって浴室に押し込められてしまった。
すでに水桶が置かれている。触ってみると、ほんのり温かみがあった。さすがにこの季節、水だけでなく湯が足されていたらしい。さりげない心遣いに感謝する。
「なあ、本当にあれだけか? 中にレンガを積むとか、せめて土壁を作るとかしなくていいのか?」
マレットさんの疑問に、俺は「いりません」と即答する。
「あの小屋――あえて小屋と呼びますが、あそこには基本的に誰かが住むということは考えていません。ですから、必要以上の断熱性能はいらないのです」
「いや、そうじゃねえよ。あんな板切れの寄せ集めで、長持ちするのかって話だ」
なるほど、やっぱり木の耐久性能が気になるんだな。確かに石やレンガよりは、風雨に傷みやすいからな。
「アンタが自信を持ってあの家の設計をしたんだ、それなりに頑丈ではあるんだろうが……しかし、あんな棒切ればかりで作った壁だ。あまり、長持ちしそうにないように思うんだが、どうなんだ?」
マイセルも隣の席について、興味深げに見上げてくる。
「そうですね……まず、ネズミにやられたりシロアリに食われたり、という被害があれば、たしかに長持ちはしないでしょう」
俺は考えられるリスクについて、まず正直に言った。
「ただ、シロアリは木を食いに来るのではなく、基本は土中に住む生き物ですから、基礎をレンガで築いていること、それから周りも石畳でシロアリにとって暮らしにくいこの環境なら、被害には遭いにくいでしょう。
ネズミは……食べ物を置かない、これが一番ですかね」
「あ、あの!」
マイセルが、何故かメモを取りながら、聞いてきた。
「なんだい?」
「あ、あの、木は、やっぱりその……レンガとかと違って、その……雨とかで、傷んでしまうと思うんですが……?」
そうだ。マイセルの言うとおり。木は、どうしても腐朽する。
法隆寺の五重塔が千三百年もの間耐えたと言っても、何度か大規模な修理が行われているし、そのときに傷んだ木材の交換も行われている。
「……その通りだ。
マイセルさんが言った通り、木ですからどうしても腐るというリスクがあります。
これについては、漆喰を厚めに塗って耐水性能を確保することで対処は可能です」
「漆喰で……?」
「マイセルちゃん、『腐る』とはどういうことか、分かるかい?」
「……え?」
俺の突然の質問に、マイセルは目を丸くした。
「え、えっと……食べ物が、食べられなくなること……? あ、違う、その……木が、ぼろぼろになること、です!」
「どちらも正解。じゃあ、どうしてそんなことが起こるんだ?」
「……えっと……?」
マイセルが、救いを求めるようにマレットさんの方を見る。マレットさんは苦笑いをして、首を振った。
「えっと……その、
……そうきたか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます